兵庫県赤穂市加里屋に花岳寺があります。
台雲山花岳寺は曹洞宗のお寺です。赤穂藩祖浅野長直が常陸笠間藩から赤穂藩へ転封になった正保2年(1645)に父華嶽院と母台雲院の菩提寺として建立し、その法名から台雲山華嶽寺と称し浅野家の菩提寺としました。
浅野長直のあとは長友、長矩(ながのり)が藩主になりました。元禄14年(1701)、長矩は、江戸城松の廊下で高家の吉良義央(よしなか)を切りつけ、即日切腹させられました。赤穂浅野家は取り潰しとなり、元禄15年(1702)12月14日、大石内蔵助ら赤穂浪士47士が主君の仇を討ちました。
元禄16年(1703)2月4日、赤穂義士たちが切腹したとの報が赤穂に届くと、大勢の人が死を悼み悲しんで花岳寺に押し寄せました。そして寺の鐘をつきまくったといわれています。
浅野家断絶の後、花岳寺は永井、森氏ら歴代藩主の菩提寺となりました。寺運は隆盛し、新西国33ヶ所霊場の第31番札所にもなり参拝客でにぎわいました。
下記のサイトにもお立ち寄りください!
http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/
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台雲山花岳寺は曹洞宗のお寺です。赤穂藩祖浅野長直が常陸笠間藩から赤穂藩へ転封になった正保2年(1645)に父華嶽院と母台雲院の菩提寺として建立し、その法名から台雲山華嶽寺と称し浅野家の菩提寺としました。
浅野長直のあとは長友、長矩(ながのり)が藩主になりました。元禄14年(1701)、長矩は、江戸城松の廊下で高家の吉良義央(よしなか)を切りつけ、即日切腹させられました。赤穂浅野家は取り潰しとなり、元禄15年(1702)12月14日、大石内蔵助ら赤穂浪士47士が主君の仇を討ちました。
元禄16年(1703)2月4日、赤穂義士たちが切腹したとの報が赤穂に届くと、大勢の人が死を悼み悲しんで花岳寺に押し寄せました。そして寺の鐘をつきまくったといわれています。
浅野家断絶の後、花岳寺は永井、森氏ら歴代藩主の菩提寺となりました。寺運は隆盛し、新西国33ヶ所霊場の第31番札所にもなり参拝客でにぎわいました。
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