旅と歴史

全国各地の史跡を取り上げて紹介しています。

高野山・苅萱堂 密厳院

2010年08月17日 | 旅 歴史
和歌山県伊都郡高野町高野山にある高野山・苅萱堂 密厳院です。
 密厳院は苅萱堂の本院になっています。苅萱堂は苅萱道心(かるかやどうしん)とその子石道丸(いしどうまる)の悲話として広く知られています。朱色の鮮やかな苅萱堂は道心が庵を結んだ跡といわれています。道心と石童丸の物語が堂内に額にして掲げられています。
 加藤左衛門繁氏が花の散るのを見て発心し、法然の手によって剃髪、苅萱道心と名付けられます。その後は妻子と離れて高野山に登ったところ、妻と子の石童丸がやってきます。女人禁制のため妻は麓に残り、石童丸が一人で登ってきました。
 修行のため「父は死んだ」と言い、母と菩提を弔うよう促して山を下らせます。しかし、既に母は亡くなっていました。嘆き悲しんだ石童丸は、本当は父である苅萱道心のもとで出家。その後は決して親子であることを明かさず40年もの間、この堂で修行に励んだそうです。


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高野山・金輪塔

2010年08月16日 | 旅 歴史
 和歌山県伊都郡高野町高野山にある高野山・金輪塔です。
 徳川家霊台の向かい側の金輪公園内に高野山金輪塔があります。二間半四面の宝塔で、高さ約18m、桧皮葺きです。創建されたのは永承元年(1046)から天仁元年(1108)の間とみられています。現在の塔は天保5年(1834)に再建されたものです。この塔は高野山復興の祖といわれる明算検校の廟所であるという説もあります。
 本尊は金輪仏頂尊です。金輪というのは、極限の意で、もっともすぐれているという意味です。仏頂尊とは仏の頭頂(頂成肉髻ちょうじょうにくけい)の功徳である仏智を神格化したものです。釈迦以後に多くの如来などの諸尊が出現して、それぞれの仏に対する信仰が行なわれるようになりました。それらを統合した最高唯一の仏を求め出し、それに仏頂尊という名をつけるようになったのです。


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高野山・徳川家霊台

2010年08月15日 | 旅 歴史
 和歌山県伊都郡高野町高野山にある高野山・徳川家霊台です。
 徳川家霊台は、徳川家康と秀忠を祀る東照宮です。寛永20年(1643)に3代将軍家光によって建立されました。2つの小さな一重宝形造り(いちじゅうほうぎょうづくり)の建物です。
 向かって右が徳川家康を祀りその念持仏を安置した薬師堂です。左が秀忠の位牌を納めた位牌堂です。江戸時代の代表的な建築として国の重要文化財に指定されています。
 境内には3代将軍以下および御三家の尊牌堂(そんぱいどう)がありましたが、明治21年(1888)に焼失してしまいました。この場所は本来徳川家との関係が深い大徳院の境内だったのですが、明治になって他の寺院と合併してしまったので霊台だけが残っているのです。


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高野山霊宝館

2010年08月14日 | 旅 歴史
 和歌山県伊都郡高野町大字高野山にある高野山霊宝館です。
 高野山は密教美術をはじめとする重文、国宝の宝庫です。高野山霊宝館には金剛峯寺をはじめ、高野山に伝えられている貴重な仏画・仏像などの文化遺産が収蔵され、その一部が展示替えをしながら公開されています。
 博物館でもある霊宝館は大正10年(1921)に開設されました。建物は宇治平等院を模して建造され、高野山でも数少ない大正建築として登録指定文化財に指定されています。


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高野山・女人堂

2010年08月13日 | 旅 歴史
 和歌山県伊都郡高野町高野山にある高野山・女人堂です。
 その昔、高野山には七つの登り口があり、高野七口(こうやななくち)と呼ばれていました。かつて七口すべてにあった女人堂はここ不動口にある女人堂のみ現存しています。高野山は開創以来女人禁制が守られ、明治5年(1872)に女人禁制が解かれるまで、女性の立ち入りが厳しく制限されてきました。
 そのため各登り口に女性のための参籠所が設けられ、女人堂と呼ばれたのです。高野山の外周には女人道があり、女性は峯から峯を巡りながら樹間から垣間見える壇上伽藍や奥の院に手を合わせて参拝したそうです。


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高野山・金剛峯寺

2010年08月12日 | 旅 歴史
 和歌山県伊都郡高野町高野山にある高野山・金剛峯寺です。
 金剛峯寺は全国3600寺に及ぶ高野山真言宗の総本山です。ここで1年交代で弘法大師の身代わりを勤める検校法印の就任式や法印転衣式などの重要な行事が執り行なわれます。
 金剛峯寺の名称はもとは高野山一山の総称でした。弘法大師が「金剛峯楼閣一切瑜伽瑜祇経」という経典に因んで名付けたと伝えられています。現在の金剛峯寺は江戸時代までは青巌寺と称していました
 文禄2年(1593)豊臣秀吉は母・大政所の菩提を弔うため、木食応其に命じてここに寺を建立しました。大政所の遺髪を納めたことから剃髪寺と名付けられましたが、後に青厳寺と改称しました。豊臣秀次が自害した場所としても知られています。現在の建物は文久3年(1863)に再建されたものです。
 明治になり、行政官の指導により青厳寺を金剛峯寺と改めました。そして隣接する興山寺を合併して高野山の本坊・宗務の中心となりました。山門を入ると檜皮葺の大屋根の大主殿があります。東西54m、南北63mの高野山最大の木造建築です。
 大広間では重要な法要が営まれ、持仏間には本尊・弘法大師の両脇に歴代天皇の位牌や歴代座主の位牌が奉安されています。別殿、新別殿、奥殿、新書院、経蔵、鐘楼、護摩堂などが建ち並びます。
 伽藍の入口にある鐘楼は、福島正則が父母の追福菩提を祈って、元和4年(1618)に建立された六時の鐘です。寛永7年(1640)に、正則の子、正利によって再鋳されました。その鐘銘がかなまじり文であることで有名です。明け六つ(午前6時)から2時間おきに時刻を報じるそうです。


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高野山・東塔

2010年08月11日 | 旅 歴史
 和歌山県伊都郡高野町高野山にある高野山・東塔です。
 東塔(とうとう)は大治2年(1127)、白河院の発願によって醍醐三宝院勝覚権僧正(だいごさんぼういんしょうかくごんのそうじょう)によって創建されました。5度も罹災し再建されてきました。
 5度目の天保14年(1843)の焼失からしばらくの間再建されませんでした。140年たった昭和59年(1984)にようやく再建されました。当初は上皇等身の尊勝仏頂尊(そんしょうぶっちょうそん)が本尊として奉安されました。不動明王、降三世(ごうさんぜ)明王の二体も脇侍(きょうじ)として祀られています。


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高野山・愛染堂

2010年08月10日 | 旅 歴史
 和歌山県伊都郡高野町高野山にある高野山・愛染堂です。
 愛染堂(あいぜんどう)は建武元年(1334)、後醍醐天皇の勅命によって四海静平(しかいせいへい)、玉体安穏(ぎょくたいあんのん)を祈るために建立されました。このお堂も何度か罹災し、現在の建物は嘉永元年(1848)に再建されたものです。
 本尊は後醍醐天皇御等身の愛染明王です。愛情・情欲をつかさどり、愛欲貪染をそのまま浄菩提心(悟りの心)にかえる力をもち、煩悩即菩提を象徴した明王です。


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高野山・不動堂

2010年08月09日 | 旅 歴史
 和歌山県伊都郡高野町高野山にある高野山・不動堂です。
 不動堂は高野山に残る最古の建物で国宝です。建久8年(1197)、鳥羽上皇の皇女である八條女院(はちじょうにょいん)内親王が発願し、行勝(ぎょうしょう)上人によって建立されました。もともと一心院谷に建てられていましたが、明治41年に(1898)解体修理が施され、明治43年(1900)この地に移築されました。
 本尊の不動明王座像は国の重要文化財で、不動明王に仕える8人の童子像の、八大童子立像は6体が国宝です。運慶作の制多迦童子像、快慶作の恵光童子像などが有名です。


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高野山・三昧堂

2010年08月08日 | 旅 歴史
 和歌山県伊都郡高野町高野山にある高野山・三昧堂です。
 三昧堂(ざんまいどう)は大会堂の右横にあるお堂で金剛界大如来を本尊としています。6世座主の済高(さいこう)が延長7年(929)頃に建立し、ここで「理趣三昧」という儀式を執り行なっていたため、三昧堂と呼ばれるようになりました。
 現在の建物は嘉永元年(1848)の再建で壇上伽藍の中で最も小さな建物です。3間(5.4m)、4面のお堂で、堂前には西行桜があります。西行法師手植えの桜として有名です。このお堂を修造した記念に植えられたそうです。


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高野山・大会堂

2010年08月07日 | 旅 歴史
 和歌山県伊都郡高野町高野山にある高野山・大会堂です。
 大会堂(だいえどう)は根本大塔の東にある7間(12.6m)4面のお堂です。安元元年(1175)鳥羽法王の皇女である五辻斎院(ごつじさいいん)内親王が、法王の追福のため建立されました。
 大会堂は、もと東別所にあって蓮華乗院(れんげじょういん)と称していました。治承3年(1179)西行がこの地に移築したいわれています。江戸時代から壇上で法要などあった時、ここで法衣を着替え、威儀を整える場所として使用されています。現在は法会の集会堂にもなっています。


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高野山・六角経蔵

2010年08月06日 | 旅 歴史
 和歌山県伊都郡高野町高野山にある高野山・六角経蔵です。
 六角経蔵(ろっかくきょうぞう)は六角錐(六面)のお経を収める蔵です。平治元年(1159)鳥羽天皇の皇后であった美福門院が、天皇の菩提のため浄写した一切経を納めるために創建しました。この時、荒川荘を供養料として寄進したことから荒川経蔵ともいわれます。
 この時に奉納された一切経は、紺紙に銀罫を引き、金字で書写したもので、国の重要文化財に指定され霊宝館に収蔵されています。
 現在の六角経蔵は昭和8年(1933)に再建された建物で鉄筋コンクリート造り、六角形2層の塔です。


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高野山・山王院

2010年08月05日 | 旅 歴史
 和歌山県伊都郡高野町高野山にある高野山・山王院です。
 山王院は明神社前の通路を1つへだてた所に建つ拝殿です。地主山王を拝する場所の意で、藤原時代の創建になります。現在の建物は文禄3年(1594)の再建で国の重要文化財に指定されています。
 山王院は両側面向拝付入母屋造りの建物で、桁行21.3m、梁間7.8mあります。山王院は、毎年旧暦の5月3日修行学道の試験とも云うべき、「論議」の行われる場所になっています。竪精論議は高野山特有の学修行事であり、夜を徹してするそうです。


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高野山・明神社

2010年08月04日 | 旅 歴史
 和歌山県伊都郡高野町高野山にある高野山・明神社です。
 明神社は壇上伽藍の西端にあり、三社が並列しています。御社(みやしろ)とも呼ばれ、右から丹生明神(一の宮)、高野明神(二の宮)、十二王子百二十伴神をまつる総社(三の宮)に分かれています。弘法大師は、仏教と日本在来の神との融和を図り、高野山の地主神として丹生明神と高野明神を勧請したのです。
 丹生、高野明神社の構造形式は、一間社春日造で、総社は三間社流見世棚造と呼ばれ、どちらも屋根は檜皮葺きです。これら3社は金剛峯寺山王院本殿として国の重要文化財に指定されています。


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高野山・西塔

2010年08月03日 | 旅 歴史
和歌山県伊都郡高野町高野山にある高野山・西塔です。
西塔は壇上伽藍の北西隅にあります。高野山第2世真然大徳の代に空海の図記をもとに仁和2年(887)に創建したと伝えられています。創建時は、現在のような多宝塔ではなく、五層五丈であったともいわれています。
 その後、5度も火災にあい、現在のものは天保5年(1834)覚道という僧が中心になり、正智院住職3代にわたって自力で再建したそうです。5間4面、高さ約27mの多宝塔で三昧堂右隣の東塔と一対をなしています。本尊は根本大塔の本尊に対する金剛界大日如来と胎蔵界4仏で、中尊の木造大日如来座像は国の重要文化財に指定されています。


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