(こういうスナップが撮れると、しばらくのあいだイイ気分にひたれる)
写真術。
その中心に存在するのは、スナップショットという撮影の手法である。アンリ・カルティエ=ブレッソンというフランス、パリ在住の写真家が、小型軽量のバルナック型ライカを使って、たくさんの秀作を世に送り出したことは、写真史に少しでも関心があれば、知らない人はいない。活動を開始したのは1930年代。
しかし、第二次大戦の影響もあって、写真集がまとめられたのはずっと遅く、1952年。
『決定的瞬間』(英題:The Decisive Moment「決定的瞬間」の意、仏原題:Image à la sauvette「逃げ去る映像」の意)が、歴史に刻まれたそのタイトル。
人間は、これによって、新しいまなざしを手に入れたのである。
スナップショットは、動きやまない人びとの活動のある瞬間を、ストップモーションとして切り取り、見る者(鑑賞者)に提示する。
そこからなにを看取するかは、基本的に見る者にゆだねられる。なにを感じ、なにを考えるかは自由だけれど、より深く鑑賞眼を働かせるには、ある程度基礎知識、教養を必要とする。少なくともわたしは、そう思っている。
ゴールデンウィークで、わたしは桐生市に二回、藤岡市に一回、ローライフレックス3.5Fという二眼レフを抱えて(抱えるという表現がぴったり)出かけた。
ブローニーフィルムの現像には、かなり時間がかかる。
ようやくスキャンナップを了えたので、何枚かここにPIC-UPしてみよう♪
トップにあげたのは藤岡市で撮影している。藤が丘という公園は、市民憩いのスポット。藤の名所で、とくに連休中は多くの行楽客で賑わう。
これもそのとき撮影。階段を下りてくる親子連れに、わたしの眼が吸い寄せられた。
お若いママが着ている横縞のシャツに、視神経が反応したのだろう。
突然眼の前にあらわれ、去っていった女性。
黒を基調にした個性的なファッション、赤い口紅が、最新型の小型車みたいで、眼を奪われた。
こちらは桐生市で開催されたふれあい祭りの一こま。
なにを売っていらしたのか、覚えていない。歯科衛生士さんが着用するようなピンクの前掛けとステキな笑顔。ピントは後ろの女性に合っている。
これもふれあい祭り。
くっきりした個性のお二人の若いママがステキだった。自然な表情、しぐさが撮りたかったから、むろんお声はかけていない。シャッターを押した直後、左の女性から「あ、いま写真撮った?」と話しかけられたので、「はい」といって会釈したら「ありがとうございます」といわれた。
さてつぎの二枚は、広い意味でのポートレイト。
男性たちはガードがかたく、撮影しずらいので、「写真を撮らせて下さい」と頼んで立ち止まっていただいた。
帽子をかぶり、サングラスをかけ、赤い自転車に乗っていたとてもファッショナブルなお父さんとは、この場所でカメラ談義(*^-^) 胸からぶら下がっているのは、レンズユニット交換式というユニークな仕様のリコーのGXR。ライカマウントも持っているとおっしゃっていた。
フジのX-T2を持って、埼玉県からスナップを撮りにきていらしたお父さん。
装着レンズはたしか、XF23ミリF2。「ちょっと短すぎて使いにくい。つぎは35ミリのF1.4かF2を買おうと思っている(フジのXシリーズ35ミリは換算50ミリ)」といいながら、撮れたてほやほやの一枚を、この場で見せて下さった。
地元紙のコンテストにでも応募するための作品づくり・・・というわけだ。
レンズ交換のできない二眼レフという、一見とても不自由なこのカメラは、「置きピン」という手法さえ身につければ、スナップに最適なカメラだと、わたしは思っている。アイレベルのファインダーでは、被写体を直視することになる。当然のごとく、警戒心を呼び起こしてしまうのだ。
かつてこう書いたことがある。
《まだたいして撮影はしていないけれど、この二眼レフをネックストラップでさげて、街角に立って現実を眺める。そのときわたしの身体は、他人あるいは被写体からみると、まるで半透明のように静かな気配につつまれている。
通行人はわたしの存在に気がつかないかのように、通過していく。
もう40年も写真を撮っているというのに、二眼レフがもたらすこの静かな気配、なんともいえない静謐感ははじめての経験となる。
わたしの存在に気がつかないかのように・・・キーワードは、たぶん、そこにある。》
はじめて二眼レフヤシカを買ったとき、わたしはすぐに、このことに気が付いた。
一昨年あたりから話題となったV・マイヤーの写真群が、わたしの直観が正しかったことを、じつに見事に実証してくれた♪
■二草庵摘録
http://blog.goo.ne.jp/nikonhp/e/02a7ac05e5fe84f0853a324d281ad2dc
(人物写真の二次使用はかたくお断りいたします)
写真術。
その中心に存在するのは、スナップショットという撮影の手法である。アンリ・カルティエ=ブレッソンというフランス、パリ在住の写真家が、小型軽量のバルナック型ライカを使って、たくさんの秀作を世に送り出したことは、写真史に少しでも関心があれば、知らない人はいない。活動を開始したのは1930年代。
しかし、第二次大戦の影響もあって、写真集がまとめられたのはずっと遅く、1952年。
『決定的瞬間』(英題:The Decisive Moment「決定的瞬間」の意、仏原題:Image à la sauvette「逃げ去る映像」の意)が、歴史に刻まれたそのタイトル。
人間は、これによって、新しいまなざしを手に入れたのである。
スナップショットは、動きやまない人びとの活動のある瞬間を、ストップモーションとして切り取り、見る者(鑑賞者)に提示する。
そこからなにを看取するかは、基本的に見る者にゆだねられる。なにを感じ、なにを考えるかは自由だけれど、より深く鑑賞眼を働かせるには、ある程度基礎知識、教養を必要とする。少なくともわたしは、そう思っている。
ゴールデンウィークで、わたしは桐生市に二回、藤岡市に一回、ローライフレックス3.5Fという二眼レフを抱えて(抱えるという表現がぴったり)出かけた。
ブローニーフィルムの現像には、かなり時間がかかる。
ようやくスキャンナップを了えたので、何枚かここにPIC-UPしてみよう♪
トップにあげたのは藤岡市で撮影している。藤が丘という公園は、市民憩いのスポット。藤の名所で、とくに連休中は多くの行楽客で賑わう。
これもそのとき撮影。階段を下りてくる親子連れに、わたしの眼が吸い寄せられた。
お若いママが着ている横縞のシャツに、視神経が反応したのだろう。
突然眼の前にあらわれ、去っていった女性。
黒を基調にした個性的なファッション、赤い口紅が、最新型の小型車みたいで、眼を奪われた。
こちらは桐生市で開催されたふれあい祭りの一こま。
なにを売っていらしたのか、覚えていない。歯科衛生士さんが着用するようなピンクの前掛けとステキな笑顔。ピントは後ろの女性に合っている。
これもふれあい祭り。
くっきりした個性のお二人の若いママがステキだった。自然な表情、しぐさが撮りたかったから、むろんお声はかけていない。シャッターを押した直後、左の女性から「あ、いま写真撮った?」と話しかけられたので、「はい」といって会釈したら「ありがとうございます」といわれた。
さてつぎの二枚は、広い意味でのポートレイト。
男性たちはガードがかたく、撮影しずらいので、「写真を撮らせて下さい」と頼んで立ち止まっていただいた。
帽子をかぶり、サングラスをかけ、赤い自転車に乗っていたとてもファッショナブルなお父さんとは、この場所でカメラ談義(*^-^) 胸からぶら下がっているのは、レンズユニット交換式というユニークな仕様のリコーのGXR。ライカマウントも持っているとおっしゃっていた。
フジのX-T2を持って、埼玉県からスナップを撮りにきていらしたお父さん。
装着レンズはたしか、XF23ミリF2。「ちょっと短すぎて使いにくい。つぎは35ミリのF1.4かF2を買おうと思っている(フジのXシリーズ35ミリは換算50ミリ)」といいながら、撮れたてほやほやの一枚を、この場で見せて下さった。
地元紙のコンテストにでも応募するための作品づくり・・・というわけだ。
レンズ交換のできない二眼レフという、一見とても不自由なこのカメラは、「置きピン」という手法さえ身につければ、スナップに最適なカメラだと、わたしは思っている。アイレベルのファインダーでは、被写体を直視することになる。当然のごとく、警戒心を呼び起こしてしまうのだ。
かつてこう書いたことがある。
《まだたいして撮影はしていないけれど、この二眼レフをネックストラップでさげて、街角に立って現実を眺める。そのときわたしの身体は、他人あるいは被写体からみると、まるで半透明のように静かな気配につつまれている。
通行人はわたしの存在に気がつかないかのように、通過していく。
もう40年も写真を撮っているというのに、二眼レフがもたらすこの静かな気配、なんともいえない静謐感ははじめての経験となる。
わたしの存在に気がつかないかのように・・・キーワードは、たぶん、そこにある。》
はじめて二眼レフヤシカを買ったとき、わたしはすぐに、このことに気が付いた。
一昨年あたりから話題となったV・マイヤーの写真群が、わたしの直観が正しかったことを、じつに見事に実証してくれた♪
■二草庵摘録
http://blog.goo.ne.jp/nikonhp/e/02a7ac05e5fe84f0853a324d281ad2dc
(人物写真の二次使用はかたくお断りいたします)