ウォルター・ベンヤミンをまったく読んでいないわたしが、本書のレビューを書くなど、無謀なくわだてもいいところだが、やっぱり書かずにはいられない。
いくらか変わった本書のタイトルは、つぎのような文節からとられている。
「弁証法的思想家にとって肝要なのは、世界史の風を帆に受けることである。思考するとは、こうした弁証法的思想家にとっては帆を張ることを意味する。どのようにその帆を張るかが問題なのだ」(ベンヤミン「パサージュ論」)
鹿島教授の著作を、このところたてつづけに読んできた。
どの1冊もはずれのないおもしろさ、知的興奮に満ちていて、その著作のすべてを読み尽くしたい・・・しばらくぶりで、そういう著作家にめぐりあった。わたしにとっては、澁澤龍彦、いや須賀敦子以来かもしれない。
読んだのは小学館文庫。刊行年月日は2009年6月10日。しかし、レビューのリストを探したが見つからないので、ここに書いておく。
本書はひとくちでいえば、鹿島さんの「書評集成」である。取り上げられた75冊ばかりの本をめぐる、スリルと冒険にあふれた航海の記。須賀さんの「本に読まれて」はそれほどでもなかったが、澁澤さんの書評は、読み飛ばしにはできない、重厚で機知にとんだ味わいがあって、読みおえたあと、その広大無辺の世界の航海に随伴しながら、少年の夢にも似た知的興奮の飛沫を浴びて、読者の脳の端々はずぶ濡れになる。読書がそういったアクチュアルな経験にほかならないことを、たっぷりと味あわせてくれる。
澁澤さんの書評の大半は、そういったレベルと指向性をゆたかにもっているのだけれど、
それは鹿島さんのこの本についてもいえる。
新版が出ている「馬車が買いたい!」(サントリー学芸賞)は高価なのでまだ手にいれていない。しかし、読む前から、あれこれと像像をめぐらし、なんとなくわくわくドキドキ。そういう経験は、そうめったにあるものではない。
「パリ・世紀末パノラマ」も「パリ五段活用」もおもしろかった。フランス文学の古典や名作に登場するヒロインたちを取り上げた「悪女入門 ファム・ファタル恋愛論」も、類書にない切り口が新鮮で、出色の出来映え。
鹿島さんが案内してくれる、19世紀あたりを中心としたヨーロッパ、なかんずくパリのおもしろさといったら!
本は本をつれてやってくる。
書評集成なのだから、よけいにその感が深いのである。
エミール・ゾラの「パリの胃袋」には、すばらしい、ためいきものの挿絵が十数枚はいっているが、その挿絵の提供者は鹿島さんである。はじめてその名を知ったのは、岩波文庫の「十八世紀パリ生活誌」ではなかったか。池波正太郎における中一弥や、永井荷風「ぼく東綺譚」の木村荘八によって、挿絵入りの本の魅力に目覚めたころ。
『今も昔も、「パリ」こそはフランスの最高の輸出品である。もし、フランスの生み出す文化・芸術・産業に、「パリ」という名前が冠していなければ、その魅力は半減どころか、ほとんど価値を失うにちがいない。』(「パリ・コレクション――モードの生成・モードの費消」より)
これはほとんどエピグラムである。こういった、はっとして息をのむようなことばが、あちらこちらに散らばっている。本をめぐる、いわば万華鏡!
小さな断片にも見えるこれらが、重なり合い、比較対照され、乱反射して、書評集という織物を織り上げていく。ある意味で「もの尽くし」に近いアプローチの手法は、観念論から遠く離れて、読者を現場に拉っし去る。古書コレクターとしての慧眼が随所に光っている。
こういう人のガイドで、これからゆっくりと、バルザックのパリ、ゾラのパリを遍歴してみたいものだと思わずにいられない。この本の向こうには、フランス、アナール学派の史学や、荒俣宏さんの業績が、ほんのりと透かし見えてくる。その地域は、わたしにとっては、「未知の大陸」に等しい場所である。本の海の航海者として、胸を高鳴らさずにいられようか!
評価:★★★★★
いくらか変わった本書のタイトルは、つぎのような文節からとられている。
「弁証法的思想家にとって肝要なのは、世界史の風を帆に受けることである。思考するとは、こうした弁証法的思想家にとっては帆を張ることを意味する。どのようにその帆を張るかが問題なのだ」(ベンヤミン「パサージュ論」)
鹿島教授の著作を、このところたてつづけに読んできた。
どの1冊もはずれのないおもしろさ、知的興奮に満ちていて、その著作のすべてを読み尽くしたい・・・しばらくぶりで、そういう著作家にめぐりあった。わたしにとっては、澁澤龍彦、いや須賀敦子以来かもしれない。
読んだのは小学館文庫。刊行年月日は2009年6月10日。しかし、レビューのリストを探したが見つからないので、ここに書いておく。
本書はひとくちでいえば、鹿島さんの「書評集成」である。取り上げられた75冊ばかりの本をめぐる、スリルと冒険にあふれた航海の記。須賀さんの「本に読まれて」はそれほどでもなかったが、澁澤さんの書評は、読み飛ばしにはできない、重厚で機知にとんだ味わいがあって、読みおえたあと、その広大無辺の世界の航海に随伴しながら、少年の夢にも似た知的興奮の飛沫を浴びて、読者の脳の端々はずぶ濡れになる。読書がそういったアクチュアルな経験にほかならないことを、たっぷりと味あわせてくれる。
澁澤さんの書評の大半は、そういったレベルと指向性をゆたかにもっているのだけれど、
それは鹿島さんのこの本についてもいえる。
新版が出ている「馬車が買いたい!」(サントリー学芸賞)は高価なのでまだ手にいれていない。しかし、読む前から、あれこれと像像をめぐらし、なんとなくわくわくドキドキ。そういう経験は、そうめったにあるものではない。
「パリ・世紀末パノラマ」も「パリ五段活用」もおもしろかった。フランス文学の古典や名作に登場するヒロインたちを取り上げた「悪女入門 ファム・ファタル恋愛論」も、類書にない切り口が新鮮で、出色の出来映え。
鹿島さんが案内してくれる、19世紀あたりを中心としたヨーロッパ、なかんずくパリのおもしろさといったら!
本は本をつれてやってくる。
書評集成なのだから、よけいにその感が深いのである。
エミール・ゾラの「パリの胃袋」には、すばらしい、ためいきものの挿絵が十数枚はいっているが、その挿絵の提供者は鹿島さんである。はじめてその名を知ったのは、岩波文庫の「十八世紀パリ生活誌」ではなかったか。池波正太郎における中一弥や、永井荷風「ぼく東綺譚」の木村荘八によって、挿絵入りの本の魅力に目覚めたころ。
『今も昔も、「パリ」こそはフランスの最高の輸出品である。もし、フランスの生み出す文化・芸術・産業に、「パリ」という名前が冠していなければ、その魅力は半減どころか、ほとんど価値を失うにちがいない。』(「パリ・コレクション――モードの生成・モードの費消」より)
これはほとんどエピグラムである。こういった、はっとして息をのむようなことばが、あちらこちらに散らばっている。本をめぐる、いわば万華鏡!
小さな断片にも見えるこれらが、重なり合い、比較対照され、乱反射して、書評集という織物を織り上げていく。ある意味で「もの尽くし」に近いアプローチの手法は、観念論から遠く離れて、読者を現場に拉っし去る。古書コレクターとしての慧眼が随所に光っている。
こういう人のガイドで、これからゆっくりと、バルザックのパリ、ゾラのパリを遍歴してみたいものだと思わずにいられない。この本の向こうには、フランス、アナール学派の史学や、荒俣宏さんの業績が、ほんのりと透かし見えてくる。その地域は、わたしにとっては、「未知の大陸」に等しい場所である。本の海の航海者として、胸を高鳴らさずにいられようか!
評価:★★★★★