ニュージーランド移住記録:日記「さいらん日和」

2004年に香港からニュージーランドに移住した西蘭(さいらん)一家。子育て終了、仕事もリタイア。好きに生きる記録です。

アデレードみやげ

2019-04-15 | オーストラリア
アデレードでアボリジニアートに目が留まった店があり、
入ったらイギリスの慈善団体オックスファムの店でした。


オーストラリアではよく慈善団体の店で買い物をし、
「少しでも地元への貢献になれば」
と、旅のみやげ代わりにすることが多いのですが、
中心部となると家賃も高いせいか、今回の滞在では
地元系団体の店は目に留まりませんでした。


なので、今回はコレにしました。



インド製



これからの鍋の季節に活躍しそう。



素材違いで色と雰囲気が似ている(?)鉢カバー

これはIKEAにて。
縁が高いので植木鉢が完全に隠れそう


この小さなラグもIKEAにて。

丸めたらスーツケースに入る大きさ。
早くも猫用になっています


クロコロの面倒をみてくれた善(22歳)にはチョコを。
老舗ヘイグスはアデレードどころかオーストラリアで
最も古い創業100周年以上のチョコレートショップ。

イースター商戦真っ盛りでした。


ホットクロスバンのチョコ版

イースター前は朝8:30から営業していて、


そんな時間から買い物客がいました~(笑)







飲茶で誕生日

2019-04-14 | 海外子育て
遅れに遅れていた善の22歳の誕生日祝い


本人の希望で久々の飲茶へ



飲茶だとザワザワしているせいか話も弾むし

(※みるからに冷凍ではない手作り感)


あれこれつまんで食も進んじゃう

善の大好物の蓮の葉のチマキ
鶏足は断然食べる派


一緒に暮らしていても顔を合わせて話すのは夕食ぐらい。

大学生、社会人ともなるとゆっくり話す機会は意外に少なく、
外食は貴重な機会で、知らない話がいろいろ出てきます。


今日のお題は
「いつかウクライナとか旧ソの国に住んでみたい

夢を語るのは20代の特権。
大いに語って、当たって砕けて、
自分の道を見つけていってね


遅くなったけれど
22歳おめでとう






出発前はいつもサーカス

2019-04-13 | 家族&夫婦
2016年に日本以外の海外旅行を再開した頃は、
行ってもせいぜい4、5泊でした。


大学生になったとはいえ善(22歳)が家にいるし、
善が面倒をみているとはいえ猫もいるし、
仕事もボランティアもあるし~
と、期間としては国内旅行並みでした。


それがハワイやオーストラリアとなると、
観光だけでなく投資だなんだと事が大きくなり、
4、5泊では足りなくなって
(※飛行機代も安くないし)
徐々に滞在時間が延びていきました。


期間が長くなればなるほど、
出発までに終えておく仕事
100鉢以上ある寄付用植物の管理
善に作り置きしておく食事の準備
ブログの予約投稿
(※2ブログで10日分だと記事20本)
などなど、


こまごました事がごまんとあり、
出発前はいつもサーカス状態


しかし、今回のアデレードは違いました







ジャーン

最近、料理に燃えている善が完全自炊


・・・のはずだったけれど、さすがにハンバーグと
チキンナゲットなどは作り置きしていきました(笑)


でも、それ以外は自分で作り

(※ひとりなのにこの茶わん蒸しの数)


野菜も摂って



お弁当にもなるメニューを取り入れて



毎日のように弁当男子だったらしいです。

フィリピン料理のアドボ
香港時代のお手伝いさん仕込み
子どもたちには「お袋の味」


毎晩のように送られてくる写真に感心しつつ、
カンガルー島最後の夜はルームサービスで
シーザーサラダ

オーストラリアの食事はNZよりもさらに多め。
このお皿も直径40センチほどありかなりの量で
サラダ好きでも2人でシェアしてちょうどぐらい。


息子が料理に励んでいるというのに、親は
サラダに辛ラーメンの夕べでした(爆)

(※オーストラリアではあるあるの休胃日)






アデレードで過橋米線

2019-04-12 | オーストラリア
アデレードの裏路地に隠れるようにあった

雲南料理の店
メニューは麺のみ


昨日の初めての中華料理店選びの4つのルール
もうひとつ加えるとしたら、
5.酒を出さない店
というのもカギかと


利幅の厚い酒類で稼ごうという意図が皆無なので
店の勝負は食事がすべて
鯨飲するキウイやオージーに酒を出さないという、
直球勝負に賭けようじゃないですか(笑)
(※そもそも店内の西洋人率ゼロだし)


メニューのトップは「やっぱりコレ」の

過橋米線
英訳だとCrossing the bridge noodlesが一般的でも
第一世代にはtheとかあってもなくても一緒かと


過=Cross
橋=bridge
米=Rice
線=noodle

わかりやすい


そもそも店内みな中国語なので
過橋米線はクオチャオミーシエン


雲南料理の看板料理

アツアツのスープに


食材を投入します。



まずは肉から。

沈んで見えないので、


夫が撮影協力

お1人様用しゃぶしゃぶかと。


次に野菜



最後に米線を入れ



手早く混ぜて



完成

カップ麺より早い1、2分ほど
早くしないとスープの温度が下がるので。


自家製麻辣もあったので



お好みで



こういう店こそ

化学調味料不使用


上品な塩豚骨の素晴らしいスープで

滞在中2回行きました


アツアツのスープが運ばれて来るところはほとんど儀式
「そこのけ、そこのけ、スープが通るっ」てなもん。

老板娘(女将さん)が新人バイトにいろいろ伝授中でした。


外で写真を撮ろうとしたら、オーナーの老板が一服中。
「写真撮ってもいいぞー」
と当たり前に中国語で言われて、パシャ



トリップアドバイザーやゾマトとはほぼ無縁の名店
アデレードに行く愉しみがもうひとつ増えました。






初めての中華料理店選びの4つのルール

2019-04-11 | オーストラリア
私が基準にしている
初めての中華料理店を選ぶ時の4つのルール


1.一等地にない
2.西洋人だけの客がいない
3.垢ぬけない簡素な造り
4.いかにも英語が通じなそう


一等地にある店というのは洋の東西を問わず
資本力はあっても美味しいとは限らない店。
チェーン店とかバックに出資者がいるとか、
立地と中身が合わないハズれの可能性大


西洋人だけの客がいる場合は、まず英語環境で
彼らの口に合うようアレンジされたメニューで
それだけ本場の味から遠のいている可能性大
(※本場など気にならなければいいのでしょうが)


垢ぬけない簡素な造りは本国そのままの感覚で
最低限の資金で始めている証拠でもあります


ドアを開けたとたんに、
「何人?」
と中国語で聞かれたり、声もかけられなかったり。
これぐらいぶっきらぼうで不愛想な方がいいかも


これら4点はオーナーが移民第一世代であるカギで、
第一世代であれば本場の味が供させるはず
移民なので資金も英語力もなく、立地も内装も最低限。


そこが狙い目なのですわ


オーストラリアのアデレードには立派な中華街があります。



老舗らしいのから



ここはぜひ次回トライしてみたいです。

イマドキの台湾スイーツの店までまさに鈴なり。


そんな中、裏路地に隠れるようにあった店

雲南料理
というところにまず惹かれ、


1~4の条件を完璧に満たし(西洋人率ゼロ)

オーナーの第一世代がその日から入ったバイトに
あれこれ教えているところ。
(※というのも後から知ったのですが)


装飾はこれが目いっぱい(笑)



とんでもないものと30年ぶりに再会してしまい

アデレードに行ったら必ず立ち寄る店になりました。






再び秋のアデレードへ

2019-04-10 | オーストラリア
オーストラリアのアデレードに行っていました。

去年に続いて2回目の訪問。


去年初めて訪れ、夫婦で猛烈に気に入り、
速攻でホテル投資に出てしまったほど(笑)
(※アデレード投資に関してはコチラでも)

ビクトリア女王とアボリジニ旗


物件も見ずに購入したので、「アデレードの子」と呼ぶ
自室に泊まることが、今回最大の目的だったのに、
先客があり泊まれませんでした(爆)
宿泊料を払ってくれる、お客様最優先です


4月のアデレードは気温が20度だったり30度だったり

1日で10度ぐらい違うことも珍しくないようですが、


秋が駆け足でやってきていました。

(※ハーンドルフ)


ダリ展をやっていたワイナリー

(※マクラーレンベール)


結婚28周年のお祝いも兼ねてカンガルー島へ

本当にその辺にいて動物好きにはたまらない島


飛んでるし~(笑)



こちらはワラビー

一定の距離があれば逃げません。


アシカの母子



コアラも出会い放題でした



夜行性なのでホテルの敷地内でもこのとおり

クルマに向かって歩いてくるという


テイスティングオーストラリアというフードショーも開催中で、
全然知らなかったのでラッキー



特別な催し以外は誰でも無料で入れる気さくで気楽な企画

焚火に当たりながら高層ビルの谷間で飲んだり食べたり


私たちにとって、オーストラリアの食は断然アデレード

今まで訪れた市場の中で一番好きなアデレード中央市場は
今年150周年


天気にも恵まれ、この街の可能性をあれこれ見聞しつつ



名残惜し~く帰ってきました。



チャオ

(※最後に立ち寄ったカフェ)






カマンベールのラベル絵皿

2019-04-09 | 家事・家計・リサイクル
コロがさっそくチェケラーしてるのは



フランスのカマンベールの箱

美しいアールヌーボー


でも中身はチーズではなく、
同じ柄の絵皿

というエスプリ(笑)


でも、私が買うぐらいなのでもちろん
チャリティーショップのセカンドハンド


しかも、4枚違う絵柄

みんなカマンベール


でもナゼかこの箱には5枚入っていました。
こういうのがセカンドハンドの面白いところ。


華やかな方が好みだったので、ブルーの女の子を除いた

この4枚を残すことに決定
(※エクストラフィンが2枚入っていました)


淵にまでプリントありの芸コマ

(※でも中国製)


箱も可愛かったけれど死蔵してしまいそうで、

女の子のお皿と一緒に寄付しました。


すると、お店に持って行った瞬間に、
「これも売り物?」
と聞かれて、箱はその場でSOLD(笑)
確かにレトロカワいかった


私はお皿を使い倒そうっと






特養まで

2019-04-08 | 日本
母は去年の6月、86歳になった直後に
くも膜下出血で倒れました。


55歳の時にもくも膜下出血で倒れ、
「良くて半身不随、悪ければ最悪の事態」
と言われていたのに、完全に快復し、
何の後遺症もないまま看護師として
70代まで働いて引退しました。


今回も順調に快復していたのですが、
入院中にベッドから落ち、その後悪化。
脳の一部に障害が残ってしまいました。


体調が快復してからはリハビリ病院に移り、
そこで歩行訓練などを受け、身体能力は
問題が見られないほど快復しました。


しかし、帰宅して自宅で暮らすのは難しく
父の希望もあって特別養護老人ホーム、
いわゆる特養に入ることになりました。


病院退院後は一時的に介護老人保健施設、
いわゆる老健という施設にお世話になり、
特養の空きを待ちました。


母は看護師だったせいか、病院のような環境が
非常に性に合っているようで、病院でも老健でも
自分が患者だとわかっていても生き生きと明るく、
その前向きさには、父も私たちも驚くほどでした。


偶然も偶然、私たちが里帰りしている間に、
母は老健から特養に移ることになりました。


飛行機は去年のうちに予約していたので、
母の入退院に立ち会えたのは全くの偶然で、
両方の施設に行き挨拶できたのは幸いでした。


父は父で90歳目前からのシングルライフを楽しみ
母は母で他の入居者を看護師のように気遣いつつ
2人は週2回のお見舞いで顔を合わせています。


母はコーヒー好きなので、入院後はどこも
コーヒーが飲めないのを残念がっています

(※コーヒー好きにはわかるその気持ち!)


父が缶コーヒーを差し入れても気に入らず、
今後はお見舞いのたびに家から持参することに
2人のペースで徐々に新生活に入っています







NZでも八丁味噌

2019-04-07 | 料理・食べ物・外食
3月の八丁味噌まるや訪問は衝撃的でした。



横浜生まれの横浜育ちの私には、
自分が長年食べているのは赤味噌
京都の見るからに白いのは白味噌

「色を見ればわかるじゃん
という認識しかありませんでした。


関東の赤味噌と愛知の赤味噌の違い
など考えたこともありませんでした。


八丁味噌は大豆だけで作る豆麹味噌で赤さが濃い
関東の赤味噌は米麹で作る米味噌と呼ばれるもの。
(※そういえば、かつてガッテンでやっていました)


大豆100%であとは水と塩だけで作る八丁味噌に

ただただ驚き、


その美味しさに今までの人生を後悔しそうでした(笑)

これは樽から出した味噌をそのまま詰めた粒入り。
茶さじで毎日少しずつ味わいたい美味しさ


これは粒を取り除いた調理用の八丁味噌

少量でもしっかりした味が出るそう。


八丁味噌は煮込めば煮込むほど味がしみておいしく

出来立てが一番おいしい普通の赤味噌とは
その点でも全然違うそうです
(※確かに2日目の味噌汁の残念なこと)


これは八丁味噌に米麹味噌を混ぜた

ピンクのゴールド
というやや複雑なネーミング(笑)


温(25歳)はこれを愛用しているそうで

普通の赤味噌に慣れ親しんだ人には使いやすいよう。


他にもみそだれ

八丁味噌+みりん+砂糖で、
田楽やとんかつに


あれこれ買い込んできて

遅ればせながら八丁味噌にハマる予定


食べてみてすぐわかったのは
究極の陽性食品であること


味噌は元より身体を温める陽性食品ですが、
八丁味噌の温まり方は段ちです
「夏は控えた方がいいのでは?」
というレベルで、熱中症が気になるほど(笑)


これから冬に向かうNZでは大活躍まちがいなしで、
もったいないけれど、どんどん使いますわ


まるやの掲示によればNZにも輸出されていました



探してみたらあっさり発見

(※日本のを切らしたらこれにしよう)






キャビンフィーバー

2019-04-06 | 私事・リタイア・人生
日本滞在中はいつも全泊ホテル泊。
実家の母が家に人が来るのを嫌がったので
自然とホテルに泊まるようになりました。


予算にも、場所によってはホテルにも限りがあり、

典型的なビジネスホテルのダブルだとほぼこんな感じ。


もうちょっと部屋が広いとラッキー

この写真は手前が切れていますが、これも
上の写真同様にベッドが壁についています。


ナゼか私たち夫婦は、歩くときも寝るときも
夫が左
私が右
でないと、お互い違和感があり、自然と
右左になって歩いたり寝たりしています


今回のホテルは3ヵ所中2ヵ所で私が壁際でした。
ある夜、夜中に寝がえりを打ったらしく
腕が壁に当たり、目が覚めてしまいました。


たいした当たり方ではなく痛くもないのに、
ドキドキしてなかなか寝付けませんでした


これなど典型的な例かもしれませんが、
私にはキャビンフィーバーがあります。


日本語訳だと閉所恐怖症が近いと思います。
フィーバーは熱とは関係なく、花粉症を
ヘイフィーバーと言うのと同じようなもの。


実際は場所の大小にはあまり関係がなく、
閉じ込められている、逃げられない
という閉塞感のある感覚が恐ろしいのです。


そのせいか電車好きなのに新幹線はダメとか、
飛行機は何かあったらアウトなせいかOKとか、
同じ閉所でも感覚が全然違います
(※まぁどっちであっても乗りますが)


寝袋で寝たことはありませんが、身動きが制限され
夜中に目覚めたら、パニックになりそうです。
壁に腕が当たっただけで眠れなくなるぐらいなので。


「キャンプやクルーズは一生できないな~」
思いつつ、最後のホテルではベッドを壁から少し離し
自分側からも降りられるようにしました。


壁にくっついていてもベッドメイクの時は離すはずで、
ベッドにコロコロが付いていて簡単に移動させられる
ということに気づき、今後の日本ではそうします。
(※部屋はさらに狭くなりますが)


この閉所恐怖症の原因は、
過去世で座敷牢にでもつながれていたからなのか(笑)
実は障子や襖など引き戸も非常に恐ろしいもので
畳にも寝たくない断然ベッド派。日本家屋が怖い
座敷牢説、濃厚です(爆)






鹿児島のおろし金

2019-04-05 | 料理・食べ物・外食
帰省中、父の希望で実家の片づけをしました。
25年前に家を建て替えてから母が溜め込んだ
大量の物があり、早々には終わりません


キッチンを片づけているときに懐かしい物に再会しました。



実家でしか見たことがない、



おろし金


鹿児島の物らしいです。


私が子どもの頃からあったので

かれこれ60年物か


父も母がこれを鹿児島で買った時のことを覚えていて、
「最後の2つで、2つとも買って一つは誰かにあげた」
と言っていました。母は父の実家でこれを知ったよう。
非常に使い勝手のいいもので、私も長年探していました。


やっと出会ったのが、右のプラスチックの物。

これを見つけたのは沖縄の金物屋でした。


金属部分にカーブが付いているのは一緒でも

使い方は根本的に違い、


沖縄のはカーブの外の膨らみでおろし、
鹿児島のはカーブの内側でおろします。

内側の方がはるかにおろしやすいです


通常のおろし金よりも長めに大きくおろせ、
実家ではよくきゅうりをおろしていました。


父は料理をしないので、もらってきました。
2代目オーナーとして大事にします






マルシェかご

2019-04-04 | 家事・家計・リサイクル
マルシェかごを買いました

下から編み上げた手編みの最後に段差がある手作り感


革の持ち手



未使用のリサイクル品

買ったけど気が変わっちゃったのか


モロッコ製



さっそく見に来る

クロ


「それはムリだよ~

入れるかどうかうかがってます


買い物よりも

部屋でハンガー入れに使う予定







戸主は戸籍から抜けても戸主

2019-04-03 | 日本
3月の日本行きでは、役所にも行ってきました。



2017年にNZ国籍を取得したので、
戸籍の相談に行ってきました。


希望は戸籍を温(25歳)がいる名古屋に移し、
私たち2人は除籍して、後は温に託す
というものでした。


しかし、役所で初めて知った、
「戸主は除籍しても戸主」
という事実。夫は戸籍から抜けても戸主のままで、
息子たちは結婚して独立した戸籍にならない限り、
夫の下にいる状態なんだそうです。
(※私だけはとっとと抜けられます)


さらに滞在中に温の意思を確認すると、
「本籍地はそのままにしておいて
ということで、何もしないで戻りました。


いろいろ検討してまた出直すことにします






90歳のお一人様

2019-04-02 | 私事・リタイア・人生
今年87歳になる母が特養に入り、
90歳の父は60年ぶりに一人暮らしになりました。


と言っても、急に1人になったわけではなく、
去年6月に母が倒れて以来なのでかれこれ
9ヵ月近く1人でしっかりやってきました。


最初はどうなるのかと心配していましたが、
父はとっとと地域包括センターに出向き
今後の身の振り方を相談してきました。


ケアマネージャーもついて、お掃除の人も頼み、
新聞の折り込みにあった生協の食事宅配も手配し、

(※こういうものが毎晩届きます)


週2回はタクシーで母のお見舞いに行き、
その帰りに買い物をしてタクシーで帰宅。


宅配がない週末は近所の叔母が食事を届け、
週1ぐらいで市内に住む妹が訪ねていき、
なんだかんだと1日1回は誰かに会う段取り。
私も週1~10日のペースで電話をしています。


父は脚がワルい以外はいたって健康で、
多少物忘れはあっても認知症はまだのよう。
記憶も理解力も私たちと何ら変わりません。
込み入った話でも手加減の必要がありません。


元看護婦で何かと厳しかった母の目がなくなり、
焼酎の晩酌に赤ワインの寝酒が加わり(笑)
(※どちらも量は知れてます)


前よりちょっと遅く寝て、ちょっと遅く起きる
悠々自適なシングル・アゲイン


「困っていることはなんにもないんだ。」
と繰り返し、本当にリラックスしており明るい(笑)


妹とは、
「この機会に父も有料老人ホームに???」
と相談していたのですが、あまりにもその必要がなく
本人も1人を楽しんでいるようなので、またの機会に。
父が自分で希望するまでは、このままで行く予定です。


自分が90歳まで生きられるのかどうかわかりませんが、
父ほど健康でいられたら、ぜひ生きてみたいです






結婚28周年

2019-04-01 | 家族&夫婦
「この子ったら、まだ結婚してるのよ~」
と周りの70代にイジられつつ、
(※彼女たちは離婚、別居、死別いろいろ)


結婚28周年を迎えました


「上手くいかなかったら、冗談で済まそう
と言っていたエイプリルフールの 結婚は、
今でも続いています。


地味婚という言葉もなかった28年前に
結婚式も挙げない地味婚以下でスタート


大枚はたいて結婚式を挙げても続かなかったら
それは無駄になってしまう、という考えもあり、
(※そもそも2人とも晴れがましいことが嫌い)


「それだったら家を買おう

とお互いの有り金全部を拠出して頭金にし、
結婚した翌年にシンガポールで家を買いました。


大きな借金は新米夫婦のかすがいとなり、
家計のやりくりから2人のチームワークまで
意見の合わない新婚夫婦を結びつけてくれました。
(※ローンの返済があるので仲良くするしかない!)


「借金はかすがい」の教訓は今でも生きていて、
借金ありまくりのまま老後に突入します


子どももかすがいでしたが、成人してしまった今は

猫もかすがい


29年目も借金と猫に支えられつつ、
仲良く、楽しく、そして何よりも元気に