■吉村昭「海の史劇」新潮文庫(昭和56=1981年刊)
大げさなタイトルだなあ・・・と笑われるかもしれないが、このくらいの表現を使わないと、わたしの感銘が伝わらない。
これまで歴史書では日露戦争のことを読んでいる。しかし、このノンフィクションは別次元のもの。単に力作というにはとどまらない。痛切な“鎮魂の書”である。日本側の資料ばかりでなく、ロシア側の資料を活用している。それによって、日露戦争の核心を陰影豊かに、巨細に彫り上げて見せた。
《祖国の興廃をこの一戦に賭けて、世界注視のうちに歴史が決定される。ロジェストヴェンスキー提督が、ロシアの大艦隊をひきいて長征に向う圧倒的な場面に始まり、連合艦隊司令長官東郷平八郎の死で終る、名高い「日本海海戦」の劇的な全貌。ロシア側の秘匿資料を初めて採り入れ、七カ月に及ぶ大回航の苦心と、迎え撃つ日本側の態度、海戦の詳細等々を克明に描いた空前の記録文学。》BOOKデータベースより
このように書いてもらうことによって、この戦争でいのちを落とした兵士が、そのよろこびや怒り、苦しみ、執念、悲哀、情熱などが、大きな大きなカンバスの上にありありと描き出された。
“鎮魂の書”といわずして、なんという(。-ω-)
小説家としての力量が存分に発揮され、卓越した大作となった。
文庫本(現行版)で664ページ。われわれ世代にしてみると、曾祖父の時代の物語。203高地や日本海に散った、日ロの兵士の一大叙事詩である。
吉村さんご自身がいろいろなところで話しておられるが、先駆者は森鴎外だそうである。
鴎外には、「歴史其儘と歴史離れ」というエッセイがある。そこで歴史そのままと歴史離れについて考察しているのはよく知られている。あとノンフィクション・ノベルといえば、カポーティの「冷血」が有名。一般的には史実や記録に基づいた文章や映像などの作品のことをいう。
試しにググってみると《ノンフィクション・ノベルは、歴史上の事実やできごと、作者の個人的経験、ある人物の生涯などを作品の正面に据え、作家の想像力でそれらに肉づけし、より臨場感をもたせて描き出した小説》と定義されている。
吉村昭さんの小説はそのノンフィクション・ノベルの王道をゆくものである。城山三郎さんなどもこういったジャンルの小説をいくつか書いている。調べたらこのお二人、俗にいう戦中派で、同年齢。
純文学系統の小説家ではないので、いわゆる決まり文句がじつによく出てくる。そこが彼らの想像力の限界といえば、いうことができる。
ただ事実を時系列的にならべただけでは小説にはならない。物語的要素は必須である。そこが小説家たるものの腕の見せ所。
本書でめざましいと感じたのは、ロシア側の資料を十二分に使いこなしていること。第二太平洋艦隊を率いたロジェストヴェンスキー中将のキャラクター造形がすばらしく、リアル感たっぷり♪
大艦隊がペテルブルグを発し、喜望峰をめり、インド洋を横切って東シナ海までやってくる情景が、まざまざと浮かび上がる。艦隊を組む戦艦、巡洋艦、駆逐艦などの名が、執拗な筆致で詳しく描かれている。いやはや“圧巻!”の一語につきる。ロシア側が主役であり、日本側の東郷にせよ、乃木や児玉にせよ、脇役にすぎない。
驚くべきは、203高地の攻防、日本海海戦、ポーツマス条約締結で終わりではなく、捕虜となったロシア人将校などの末路まで、しっかりと調べ記述してあるところ。
ここまで書くことによって、本書「海の史劇」は輝かしい叙事詩となったのだ(゚ω、゚)
日露戦争について語るとき、本書は必要不可欠な基礎知識を提供する。すなわち「本書を読まずして、日露戦争を語るなかれ」である、とわたしには思える。
吉村さんは冷静沈着にストーリーをすすめているが、ところどころ、抑えようとしても抑えきれない父祖たちの慟哭が聞こえる。吉村さんは、彼らに惜しみなく涙をそそいでおられる。
海の史劇 1972年
ポーツマスの旗 1979年
「海の史劇」を書いてから7年、もう一度吉村さんはこの時代の孤独極まりない陰の主役にスポットライトを当てる。小村寿太郎である。
読み終えたあとしばらく、わたしは茫然としてことばを失った。
(「吉村昭が伝えたかったこと」文春文庫)
(在りし日の吉村昭。ネット検索によりお借りしました)
吉村さんには、代表作とみなされる小説がほかにもたくさんある。2/3はそろえたが、読むまえからワクワク、ドキドキが止まらない(^^♪
評価:☆☆☆☆☆
大げさなタイトルだなあ・・・と笑われるかもしれないが、このくらいの表現を使わないと、わたしの感銘が伝わらない。
これまで歴史書では日露戦争のことを読んでいる。しかし、このノンフィクションは別次元のもの。単に力作というにはとどまらない。痛切な“鎮魂の書”である。日本側の資料ばかりでなく、ロシア側の資料を活用している。それによって、日露戦争の核心を陰影豊かに、巨細に彫り上げて見せた。
《祖国の興廃をこの一戦に賭けて、世界注視のうちに歴史が決定される。ロジェストヴェンスキー提督が、ロシアの大艦隊をひきいて長征に向う圧倒的な場面に始まり、連合艦隊司令長官東郷平八郎の死で終る、名高い「日本海海戦」の劇的な全貌。ロシア側の秘匿資料を初めて採り入れ、七カ月に及ぶ大回航の苦心と、迎え撃つ日本側の態度、海戦の詳細等々を克明に描いた空前の記録文学。》BOOKデータベースより
このように書いてもらうことによって、この戦争でいのちを落とした兵士が、そのよろこびや怒り、苦しみ、執念、悲哀、情熱などが、大きな大きなカンバスの上にありありと描き出された。
“鎮魂の書”といわずして、なんという(。-ω-)
小説家としての力量が存分に発揮され、卓越した大作となった。
文庫本(現行版)で664ページ。われわれ世代にしてみると、曾祖父の時代の物語。203高地や日本海に散った、日ロの兵士の一大叙事詩である。
吉村さんご自身がいろいろなところで話しておられるが、先駆者は森鴎外だそうである。
鴎外には、「歴史其儘と歴史離れ」というエッセイがある。そこで歴史そのままと歴史離れについて考察しているのはよく知られている。あとノンフィクション・ノベルといえば、カポーティの「冷血」が有名。一般的には史実や記録に基づいた文章や映像などの作品のことをいう。
試しにググってみると《ノンフィクション・ノベルは、歴史上の事実やできごと、作者の個人的経験、ある人物の生涯などを作品の正面に据え、作家の想像力でそれらに肉づけし、より臨場感をもたせて描き出した小説》と定義されている。
吉村昭さんの小説はそのノンフィクション・ノベルの王道をゆくものである。城山三郎さんなどもこういったジャンルの小説をいくつか書いている。調べたらこのお二人、俗にいう戦中派で、同年齢。
純文学系統の小説家ではないので、いわゆる決まり文句がじつによく出てくる。そこが彼らの想像力の限界といえば、いうことができる。
ただ事実を時系列的にならべただけでは小説にはならない。物語的要素は必須である。そこが小説家たるものの腕の見せ所。
本書でめざましいと感じたのは、ロシア側の資料を十二分に使いこなしていること。第二太平洋艦隊を率いたロジェストヴェンスキー中将のキャラクター造形がすばらしく、リアル感たっぷり♪
大艦隊がペテルブルグを発し、喜望峰をめり、インド洋を横切って東シナ海までやってくる情景が、まざまざと浮かび上がる。艦隊を組む戦艦、巡洋艦、駆逐艦などの名が、執拗な筆致で詳しく描かれている。いやはや“圧巻!”の一語につきる。ロシア側が主役であり、日本側の東郷にせよ、乃木や児玉にせよ、脇役にすぎない。
驚くべきは、203高地の攻防、日本海海戦、ポーツマス条約締結で終わりではなく、捕虜となったロシア人将校などの末路まで、しっかりと調べ記述してあるところ。
ここまで書くことによって、本書「海の史劇」は輝かしい叙事詩となったのだ(゚ω、゚)
日露戦争について語るとき、本書は必要不可欠な基礎知識を提供する。すなわち「本書を読まずして、日露戦争を語るなかれ」である、とわたしには思える。
吉村さんは冷静沈着にストーリーをすすめているが、ところどころ、抑えようとしても抑えきれない父祖たちの慟哭が聞こえる。吉村さんは、彼らに惜しみなく涙をそそいでおられる。
海の史劇 1972年
ポーツマスの旗 1979年
「海の史劇」を書いてから7年、もう一度吉村さんはこの時代の孤独極まりない陰の主役にスポットライトを当てる。小村寿太郎である。
読み終えたあとしばらく、わたしは茫然としてことばを失った。
(「吉村昭が伝えたかったこと」文春文庫)
(在りし日の吉村昭。ネット検索によりお借りしました)
吉村さんには、代表作とみなされる小説がほかにもたくさんある。2/3はそろえたが、読むまえからワクワク、ドキドキが止まらない(^^♪
評価:☆☆☆☆☆