北海道函館市谷地頭町にある柳川熊吉翁の碑です。
柳川熊吉は、安政3年(1856)江戸から来て請負業を営み、五稜郭築造工事の際には、労働者の供給に貢献しました。箱館戦争後、賊軍の慰霊を禁止した命令で、戦死した旧幕府軍将兵の遺骸は野晒しで放置されたままでした。
熊吉は、実行寺の僧と一緒に遺体を集めて同寺に葬りました。そして投獄されましたが新政府軍の田島圭蔵の計らいで、断罪を免れました。明治4年(1871)、熊吉は函館山山腹に土地を購入して遺体を改葬し、同8年、碧血碑を建てました。大正2年(1913)熊吉の米寿に際し、有志らはここに寿碑を建てました。
下記のサイトにもお立ち寄りください!
http://ogino.okoshi-yasu.com/
柳川熊吉は、安政3年(1856)江戸から来て請負業を営み、五稜郭築造工事の際には、労働者の供給に貢献しました。箱館戦争後、賊軍の慰霊を禁止した命令で、戦死した旧幕府軍将兵の遺骸は野晒しで放置されたままでした。
熊吉は、実行寺の僧と一緒に遺体を集めて同寺に葬りました。そして投獄されましたが新政府軍の田島圭蔵の計らいで、断罪を免れました。明治4年(1871)、熊吉は函館山山腹に土地を購入して遺体を改葬し、同8年、碧血碑を建てました。大正2年(1913)熊吉の米寿に際し、有志らはここに寿碑を建てました。
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