兵庫県たつの市揖保川町新在家に永富家住宅があります。
永富家住宅は揖保川下流域西部の、たつの市揖保川町新在家にあります。広い屋敷の敷地面積は2670平方m(807坪)で、主屋、長屋門、籾納屋(もみなや)、大蔵、乾蔵、内蔵、味噌蔵、東蔵の8棟が建てられています。
これらの全ての建物が昭和39年(1964)に兵庫県の重要文化財に指定され、昭和42年(1967)には国の重要文化財に指定されました。また、文政3年(1820)の建築当時の板絵図と永富家住宅普請帳13冊も当時の建築を知る上で貴重な資料として、昭和46年(1971)に国の重要文化財に追加指定されています。
永富家は龍野藩内にあった揖保川町付近の大地主で、藩から在郷家臣の待遇を与えられていました。伊賀の武士の出といわれ、関ヶ原の戦い頃の慶長5年(1600)には、この地に居住していたそうです。
寛文12年(1672)龍野藩主に脇坂家がなると、信頼重用され、寛保2年(1742)には庄屋を務め、文化9年(1812)には龍野藩の御用金の用立てに尽力したことから、苗字帯刀を許されています。
永富家は藩から家臣並の特別待遇を受け、殿様が立ち寄ることもあったため、建物には身分の高い武家屋敷のように上段の間や玄関がついています。
かつては、脇坂家より拝領した不紊庵および夕可庵という茶室や、米蔵、厩舎、納屋、離れ座敷などもあったそうですが、老朽化のために昭和37年(1962年)に壊されたそうです。
下記のサイトにもお立ち寄りください!
http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/
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永富家住宅は揖保川下流域西部の、たつの市揖保川町新在家にあります。広い屋敷の敷地面積は2670平方m(807坪)で、主屋、長屋門、籾納屋(もみなや)、大蔵、乾蔵、内蔵、味噌蔵、東蔵の8棟が建てられています。
これらの全ての建物が昭和39年(1964)に兵庫県の重要文化財に指定され、昭和42年(1967)には国の重要文化財に指定されました。また、文政3年(1820)の建築当時の板絵図と永富家住宅普請帳13冊も当時の建築を知る上で貴重な資料として、昭和46年(1971)に国の重要文化財に追加指定されています。
永富家は龍野藩内にあった揖保川町付近の大地主で、藩から在郷家臣の待遇を与えられていました。伊賀の武士の出といわれ、関ヶ原の戦い頃の慶長5年(1600)には、この地に居住していたそうです。
寛文12年(1672)龍野藩主に脇坂家がなると、信頼重用され、寛保2年(1742)には庄屋を務め、文化9年(1812)には龍野藩の御用金の用立てに尽力したことから、苗字帯刀を許されています。
永富家は藩から家臣並の特別待遇を受け、殿様が立ち寄ることもあったため、建物には身分の高い武家屋敷のように上段の間や玄関がついています。
かつては、脇坂家より拝領した不紊庵および夕可庵という茶室や、米蔵、厩舎、納屋、離れ座敷などもあったそうですが、老朽化のために昭和37年(1962年)に壊されたそうです。
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