旅と歴史

全国各地の史跡を取り上げて紹介しています。

杵築城跡

2010年10月05日 | 旅 歴史
 大分県杵築市杵築にある杵築城跡です。
 豊後の大友氏の二代目である親秀の六男親重は建長2年(1250)鎌倉幕府から豊後国速見郡武者所として、八坂郷木付荘に封ぜられました。そして、地名の木付を氏とし名乗り、竹ノ尾の高台に城を築きました。
 木付氏四代頼直は海と断崖に囲まれた要害堅固な地に城を移築し、応永元年(1394)に完成させ、木付城と命名しました。これが杵築城のはじまりです。
 戦国時代には大友氏と島津氏の戦いの舞台となりました。天正14年(1586)、豊臣秀吉の九州征伐を前に、薩摩の島津義弘は九州を支配しようと3万の軍勢を率いて豊後の大友宗麟を攻めました。
 豊後の諸城は次々と落とされ木付城に迫りました。城を守る木付鎮直は島津側の新納(にいろ)武蔵守勢の猛攻を受けましたが、籠城して奮戦し、天正15年(1587)には島津勢を撃退しました。
 この戦いで杵築城は難攻不落の城として名を高め、「勝山城」とも呼ばれるようになったそうです。
 文禄2年(1593)大友宗麟の後を継いだ大友義統(よしむね)が文禄の役で、敵の大軍を恐れて前線より逃走したことから改易されてしまいました。
 木付鎮直の子統直(むねなお)は帰国の途中、門司の浦で宗家大友氏滅亡の悲劇を嘆いて自刃してしまいました。この悲報は直ちに木付城にいた父鎮直に伝えられ、鎮直夫妻は城内で自害、ここに木付氏17代、340年余の歴史が終わったのです。
 慶長5年(1600)関ケ原の合戦の軍功により細川忠興が豊後中津城主となると、木付城には家老の松井興長が城代となりました。
 その後、正保2年(1645)城主となった松平英親は城の平地移転を完成させました。正徳2年(1712)3代藩主松平重休の時、徳川6代将軍家宣の朱印状に木付の文字が杵築と書き違えられていたため、松平重休は幕府に伺いをたてた後、木付を杵築と改め現在に至っているそうです。
 現在は本丸、二の丸、三の丸の石垣や濠の一部が残り、山上の天守台跡に博物館と展望台を兼ねた模擬天守が昭和45年(1970)に建てられています。


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高野山・加賀 前田家墓所

2010年10月04日 | 旅 歴史
 和歌山県伊都郡高野町高野山にある高野山・加賀 前田家墓所です。
 加賀前田家の関連の墓は彼方此方にあり大きいので目立ちます。外様大名でしたが徳川将軍家との姻戚関係が強く、準親藩の地位が与えられ松平姓と葵紋が下賜されました。大名の中で最大の102万5千石を領し御三家に準ずる待遇でした。


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高野山・法明上人墓所

2010年10月03日 | 旅 歴史
 和歌山県伊都郡高野町高野山にある高野山・法明上人墓所です。
 法明上人は融通念仏宗を復興させた人物として有名です。平安時代に天台僧・良忍によって開かれたこの宗派は鳥羽上皇や崇徳天皇などの帰依によって全国に広まりましたが、その後すたれていました。


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高野山・曽我兄弟墓所

2010年10月02日 | 旅 歴史
 和歌山県伊都郡高野町高野山にある高野山・曽我兄弟墓所です。
建久4年(1193)富士の巻狩りの際に曾我兄弟の仇討ちがありました。この曽我兄弟の墓が高野山にあります。曾我十郎祐成と五郎時致が父の敵工藤祐経を討ち取りました。日本三大仇討の一つに数え上げられています。


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高野山・奥州 伊達家墓所

2010年10月01日 | 旅 歴史
 和歌山県伊都郡高野町高野山にある高野山・奥州 伊達家墓所です。
 伊達政宗は関ヶ原の戦いで東軍、徳川家康に味方し62万石に加増され、仙台城を築きました。伊達宗家の当主は少将に任ぜられ、外様大名の中では別格の扱いを受けました。8代藩主斉村以降は30歳に達せず早死にする藩主が多く、一門からの養子でかろうじて無嗣改易を免れました。


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