二草庵摘録

本のレビューと散歩写真を中心に掲載しています。二草庵とは、わが茅屋のこと。最近は詩(ポエム)もアップしています。

「文学じゃないかもしれない症候群」

2007年12月15日 | エッセイ(国内)
 「文学じゃないかもしれない症候群」
 数十ページ読んだところで、さすがのわたしも気がついた。こういう本は、こむずかしい顔をして、最初から最後まできっちりと読むべき本ではない、と。読むには読むが、つぎの日にはもう忘れている。作者も読者も、こんなものそれでたくさん、と心得ているのだ!
 そういうわけで、ひろい読みというか、斜め読みすることにした。高橋さん、自分も世間も、編集者も、たいして信じてはいない。いろいろないきさつで、書かなければならなくなったから、まあ、それなりに書いてみた。所詮は暇つぶしなんだから、それでいいじゃな~い!?

 わたしは高橋源一郎の小説を一冊も読んでいないが、こういう作家の小説を読まなくて幸せだったと、はっきりいっておこう。暇つぶしどころでなく、100%時間のむだだと、断言できる。「おれの頭が古いせいか」などと反省するまでもない。ぬるま湯のなかでふやけた卵のようなものである。「文学」をやることがそんなにはずかしく、無価値だと考えているなら、もう筆を折ったほうがいい。同じ暇つぶしなら、わたしはたとえば、ビールを飲みながら、スポーツ番組を楽しむか、カメラを手にして街へ出て行くほうを選ぶ。

 ・・・といってしまっては、ドッチラケになるから、いくらかは救いの手をさしのべておこう。新潮社のPR誌「波」に掲載された篠山紀信と荒木のぶよしの対談にふれた一節は、ひやりとしたものだ。
 「おいおい、どっちの味方なの?」
 だが高橋さん、結局お茶をにごしてオ・ワ・リ。小心者だから、なんというか、可愛げはある。文学など、とっくに終わっていると不安なのだろうが、サブカルチャーに色目を使い、自分の「新しさ」をアピールしている。主役はあんたではなく、挿画を描いている松苗あけみさんじゃないの?
 ご自身でも小説家と名のるのは、はずかしいに違いない。職業を間違えてしまったのだ。あたふた、ばたばたしておるようだが、その理由がよくわからない。
 「幽霊の正しい描き方」などを読むと、ところどころ才能の片鱗がきらきら輝いているだけに、惜しいといわざるをえない。
 それとも、これはこの作家の演技なのか。「おれはこのスタイルでいくぞ~」 と。よくはわからないが、大朝日新聞に連載されたと思われる「文芸時評」らしき文章が載っている。彼が想定している読者やマスコミや他のメディアに対する、ある種の戦略思考の産物といえなくはないな~。
 それを見とどけるには、小説を一、二冊は読んでみる必要があるかもしれない、といっておく。

 高橋源一郎「文学じゃないかもしれない症候群」1995年刊 朝日文芸文庫>☆☆




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