和歌山県伊都郡高野町高野山にある苅萱堂・密厳院です。
密厳院は苅萱堂の本院になっています。苅萱堂は苅萱道心(かるかやどうしん)とその子石道丸(いしどうまる)の悲話として広く知られています。朱色の鮮やかな苅萱堂は道心が庵を結んだ跡といわれています。道心と石童丸の物語が堂内に額にして掲げられています。
加藤左衛門繁氏が花の散るのを見て発心し、法然の手によって剃髪、苅萱道心と名付けられます。その後は妻子と離れて高野山に登ったところ、妻と子の石童丸がやってきます。女人禁制のため妻は麓に残り、石童丸が一人で登ってきました。
修行のため「父は死んだ」と言い、母と菩提を弔うよう促して山を下らせます。しかし、既に母は亡くなっていました。嘆き悲しんだ石童丸は、本当は父である苅萱道心のもとで出家。その後は決して親子であることを明かさず40年もの間、この堂で修行に励んだそうです。
下記のサイトにもお立ち寄りください!
http://ogino.okoshi-yasu.com/
密厳院は苅萱堂の本院になっています。苅萱堂は苅萱道心(かるかやどうしん)とその子石道丸(いしどうまる)の悲話として広く知られています。朱色の鮮やかな苅萱堂は道心が庵を結んだ跡といわれています。道心と石童丸の物語が堂内に額にして掲げられています。
加藤左衛門繁氏が花の散るのを見て発心し、法然の手によって剃髪、苅萱道心と名付けられます。その後は妻子と離れて高野山に登ったところ、妻と子の石童丸がやってきます。女人禁制のため妻は麓に残り、石童丸が一人で登ってきました。
修行のため「父は死んだ」と言い、母と菩提を弔うよう促して山を下らせます。しかし、既に母は亡くなっていました。嘆き悲しんだ石童丸は、本当は父である苅萱道心のもとで出家。その後は決して親子であることを明かさず40年もの間、この堂で修行に励んだそうです。
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