和歌山県伊都郡高野町高野山にある高野山・武田信玄 勝頼 墓所です。
武田信玄は甲斐源氏の嫡流にあたる甲斐武田家第19代当主でした。越後の上杉謙信と5回にわたって戦をし川中島の戦いとして後代に語られています。甲斐本国に加え信濃、駿河、西上野、遠江、三河を領し、勢力を拡大させました。
武田勝頼は信玄が攻め滅ばした諏訪家の血を受け継いでいます。元亀四年、信玄が没し、跡を継いだ勝頼は天正2年、東美濃に出兵、織田方の支城を落としました。しかし天正3年、長篠城を囲んだ勝頼は織田・徳川連合軍と設楽ヶ原で戦い、大敗してしまいます。天正10年、織田・徳川の甲斐侵攻が始まり、小山田信茂の岩殿城へ向かいましたが信茂に裏切られ、天目山で敵の挟み撃ちにあい妻子とともに自刃しました。
下記のサイトにもお立ち寄りください!
http://ogino.okoshi-yasu.com/
武田信玄は甲斐源氏の嫡流にあたる甲斐武田家第19代当主でした。越後の上杉謙信と5回にわたって戦をし川中島の戦いとして後代に語られています。甲斐本国に加え信濃、駿河、西上野、遠江、三河を領し、勢力を拡大させました。
武田勝頼は信玄が攻め滅ばした諏訪家の血を受け継いでいます。元亀四年、信玄が没し、跡を継いだ勝頼は天正2年、東美濃に出兵、織田方の支城を落としました。しかし天正3年、長篠城を囲んだ勝頼は織田・徳川連合軍と設楽ヶ原で戦い、大敗してしまいます。天正10年、織田・徳川の甲斐侵攻が始まり、小山田信茂の岩殿城へ向かいましたが信茂に裏切られ、天目山で敵の挟み撃ちにあい妻子とともに自刃しました。
下記のサイトにもお立ち寄りください!
http://ogino.okoshi-yasu.com/