旅と歴史

全国各地の史跡を取り上げて紹介しています。

西明寺

2021年08月24日 | 旅 歴史

 栃木県芳賀郡(はがぐん)益子町益子に西明寺(さいみょうじ)があります。
 独古山普門院西明寺は真言宗豊山派のお寺で、天平9年(737)行基によって創建されたそうです。紀有麻呂が諸堂を建立し、天平11年(739)落慶供養が行われたと伝えられています。坂東33カ所第20番の札所で本尊は十一面観世音菩薩です。
 延暦元年(782)には一山12坊を数えて隆盛を極めました。康平年間(1058-1065)に益子氏初代・益子正隆が高舘城(西明寺城)を築き、西明寺は益子氏によって庇護されます。大治2年(1127)に兵火により堂塔12坊すべて灰塵に帰しましたが、治承2年(1178)に再建されました。その後、益子氏は宇都宮城城主・宇都宮氏に従う事になり、宇都宮氏からも庇護されました。承元3年(1209)に宇都宮景房によって本堂が修築されています。
 建長年間(1249-1256)には七堂伽藍が再興されて壮麗を極めました。しかし南北朝時代、南朝についた益子・宇都宮氏は北朝方に侵攻され、正平6年(1351)、益子城は落城し、西明寺もその兵火により灰燼に帰しました。応永元年(1394)に益子勝直が再興を果たし、明応3年(1494)に楼門が再建され、天文6年(1537)には益子家宗の寄進により三重塔が造営されています。
 益子氏はその後、宇都宮家・笠間氏との争いに敗れ、常陸国の佐竹氏の家臣となっています。西明寺は江戸時代に入ると徳川幕府から庇護されました。元禄14年(1701)平野亦市により本堂の再建が行われ、正徳4年(1714)には閻魔堂が建立され、享保7年(1722)には鐘楼が再建されて現在の姿になりました。

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