岡山県岡山市西大寺中に西大寺観音院があります。
ここで行われる会陽は有名です。
会陽(えよう)は戦国時代、1月の修正会の結願の日に守護札を群集する参詣者に投げたことから始まりました。修正会は14日間、10数人の僧侶が斉戒沐浴して、祭壇に牛玉(ごおう)を供え、観世音菩薩の秘法を修し、国家安穏、五穀豊穣、萬民繁栄の祈祷をすることでした。
牛玉というのは、杉原や日笠という丈夫な紙に右から左へ牛玉、西大寺、宝印と順に並べて刷ったものです。14日間の祈祷を経てその牛玉を信徒に授けました。福を呼ぶということでその牛玉を奪い合うようになりました。室町時代の永正7年(1510)に、時の住職忠阿上人が牛玉が紙でちぎれてしまうので宝木(しんぎ)に変えたそうです。毎年2月の第3土曜日に開催され、本堂の御福窓から宝木が投下され、その年の福男を争います。
会陽の時は 本堂で少年裸祭りが行われ、21時の冬花火を合図に22時頃より地押しが始まります。仁王門から石門をくぐり、垢離取場で身を清めます。そして本堂で祈願した後、牛玉所権現に参拝します。裸が練り合う場と決められた四本柱をくぐり再び本堂に戻り本押しが始まります。
午前0時、本堂の明かりが消されます。枝宝木が投下された後、2本の宝木が投下されると裸のふんどし姿の男衆が一斉にそれを手に入れようと押し合うのです。何千人も裸の男衆とそれを見物する何万人の群衆の熱気で寒さも吹っ飛びます。
下記のサイトにもお立ち寄りください!
http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/

日本一周 ブログランキングへ

にほんブログ村

http://blog.fc2.com/
ここで行われる会陽は有名です。
会陽(えよう)は戦国時代、1月の修正会の結願の日に守護札を群集する参詣者に投げたことから始まりました。修正会は14日間、10数人の僧侶が斉戒沐浴して、祭壇に牛玉(ごおう)を供え、観世音菩薩の秘法を修し、国家安穏、五穀豊穣、萬民繁栄の祈祷をすることでした。
牛玉というのは、杉原や日笠という丈夫な紙に右から左へ牛玉、西大寺、宝印と順に並べて刷ったものです。14日間の祈祷を経てその牛玉を信徒に授けました。福を呼ぶということでその牛玉を奪い合うようになりました。室町時代の永正7年(1510)に、時の住職忠阿上人が牛玉が紙でちぎれてしまうので宝木(しんぎ)に変えたそうです。毎年2月の第3土曜日に開催され、本堂の御福窓から宝木が投下され、その年の福男を争います。
会陽の時は 本堂で少年裸祭りが行われ、21時の冬花火を合図に22時頃より地押しが始まります。仁王門から石門をくぐり、垢離取場で身を清めます。そして本堂で祈願した後、牛玉所権現に参拝します。裸が練り合う場と決められた四本柱をくぐり再び本堂に戻り本押しが始まります。
午前0時、本堂の明かりが消されます。枝宝木が投下された後、2本の宝木が投下されると裸のふんどし姿の男衆が一斉にそれを手に入れようと押し合うのです。何千人も裸の男衆とそれを見物する何万人の群衆の熱気で寒さも吹っ飛びます。
下記のサイトにもお立ち寄りください!
http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/

日本一周 ブログランキングへ

にほんブログ村

http://blog.fc2.com/