谷川俊太郎の「定義」という詩集に「なんでもないものの尊厳」という作品があった。
そのことばは、もう何十年ものあいだ、わたしの心に食い込んで、時折思い出されるある種のキーワードとなっている。
その一部分だけでも引用しようかと思ってググってみたが、この作品は見つけられなかった。谷川さんは著作権問題にうるさい方だから、読者はひかえているのかも知れない。
まあ、イメージをインスパイアされ、ずっと胸の奥にとどまっているのはこの一語なので、それはいいとしよう。
なんでもないもの・・・ありふれた被写体。
なんでもない場所・・・空き地やがらんとした道。
説明的にいえば、そんな表現になるだろう。
なぜそこにレンズを向け、シャッターを押したのか?
あとになってみると、よくはわからない写真がある。
なんでもないのに、なぜか惹かれる。わたしや「イイネ!」マークをつけてくれた人の無意識が、ぼんやりと映し出されているようにも思われる。
たとえば、この4枚。
なんでもないものや場所なのに、棄てずに残したのは・・・ある意味で、単写真ではなく、組写真として考えてのことといっていい。
写真集などは、右ページ、左ページでセットとなるケースがよくある。
その場合、組み合わせる「もう一枚」とcorrespond(照応)することで、
つまらない一枚が、突如おもしろく見えることがある。
しかし・・・こうして単に取り出してみると「無内容だなぁ」とおもわれもするし、「空虚が主題だ」と受け止めることもできる。ことばと違って、写真は限定的な力があると同時に、非限定的な力があるのだ。
どうしてもことばが欲しいなら、「存在感」といってすませず、谷川さんのようにもうひとひねり――なんでもないもの(場所)の尊厳といえば、ぴったりくる。
尊厳のひとことに、何十ものニュアンスがこめられている。
どんなものだろう(?_?)
そのことばは、もう何十年ものあいだ、わたしの心に食い込んで、時折思い出されるある種のキーワードとなっている。
その一部分だけでも引用しようかと思ってググってみたが、この作品は見つけられなかった。谷川さんは著作権問題にうるさい方だから、読者はひかえているのかも知れない。
まあ、イメージをインスパイアされ、ずっと胸の奥にとどまっているのはこの一語なので、それはいいとしよう。
なんでもないもの・・・ありふれた被写体。
なんでもない場所・・・空き地やがらんとした道。
説明的にいえば、そんな表現になるだろう。
なぜそこにレンズを向け、シャッターを押したのか?
あとになってみると、よくはわからない写真がある。
なんでもないのに、なぜか惹かれる。わたしや「イイネ!」マークをつけてくれた人の無意識が、ぼんやりと映し出されているようにも思われる。
たとえば、この4枚。
なんでもないものや場所なのに、棄てずに残したのは・・・ある意味で、単写真ではなく、組写真として考えてのことといっていい。
写真集などは、右ページ、左ページでセットとなるケースがよくある。
その場合、組み合わせる「もう一枚」とcorrespond(照応)することで、
つまらない一枚が、突如おもしろく見えることがある。
しかし・・・こうして単に取り出してみると「無内容だなぁ」とおもわれもするし、「空虚が主題だ」と受け止めることもできる。ことばと違って、写真は限定的な力があると同時に、非限定的な力があるのだ。
どうしてもことばが欲しいなら、「存在感」といってすませず、谷川さんのようにもうひとひねり――なんでもないもの(場所)の尊厳といえば、ぴったりくる。
尊厳のひとことに、何十ものニュアンスがこめられている。
どんなものだろう(?_?)