二草庵摘録

本のレビューと散歩写真を中心に掲載しています。二草庵とは、わが茅屋のこと。最近は詩(ポエム)もアップしています。

「ファーストエンペラーの遺産」と「モンゴル帝国と長いその影」を読む

2020年12月07日 | 歴史・民俗・人類学
久方ぶりに、読んだ本のレビューをメモしておこう。まとめ書きなので、少々長くなるが、興味のある方はどうぞ♪

小学館「日本の歴史」全32巻は、すでに書いたように江戸時代の歴史記述に8巻をあてている。1970年代半ばころの出版なので、8巻すべて古本。金額はどれも税別100円。
そのうち、つぎの4巻を読み終えた。そのいちいちに、感想をしたためるのはやめておく。おそらく、そんなレビュー、だあれも期待してはいない(*´v`)
読み終えたのは、つぎの4巻。

・江戸幕府(16) 評価:☆☆☆☆☆
・大名(18) 評価:☆☆☆☆
・元禄時代(19) 評価:☆☆☆☆☆
・幕藩制の転換(20) 評価:☆☆☆☆☆

・・・である。
どれひとつとして、ハズレはなかった。筆者はもちろん、専門の研究者、つまり大学の先生方である。
癖の強い、読みにくい巻はなく、文章はいたってこなれている。おそらく、小学館の編集者が編集過程にかかわっていて、十分目を通し、書き直しもあったに相違ない。そこが安心して読める、一般向きの著作として先へ、先へとページをめくるのが愉しくなってくる理由だろう。

わたしはかつて、中央公論社のベストセラー「日本の歴史」を愛読した。
箱入りのハードカバーでも読んだし、文庫でも数冊読みなおしている。いま調べてみたら、全26巻別巻(図録)5である。「世界の歴史」シリーズとならび、非常に評価の高い、一時代を画した歴史叢書である。
ただし、1964年から67年ころにかけてもの。いささか古びてしまった知見が、どうしても気になる。それに比較し、小学館の「日本の歴史」は1975~75年にかけての出版となる。この約10年の差をどう考えるかの問題だが(-_-;)

第16巻は、徳川家康の一代記である。ただし、小説家が書いたフィクションではなく、歴史家が書いた一代記。うるさくない程度に、同時代の資料や、後世からの評価がちりばめられている。そこからじんわりと浮かび上がるのは、いわば“家康の偉大さ”であろう。戦国大名・戦術家として一流であったばかりでなく、政治家としても比肩する者のない、卓越した存在が、家康であった。
現代に蘇ったとしてはたしてどうか・・・、ということをかんがえながらの読書であった。むろん、一流の存在であることは疑いようがない。
武家の世となってからは源頼朝とならび、日本史史上、二大政治家が、徳川家康なのだ。

北島正元さんは、冷静な筆致で、淡々と記述してゆく。感情は表にあらわさない。家康も人間的にはきわめて辛口であるが、北島さんも辛口である。いうまでもなく、徳川時代の基本設計者は家康である。
そのことが、ページをめくりながら、じわじわと読者につたわってくる。現在でも十分読むにたえる、すぐれた一冊。

大石慎三郎さんの「幕藩制の転換」は、わたしにはとてもおもしかったが、ほかに尾藤正英さんによる「元禄時代」も、秀抜な著作! うっかりいていると、時間がたつのを忘れるほど。真夜中まで読みふけった(゚ω、゚)
「元禄時代」では「藩政の確立」「徳川光圀の『大日本史』」「将軍綱吉」「赤穂義士」といった章は興味深かった。わたしがほとんど知らない歴史的事実を、たくさん教えてもらった。通史の記述として、バランスがとれたもので、小首をかしげたくなるようなページはなかった。

前置きが長くなったが、ここからは中国史、本日のお題、「ファーストエンペラーの遺産」と「モンゴル帝国と長いその影」である。


■「ファーストエンペラーの遺産 秦漢帝国」鶴間和幸(中国の歴史03 講談社2004年刊)


ハードカバーで486ページ(索引ふくむ)におよぶ、持ち重りのする本である。
鶴間さん、きっとねじり鉢巻きでとっくんだに違いない。
執筆に何年を要したか、渾身の作だと思われた。
1990年代の末から、中国では考古学的な新発見があいついだ。一番有名なのは1974年から発掘がはじまった始皇帝の兵馬俑である。
これはNHKでも民放でも特番が組まれ、中国史にさしたる関心がない一般の視聴者にもアッピールした(´v’) 中国まで出かけ、兵馬俑を観光してきたという知り合いが、わたしの周辺に二人もいる。

簡牘(かんとく)というのをご存じだろうか。本書では、鶴間教授は冒頭、湖南省の古井戸から、3万6千枚におよぶ簡牘が発見されたという記述から書きはじめている。「史記」のような後代の史書ではなく、同時代の竹簡・木簡のたぐいは、これまでの知見をまるでひっくり返すほどの“同時代資料”である。
そういった新発見の考古学的研究を横目で見ながら(解読に何年もかかる)、始皇帝の像を丁寧に解きほぐしてゆく。

想像のなかのファーストエンペラーではなく、実在したであろう始皇帝が、あぶり出しのように、読みすすめるにしたがって浮かび上がってくるさまは、手に汗にぎるおもしろさ。
そこから、秦、漢帝国400年の歴史が幕をあける。
中国の古代王朝といえば、秦、そしてそれを引き継いだ前漢、後漢ということになる。
前漢の武帝は、始皇帝とならぶ「帝王のなかの帝王」にふさわしい存在である。

鶴間先生は、それから、しかし、だから、したがって、すなわち、とはいえ・・・等の接続詞をめったに使わないので、しばし戸惑うところもある。これはこの先生の書き癖なのである。
100ページほど読みすすめれば慣れてくるが、それまでは微妙な違和感に悩まされた。

以前、鶴間和幸さんは岩波新書の「人間・始皇帝」を手に取ったことがあった。しかし、そのときはこの文章の違和感のため、途中で挫折。
「ファーストエンペラーの遺産 秦漢帝国」2004年
「人間・始皇帝」2015年
このおよそ10年のあいだに読み解かれた成果が、後者には盛り込まれているという。
もう一遍、元に戻って岩波の「人間・始皇帝」を手に取ってみよう。
これまで読んできた中国史関連図書のなかでもピカ一のおもしろさ! 講談社「中国の歴史」は、文庫本でも刊行が開始されている。いくらかは加筆・修正がおこなわれている巻もあるだろう。

日本史と中国史。
しばらくはこのあたりを徘徊することになるだろう。


評価:☆☆☆☆☆


■「モンゴル帝国と長いその影」杉山正明 興亡の世界史 講談社学術文庫(単行本では2008年刊)


こちらは一昨日読み終えたばかり。日本におけるモンゴル史研究の第一人者としてお名前は存じ上げていたが、鶴間先生の場合と同じく、読了したのはこれが最初の一冊。

講談社の“興亡の世界史”シリーズは、これまで数冊読んでいるし、未読のものも手許にある。なかでは羽田正さんの「東インド会社とアジアの海」の印象は鮮やかで、エキサイティングな秀作だった。レビューを書いているので、検索すれば読むことができる。
本書「モンゴル帝国と長いその後」も、途中までは「目からウロコ」といえる興味深い内容を備えている。

杉山正明さんは京大の名誉教授。おそらくモンゴル語、ペルシャ語などにご堪能な当代一流の研究者である。「モンゴルの歴史について、ご高説を拝聴する」といえばこの先生、自他ともに許す第一人者といえる。
感情の振幅が大きく、しばしば大げさな表現が鼻につくが、ご自身が大きな身振りをしないと周囲の研究者に十分理解してもらえないと思っているのだろう。

モンゴルのユーラシア制覇によって世界史が誕生したとは、この杉山先生あたりがいい出しっぺであるのか?
世界史のこれまでの記述で、スペイン、ポルトガルによるいわゆる大航海時代ばかりが注目されているのが許せないのであろう。それより数百年前に、モンゴルの制覇と支配の時代があったのだ。アフロ・ユーラシアという耳なれぬことばがよく登場する。
それはユーラシアばかりでなく、アフリカ大陸の北半をふくめた陸の領域を指している。つまりモンゴル帝国の最大版図をいいたいがための表現である(゚ω、゚)

・チンギス・カーン登場以前のユーラシア
・クビライ時代のモンゴル

この地図二つを比較対照すれば、モンゴル帝国の大版図が、いかに画期的なものであったか、だれにでもわかる! モンゴルがユーラシアを、一つの支配域としてむすびつけたのである。
それまでは、正しい意味の世界史は存在せず、バラバラな地域史があっただけということになる。ユーラシアの“東西交通”が、公式に幕開けしたのである。
大元ウルス 東
チャガタイ・ウルス 中央
ジョチ・ウルス 北西
フレグ・ウルス 南西

これらの大帝国が、モンゴルの兄弟・一族によって、創出され、西ヨーロッパと、アフリカの南半分をのぞき、一つの世界としてまとまったのだ、というのである。
本書ではイラン、イラク、中東方面を支配したフレグ・ウルスについて、多くのページを費やしている。資料が豊富で、精度の高い再現が可能となっているのだ。
そのあたりが一番おもしろく、興奮させられる(^^♪

問題があると思われるのは、「終章 アフガンからの眺望」だな。
最後にいたって、勇み足となったような気がする。歴史の本だったはずが、批評家の論説になってしまった。ひとりよがり・・・といってもいいだろう。内容的には、第7章「『婿どの』たちのユーラシア」で、歴史記述は終わっている。
あとがきも感心できないなあ。
5点満点にしたかったのに、フィニッシュでこけてしまった。

杉山正明先生には、サントリー学芸賞を受賞した「フビライの挑戦」というご著書があるので、つぎにはそれを手に入れて読んでみよう♪
大風呂敷を拡げすぎてあちこちたわんでしまった本より、領域を絞りこんで的を正確に射抜いた本の方が、読後感は爽やかである。
生意気だが、惜しい一冊・・・といっておこう。



評価:☆☆☆☆

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