二草庵摘録

本のレビューと散歩写真を中心に掲載しています。二草庵とは、わが茅屋のこと。最近は詩(ポエム)もアップしています。

戦争論   小林よしのり

2010年02月05日 | 座談会・対談集・マンガその他
マンガにも昭和史にも、たいした関心はこれまでなかった。
とくに、昭和史は、まだあまりに生々しく、とても「歴史」としてつきあえるしろものではない、・・・と漠然と考えていた。
だから、わたしの知識は、明治維新、あるいはせいぜい日露戦争あたりで、止まっていた。
昭和史とは、大正末年に生まれた父母のものであり、昭和20年代生まれの、わたしの「時代」でもあって、そういった近過去を、たとえば学問や、知的好奇心や、歴史的思考の対象として、とても冷静にとらえきれないだろう、といえるし、また、黙過してきた自己やその周辺にいる人びとの傷口に手を突っ込むような、ある種のタブーだと意識してきたようなところもある。
したがって、たとえば、大東亜戦争などは、議論の対象にはならなかったし、したくもなかった。
そんなことをすると、感情が激発して、大声でなにか叫び出しそうな予感が、ずっとしていた。
自分は右翼でも左翼でもない、どちらかというと、政治的な発言はつつしみ、必ずしも居心地がいいというわけではない、中途半端な保守中道の位置に身をおいて、「きったはった」の威勢のよい議論には加わりたくなかった。つまり、ある立場からすれば、典型的な無知蒙昧の大衆の一員だし、それでかまわないと、自己規定してきたのである。
そんなことは、この社会や過去に対する個人的なスタンスの取り方だから、まあ、ある意味、どうでもよいといえる。

ところが、このあいだから、2、3日かけて、つぎの本を買い、事情がやや変わってきた。

1.「戦争論」幻冬社1998年刊(新ゴーマニズム宣言スペシャル)小林よしのり
2.「誰がためにポチは鳴く」小学館2002年刊(新ゴーマニズム宣言12)〃
3.「いわゆるA級戦犯」幻冬社2006年刊(新ゴーマニズム宣言スペシャル)〃
4.「国家と戦争」飛鳥新社1999年刊 小林よしのり・福田和也・佐伯啓思・西部邁

最初に買ったのは、ふと眼についた「国家と戦争」。
とりあえず読みはじめたが、すぐにこれは小林よしのりの「戦争論」の反響を踏まえた4人のいわば論戦であって、「戦争論」を読んでいないことには話が見えないことがわかってきた。というわけで、ほかの3冊を手に入れて、遅まきながら、いま並行して読んでいる最中。
ファーストインプレッションとしては、「禁断のパンドラの匣」を開けてしまったかな、・・・という思いが強い。
まず、ぜんたいの感想では、まことにスリリングで、文句なしにおもしろかったのだけれど、基礎知識がほとんどないので、判断に迷う場面が多く、「そうかな? そうかな?」の連続となってしまったことを告白しなければならない。
ただ、この政治的な発言や主張のわかりやすさと、景気よく弾を撃ちまくるパフォーマンスぶりは、マンガの領域をひろげたといえるだろう。


したがって、いまの段階で、ほんとうはレビューなど、書かないほうがいいのである。
しかし、この本を読みながら、これまで記憶の底に眠らせていたさまざまな出来事や、祖父や父、大叔父のことばなどが、ゆらゆらと立ちのぼってきて、心をゆさぶるのも事実。「あの大東亜戦争は、わたしが生まれるはるか以前に終わってしまった戦争なのに、わたしの周辺の人びとや、土地のなかでは、まだ少しも終わってはいない。ただ、過去のこととして、語らずにすませるか、忘れたがっている・・・」
本書を読んで、まず明瞭に意識せざるをえなかったのは、そのことであった。

墓地にいくと、その敷地の隅に、ひっそりと「忠魂の碑」や「忠霊塔」などが建っている。そこに線香の煙がたちのぼっていたり、花がたむけられたりしているのは、少なくともわたしは見たことがない。裏側には大勢の戦没者(主として兵隊)の名が刻まれている。子どものころから、そういう場所を、知らずに遊び場としてきたのである。

典型的なサブカル本といっていいのかも知れないが、本書には、読者をして考え込まさずにはいない力と熱気がうずまいている。刊行当時、大きな反響を呼んだのも、うなずかれる。エンタメに名をかりた、ウルトラナショナリズムの書という評価も可能だろう。しかし、それだけではすませられない何かがある。

そのために、ほかの何冊かを買ってきた。
えらそうなものいいになるが、この種のマンガ特有の、いささか幼児的な論法がかなり目立つ。しかし、まっとうな指摘が随所にばらまかれ、笑いと誇張にあふれたエンターテインメントの表現世界のむこうに、読む者の意表を衝く鋭さが立ち上がってくる。

いわゆる論壇の喧噪は、わたしは得意でもないし、好きでもないのだが、「おいおい、筆禍をこうむるぞ」といいたくなるような勇気ある発言は、まず評価せざるをえないだろう。
「A級戦犯」とされ、処刑された人びとへのこのような思い切った擁護論は、わたしははじめて読んだ気がする。著者のいう「サヨク」が多数者だとすると、そういったいわば世論に、真っ向から挑みかかっている。
それはなぜか? きまじめらしくいえば、それをこれからわたしなりに検証していきたいと思いはじめたところである。



評価:★★★★

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