蒼太、永眠…
肺が膨らむと少し楽になり、スヤスヤ眠る時間もありました。
前日まで車いすでお散歩してボール遊びして、ご飯は自分の足で立って完食してました。
ご飯を食べ終わって暫くしたら、大量のタール便をしました。嫌な予感がありました。
欧介の時を思い出しました。
12月に入ってから極端にお散歩の距離が減って、ボール遊びも追うけど咥えられなくなった。
よく寝るようになり、まるで昏睡状態。
ただ、端午のトレーニングを見てやる気になったり、大好きなダンベル持来はボールが咥えられなくなってもしっかり咥えて持ってきた。
最後までトレーニングが大好きだった。
脚側も「アト」って言うと、ちゃんと脚側位置について歩いてた。
それでも急な衰えははっきりと見えた。
もしかしたら年は越せないかもと頭をよぎっていた。
だから毎日を本当に大切に過ごしてた。
日差しが暖かい日は、トレーニングごっこしたり、公園で日向ぼっこしたり、撫でながらお話ししたりしてのんびり過ごすようにしてた。
そんな時はとても嬉しそうに優しい眼差しで私のことをじっと見つめていた。
時々、そんな蒼太に涙が止まらず心配かけてしまった。なるべく笑って楽しかったベルギーの思い出を語りかけたりした。
何故か?欧介が亡くなって蒼太が一人っ子になった時期を思い出し話すことが多かった。
夜中、いつものようにリビングで一緒に寝てると、「ワンワン」と蒼太が吠えた。
起きたがるので起こして部屋を支えながら歩いた。
朝方まで時々鳴いてはカラダを起こすを繰り返してた。
朝になると苦しそうな様子は酷くなって、担当医と何度も話した「肺水腫」の病名が頭をよぎった。
このままでいいのか迷った末に、病院に連絡。
連れて行くことにしました。
朝の通勤ラッシュと重なり、道路は渋滞。
ますます苦しそうな蒼太を見て連れてきたことを後悔した。
病院でもう家に帰るのは難しいかもと言われて病院でお部屋をお借りして看取ることにしました。
病院で心臓のお薬と利尿剤を注射してもらって、オットと端午と家族で蒼太のそばにいました。
30分ぐらいすると、なんか落ち着いてきたみたい。先生もモニター見て様子を見に来て「帰るなら今かも」ということで、急いで帰宅しました。
家に着いてすぐに酸素吸入機を電話で頼むと1時間くらいで持ってきてくれた。これはとても役に立ちさらに不安な気持ちも楽になりました。
オットは午後から仕事があり会社へ。
病院から帰宅してから看護師のMさんと連絡を取り合うことで先生にもつないでくれたので、体位変換などの指示も的確にしてもらえました。
蒼太が吠えていたのは、肺が自重で潰れてしまうため苦しくなってしまうみたいで、立ってる状態でクッションを胸の下に挟み込み、フセの姿勢にしてしばらくしたら反対側に倒してあげると楽になるようでした。
端午も心配して寄り添ってました。
肺が膨らむと少し楽になり、スヤスヤ眠る時間もありました。
蒼太はオットが帰宅するまで頑張りました。
帰宅して落ち着いた頃、蒼太が吠えました。
見るとマナーバンドから漏れるほどの大量のおしっこでした。
綺麗にしてあげてホッとしたら、また吠えました。すぐに抱き上げてオットに「声をかけてあげて」と伝えました。
たぶんお別れの時だと伝えました。
少しだけ2度ほど手を突っ張って息をしたのが最期でした。
意識はなかったけど心臓は15秒ほど動いてました。
蒼太は本当に頑張りました。
オットとまだしばらくは聞こえてる気がしたので何度も「ありがとう」と伝えました。
本当に私たちの元へ来てくれて、たくさんの楽しい思い出とたくさんの愛で包んでくれてありがとう。
蒼太は本当に特別な子でした。
蒼太はいつも出会う人や犬に必ず挨拶に行きました。たぶん、私たちのことをよろしくねって言っていたのだと思います。
そんな蒼太はたくさんの方に愛されてたのだと、お供えしていただいたお花を見て思いました。
蒼太のことを気にかけていただきありがとうございました。