二草庵摘録

本のレビューと散歩写真を中心に掲載しています。二草庵とは、わが茅屋のこと。最近は詩(ポエム)もアップしています。

惨劇を見ている  2022-9(2022年7月16日)

2022年07月17日 | 俳句・短歌・詩集
   (‘2015年6月ポジフィルムからスキャン。撮影は90年代終わりころ)



「ぼくの苦しみは単純なものだ」とある詩人は書いた。
その単純なものこそ厄介なのだ。
ほとんどの人たちは 生まれたときから単純
そして明快なものに手を焼いている。手があり 足があり
頭も尻もある。

人体とはあからさまなかたちを持っているね。
それは哺乳類の宿命なのだ。
厳粛かつ滑稽な
あからさまでグロテスクな・・・
そこに封印された造物主の声。

悲しみは人のかたちをしている。
犬や猫はこんな悲しみとは縁がないだろう。
黙って 黙ってそれをうけいれる。
はじめから最後までうけいれるしかないものこそ
悲しみなのかもね。

死んだ人は死んだ人のかたちをしている。
月も星もない。宇宙そのものの真っ暗な夜の底で
あからさまな悲しみのとっぱずれで
声もださず泣いている人がいる。
人にこういう意識があるとは

こういう意識があるとは 何という不幸だろう。
神さまが仕組んだ悪意。あの凸凹に躓くように
人びとは目を覚ますときその凸凹に躓く。
「ぼくの歓びや悲しみはもっと単純なものだ」とある詩人は書いた。
つぎにやってきた人が同じように

同じようにそこで躓くのを 
他の人びとは遠巻きに見ている。
血だらけの手をうしろに隠し。
犬や猫に混じって・・・黙って
黙って惨劇が起こるのを見ている。



※<一行目>
ぼくの苦しみは単純なものだ・・・
<9行目>
ぼくの歓びや悲しみはもっと単純なものだ・・・
この作品は、
田村隆一詩集『四千の日と夜』より
「遠い国」

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 涙のただ中に立ち止まるとき... | トップ | 日本詩人全集(全34巻)新潮... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

俳句・短歌・詩集」カテゴリの最新記事