二草庵摘録

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伊藤整「小説の方法・小説の認識」

2008年02月05日 | エッセイ(国内)
 明治、大正、昭和の文学に関心があるなら、伊藤整(1905~1969年)のこの本の存在を知らない人は少ないだろう。大学にもよるが、近代文学を専攻するような人にとって「必読の書」、あるいは基本文献としてあつかわれているのではないかと想像する。しばらく書店の棚から姿を消していたらしいが、数年前、岩波文庫に収められているのを眼にした。戦前では、正宗白鳥や小林秀雄の評論が尊重されていたが、折々の印象に基づいて単発的に発表された短文ばかりで、本書のような体系的な「理論」を目指したものではなかった。
 「小説の方法」は序文および、個別に発表された12の評論と「付随的な推定群」からなり、昭和23年、河出書房から刊行された。また「小説の認識」は序文のほか、11編のこれも個々に雑誌に発表された評論からなり、昭和30年、河出新書の一冊として上梓されたものであった。

 フローベルや二葉亭四迷の研究家で知られ、のち激烈な私小説批判を展開した中村光夫の「風俗小説論」は昭和25年に上梓されている。このころ、文芸批評家による近代文学批判はたいへん活発で、ほかに平野謙「芸術と実生活」福田恒存「作家の態度」などがつぎつぎ出版され、後世に大きな影響をあたえることとなった。わたしも二十代に「作家の態度」以外はひととおり眼を通している。
 雄大で緻密というのではないが、本書は坪内逍遙、二葉亭四迷からはじまり、田山花袋、島崎藤村、徳田秋声、正宗白鳥らの日本自然主義文学はいうまでもなく、鴎外、漱石、芥川ら知識人の文学や、志賀直哉を頂点とする私小説をも包括する、たいへんすぐれた鳥瞰図を提出している。「小説の認識」は「小説の方法」以降、平野謙や中村光夫らの論考を取り込みながら、理論を深化させ、徹底化をはかるとともに、「組織と人間」など、あらたな観点も導入したいわば続編。前著と比べて、経過した7年間の理論的なゆれは多少あるものの、全体としては首尾一貫した、驚くべき文学理論たりえている。 

 考えようによっては、これは非常なドグマの書として、文学的な「毒」をたっぷりふくんでいるようにも思える。というのは、この「伊藤理論」を読んだ者は、もはやこの理論からはなれてわが国の近代文学を読めなくなるであろうということである。そういう意味で「劇薬」にも等しい作用をする評論集である。わたしなども、二十代で読んで、その後ずいぶん長い間、この書の提示する「読み筋」から自由にはなれなかったし、現在もそうだといっていい。つまり、二十一世紀の現代から振り返っても、じつに独創的な卓見に満ちているのである。鳥瞰図といっても、著者は大所高所から傍観的に近代の小説家を解剖しているわけではない。平野や中村はあくまで評論家として明治以降の小説を批判したが、伊藤は自身がまず、小説家であった。「肉を切らして骨を断つ」とでもいってみたくなる批判の刃は、当然諸刃の剣となっているのが見てとれる。伊藤はこの日本では、西欧でいうところの近代小説など成立しないのではないかという懐疑から出発している。たとえば、田山花袋の「蒲団」にはじまるわが国の自然主義は、フローベル、ゾラ、モーパッサンなどを手本としながら、そういった小説世界とは違った作品群を生み出して、その使命を終わった。伊藤は自然主義諸作家、白樺派、プロレタリア文学の人々をほとんど例外なくとらえている「無の思想」に注目しつつ、つぎのように述べる。

<我々は神の代わりに無を考えることによって安定しているのである。考える力がないのではない。考える必要を感じないでバランスを保っているに過ぎない。無の絶対は神の絶対と同じように強いものである。>(「近代日本人の発想の諸形式」)
これはわれわれが、小説の何に対して感動し、共感を覚えているかを問うたものあった。自分だけの、固有のものと考えている「感動と共感」も、歴史的・文化的な所産以外のなにものでもない、と。実例をあげての論証が十分に展開されているとはいえず、ところによっては説得力が乏しい憾みはあるが、わたしが読み得たかぎりでは、伊藤理論は全体としてすばらしい成果をあげていると思われる。
 また島崎藤村の文体を日本固有の挨拶のことばであるとし、その本質を見抜いている。たとえどのような知識人であろうと、日常のなかで、社会から浮き上がらず他人と折りあいをつけながら生活をしようと考えたら、島崎藤村が用いたような、遠まわしな、非論理的、因習的環境を受け入れざるをえない、と。これは一面からは、よくいわれる「社会」と「世間」の落差といってもよかろう。

「内なる声と仮装」「「物語の発想」「芸による認識」「日本的人格美学」といったタイトルを眺めただけで、伊藤のアイデアが秀抜であったことがわかる。またのち「求道者と認識者」を書いている。
ここには収められてはいないが、伊藤には有名な「仮面紳士と逃亡奴隷」というエッセイもあり、このキーワードから解き明かされる西欧と日本の比較文学論は、いうまでもなく、その後のわが国の文芸批評に決定的な影響をあたえている。
そこで彼は、つぎのような設問をみずからに向かって発している。

 1.小説とは何か。
 2.日本人は小説のどういう所に感動するか。
 3.小説の実質は思想にあるか、散文の造型にあるか。
 4.小説と他の芸術とは本質的に違うか。
 5.違うとすれば、どこが違うか。
 6.ヨオロッパの小説と日本の小説との違いはどこにあるか。
 7.小説は進化するか。
 8.進化するとすれば、どんな方向にであるか。
 9.倫理的な現実処理と小説とは違うか。
10.日本やヨオロッパの小説は作者の生活環境とどういう関係を持つか。
11.スタイル探求と倫理の探求とは小説にどのように関係するか。
 (「仮面紳士と逃亡奴隷」より)

 彼は愚直ともみえるこのような問題意識をかかえて、それに誠実に答えようとして、後に伊藤理論と呼ばれることとなる一連の論考を世に問うたのである。しかし、彼の真面目は、ロレンス、ジョイスの研究紹介やこういった論考を残しただけにとどまらず、「チャタレイ裁判」をたたかい、悪戦苦闘しながら、「わが国における二十世紀の小説」を模索し続けたところにある。二十代で「変容」を読んで、わたしはあの息苦しい、醜悪な人間像と、男女のあいだに横たわる性の深淵に辟易したものだが、「鳴海仙吉」や「氾濫」「変容」は、伊藤理論を踏まえて生み出されているのは明らかであった。彼は漱石の「明暗」を、この段階で、日本が持ち得た唯一の二十世紀小説と規定し、たいへん高く評価している。いまのわたしは「変容」が(この一作だけではないかも知れないが)まさに「明暗」の延長上に展開された小説であることを疑わない。怜悧な批評精神にめぐまれ、ヨーロッパの新文学に通暁した伊藤のような知識人にとって、伊藤理論を踏まえてなお、生み出されなければならない小説とは何であったのか。トルストイは晩年には小説を書かなくなったし、あの司馬遼太郎さんすら、ほとんど小説の筆を折ってしまっているが、年譜を参照すると、伊藤整は死の直前まで書き続けていたらしい。

 わたしがこの本を思い出したのは、去年あたりから日本の私小説をいくつか、現代の視点から読み直してみたいと願うようになったからであった。自然主義と私小説は、いまとなっては、不完全な「負の遺産」でしかないのか? その回答のひとつがここにある。伊藤は決して、ただ一方的にこういった「遺産」を切り捨ててはいないことがわかったからである。そうだとしたら、あの浩瀚な「日本文壇史」を営々として書き続けることなどありえない。
わたしは、村上龍の「限りなく透明に近いブルー」あたりを最後として、現代文学への関心を失ってしまった。したがって、本書がそういった現代文学を読み解くうえで、どういった有効性があるか、判断することができない。変わったのは、1940年代、50年代には「純文学」神話が存在したが、いまはそれが崩壊し、「尊敬すべき芸術家」としての評価が相対化されて、いろいろな職能集団の一種となったことであろうか。むろん、伊藤は本書執筆過程で、「売文の徒」としての小説家に対して、容赦ないメスをふるっているが・・・。
 まあ、むずかしく考えても仕方ないから、本書をかたわらに置きながら、いつのまにか集まってしまった明治、大正、昭和の小説を少しずつ素直に読んでみたいと、ただそれだけである。

 終わりに、本書に解説を書いている奥野健男さんのひとことを紹介しておこう。
1.「文学論」夏目漱石
2.「小説の方法・小説の認識」伊藤整
3.「言語にとって美とはなにか」吉本隆明
これが、日本人によって書かれた、包括的な三大文学理論である、というが、いまのわたしには、反論の余地はない。
 いずれにせよ、本書はまぎれもなく、戦後文学史に残る金字塔であるといっておこう。

伊藤整「小説の方法・小説の認識」講談社名著シリーズ>☆☆☆☆★

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