(左はトールサイズの、右は旧版の表紙)
■ジャック・ヒギンズ「死にゆく者への祈り」井坂清訳(ハヤカワNV文庫 1982年)活字が大きく読みやすい<トールサイズ> 原本は1973年
小説全体にバッハのオルガン「プレリュードとフーガ ニ長調」などが鳴り響く♬
そしていつまでもやまない雨。この作品は、情念がメラメラと燃えているような一篇である。
なぜか、読み了えるまで、ずいぶん時間を要した、通常の倍・・・くらい( -ω-)
複数の主人公。その一方のマーチン・ファロンは、テロリストでありなら、オルガンの名手なのだ。必要にせまられ、愛銃チェスカを使って、ミーアンの手下どもをつぎつぎ殺してゆく。
本編の最後の場面で「死にゆく者への祈り」というタイトルの真の意味がわかる。乾いたヒロイズムが、大袈裟な身振りやセリフを浸している。
「ちょっと臭えなあ」「あんたそんなこと、口に出していうのか?」
その種のことばが洪水のようにあふれているが、ヒギンズは意に介しない。
このところしばらく警察小説等のミステリにはまっていた。
しかし・・・冒険小説を久しぶりに読んでみたくなったのだ。
かなり古めかしいが、これ「冒険・スパイ小説ハンドブック」(早川書房 1995年)が参考書。
(本編は冒険小説ベスト30の16位にランクインしている)
西暦でいうと、2000~2006年のころ、内藤陳さんの本や「冒険・スパイ小説ハンドブック」に、ずいぶんお世話になった(^ε^)
このたびハヤカワの“活字が大きく読みやすい<トールサイズ>”を手に入れたので、この機会に読んでみようと思いたった。アリステア・マクリーンやギャビン・ライアルなど選択肢がいくつかあったが、結局「死にゆく者への祈り」になった。
ヒギンズはこれまで「鷲は舞い降りた」「脱出航路」の2巻と、ほかに何だったか忘れたけれど、1~2冊は読んでいる。
その理由の一つが、ジャック・ヒギンズ名義のほか、マーティン・ファロン名義を使って、何作か小説を書いていること。これはもちろん「死にゆく者への祈り」の一登場人物なのだ。
以前、冒険小説に夢中になったころ、ヒギンズの作品はハヤカワNV文庫から、11~12冊以上刊行されていた。しかし、2023年現在では「鷲は舞い降りた」「死にゆく者への祈り」「鷲は飛び立った」の3篇がかろうじて残っているのみという淋しさ。
あれほどたくさんいたヒギンズ・ファンはどこへいったのだろう(´Д`;)
(さっき調べたら、ヒギンズは13冊もストックしてあった)
《元IRA将校のおたずね者マーチン・ファロンは、逃亡用のパスポートや切符と引換えに殺しの依頼を請負った。仕事自体は簡単にすんだ。が、たまたま現場に居合せた神父とその姪のため、やがて彼は冷酷な依頼主と対決するはめに……。拳銃だけをよすがに血と暴力の世界をさすらう一匹狼の姿を熱く謳い上げる!》ハヤカワオンラインのデータベースより
元IRAのおたずね者マーチン・ファロンと、カトリックの神父マイケル・ダコスタ。そして葬儀社を経営するジャック・ミーアンの3人を軸に、人殺しの峻烈な物語が展開される。
善人・悪人で単純に二分されていないのが、ヒギンズを大人の読み物にしている。
さらに雨、雨、雨。
物語の背景は、雨とバッハのオルガンに塗りつぶされている。印象に刻み込まれるような女性が2人登場する。しかし、彼女たちは物語をリードすることはない。あくまで受け身で、アシスタント役。ダコスタ神父の姪アンナ・ダコスタが盲目であることが、この小説の深部を支えている。
男たちのシニカルな会話の応酬、二人の主役・ダコスタとファロンの、女たちとの感傷的なストーリー展開、さらに突然の場面転換が小粋なテンポですすむ。うーん、“技あり”といいたいシーンが次からつぎ出てくるのだ。
英国の冒険小説がかつて熱心に読まれ、そのドライなテイストに範をとった和製冒険小説が氾濫して、たちまち忘れられていったのだろうと邪推したくなる。
長くなって申し訳ないが、本編から1か所のみ引用させていただく♪
《グリムズダイクの湿地帯は河口にあって、海岸の入江や沼が続き、人間の背丈より高い葦に覆われた薄暗い、荒涼とした荒地だ。歴史はじまって以来、ローマ人、サクソン人、デーン人、ノルマン人と、人々は次々と目的をいだいてこの地にやってきたが、いまは亡霊たちが住むにすぎない。
ダイシャクシギやアカアシシギ、そして冬の間だけシベリアからこの湿地帯に南下してくるクロガンなど、鳥たちが幅をきかす別世界である。
二人は感じのいい小さな村を通り過ぎた。家が三、四十軒にガレージとパブをかねた店が一つ、すぐに村はずれに出た。
雨足は激しさを増し、海からの風が雨を吹き流して湿地全体を雲のように覆っていた。》トールサイズ版284ページ 引用者による改行あり
訳者の井坂清さんは1932年のお生まれのようだが、日本語の訳文は少しも古さを感じさせないすぐれもの。
むろんヒギンズにヒロイズムは切り離せない。そこが鼻につくという読者は、ヒギンズとは縁なき衆生であろう。
評価:☆☆☆☆☆
■ジャック・ヒギンズ「死にゆく者への祈り」井坂清訳(ハヤカワNV文庫 1982年)活字が大きく読みやすい<トールサイズ> 原本は1973年
小説全体にバッハのオルガン「プレリュードとフーガ ニ長調」などが鳴り響く♬
そしていつまでもやまない雨。この作品は、情念がメラメラと燃えているような一篇である。
なぜか、読み了えるまで、ずいぶん時間を要した、通常の倍・・・くらい( -ω-)
複数の主人公。その一方のマーチン・ファロンは、テロリストでありなら、オルガンの名手なのだ。必要にせまられ、愛銃チェスカを使って、ミーアンの手下どもをつぎつぎ殺してゆく。
本編の最後の場面で「死にゆく者への祈り」というタイトルの真の意味がわかる。乾いたヒロイズムが、大袈裟な身振りやセリフを浸している。
「ちょっと臭えなあ」「あんたそんなこと、口に出していうのか?」
その種のことばが洪水のようにあふれているが、ヒギンズは意に介しない。
このところしばらく警察小説等のミステリにはまっていた。
しかし・・・冒険小説を久しぶりに読んでみたくなったのだ。
かなり古めかしいが、これ「冒険・スパイ小説ハンドブック」(早川書房 1995年)が参考書。
(本編は冒険小説ベスト30の16位にランクインしている)
西暦でいうと、2000~2006年のころ、内藤陳さんの本や「冒険・スパイ小説ハンドブック」に、ずいぶんお世話になった(^ε^)
このたびハヤカワの“活字が大きく読みやすい<トールサイズ>”を手に入れたので、この機会に読んでみようと思いたった。アリステア・マクリーンやギャビン・ライアルなど選択肢がいくつかあったが、結局「死にゆく者への祈り」になった。
ヒギンズはこれまで「鷲は舞い降りた」「脱出航路」の2巻と、ほかに何だったか忘れたけれど、1~2冊は読んでいる。
その理由の一つが、ジャック・ヒギンズ名義のほか、マーティン・ファロン名義を使って、何作か小説を書いていること。これはもちろん「死にゆく者への祈り」の一登場人物なのだ。
以前、冒険小説に夢中になったころ、ヒギンズの作品はハヤカワNV文庫から、11~12冊以上刊行されていた。しかし、2023年現在では「鷲は舞い降りた」「死にゆく者への祈り」「鷲は飛び立った」の3篇がかろうじて残っているのみという淋しさ。
あれほどたくさんいたヒギンズ・ファンはどこへいったのだろう(´Д`;)
(さっき調べたら、ヒギンズは13冊もストックしてあった)
《元IRA将校のおたずね者マーチン・ファロンは、逃亡用のパスポートや切符と引換えに殺しの依頼を請負った。仕事自体は簡単にすんだ。が、たまたま現場に居合せた神父とその姪のため、やがて彼は冷酷な依頼主と対決するはめに……。拳銃だけをよすがに血と暴力の世界をさすらう一匹狼の姿を熱く謳い上げる!》ハヤカワオンラインのデータベースより
元IRAのおたずね者マーチン・ファロンと、カトリックの神父マイケル・ダコスタ。そして葬儀社を経営するジャック・ミーアンの3人を軸に、人殺しの峻烈な物語が展開される。
善人・悪人で単純に二分されていないのが、ヒギンズを大人の読み物にしている。
さらに雨、雨、雨。
物語の背景は、雨とバッハのオルガンに塗りつぶされている。印象に刻み込まれるような女性が2人登場する。しかし、彼女たちは物語をリードすることはない。あくまで受け身で、アシスタント役。ダコスタ神父の姪アンナ・ダコスタが盲目であることが、この小説の深部を支えている。
男たちのシニカルな会話の応酬、二人の主役・ダコスタとファロンの、女たちとの感傷的なストーリー展開、さらに突然の場面転換が小粋なテンポですすむ。うーん、“技あり”といいたいシーンが次からつぎ出てくるのだ。
英国の冒険小説がかつて熱心に読まれ、そのドライなテイストに範をとった和製冒険小説が氾濫して、たちまち忘れられていったのだろうと邪推したくなる。
長くなって申し訳ないが、本編から1か所のみ引用させていただく♪
《グリムズダイクの湿地帯は河口にあって、海岸の入江や沼が続き、人間の背丈より高い葦に覆われた薄暗い、荒涼とした荒地だ。歴史はじまって以来、ローマ人、サクソン人、デーン人、ノルマン人と、人々は次々と目的をいだいてこの地にやってきたが、いまは亡霊たちが住むにすぎない。
ダイシャクシギやアカアシシギ、そして冬の間だけシベリアからこの湿地帯に南下してくるクロガンなど、鳥たちが幅をきかす別世界である。
二人は感じのいい小さな村を通り過ぎた。家が三、四十軒にガレージとパブをかねた店が一つ、すぐに村はずれに出た。
雨足は激しさを増し、海からの風が雨を吹き流して湿地全体を雲のように覆っていた。》トールサイズ版284ページ 引用者による改行あり
訳者の井坂清さんは1932年のお生まれのようだが、日本語の訳文は少しも古さを感じさせないすぐれもの。
むろんヒギンズにヒロイズムは切り離せない。そこが鼻につくという読者は、ヒギンズとは縁なき衆生であろう。
評価:☆☆☆☆☆