旅と歴史

全国各地の史跡を取り上げて紹介しています。

旧弘前市立図書館

2012年10月16日 | 旅 歴史
 青森県弘前市下白銀町にある旧弘前市立図書館です。
 旧弘前市立図書館は明治39年(1906)3月に竣工されました。斉藤主・堀江佐吉らが旧東奥義塾の敷地に建て、弘前市に寄贈したもので、当時は「日露戦捷記念弘前市立図書館」という長い名前でした。
 設計・施工は青森が生んだ代表的棟梁堀江佐吉で、木造洋風・ルネッサンス様式を基調とした八角形で三階建ての建物です。和風様式も随所に取り入れられています。
 昭和6年(1931)までは弘前市立図書館として利用されていました。図書館の移転により堀江家の子孫に払い下げられ、市内富野町に移築されていました。平成2年(1990)弘前市制100周年記念の一つとして現在地に復元したものです。
 現在、市立郷土文学館の施設として保存・一般公開されています。平成5年(1993)に青森県重宝に指定されています。

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旧東奥義塾外人教師館

2012年10月15日 | 旅 歴史
 青森県弘前市下白銀町にある旧東奥義塾外人教師館です。
 青森県重宝の旧東奥義塾外人教師館は、明治36年(1903)弘前市立東奥義塾(現・東奥義塾高等学校)に招かれていた英語教師の宿舎として建設されたものです。昭和62年(1987)の同校移転時に市に寄贈され一般公開されています。
 木造2階建、寄棟、金属板葺きで、設計はメソジスト・ミッションボード、施行は名棟梁・堀江佐吉でした。同校校舎を二度にわたって設計施工した本間俊平という説もあります。縦長の上げ下げ窓や煉瓦積の基礎、煉瓦積の煙突、外壁が下見板張りなど洋風建築の要素が見られます。

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青森銀行記念館

2012年10月14日 | 旅 歴史
 青森県弘前市元長町にある青森銀行記念館です。
 青森銀行記念館は青森県初の銀行だった第五十九銀行の本店として明治37年(1904)に建てられました。ルネッサンス風建築でありながら、防火用に日本の土蔵造りを取り入れた和洋折衷の優れた建物です。
 洋風の曲がり階段は窓を塞がないための工夫が施されていて、斜陽館の階段と似ています。天井に「金唐革紙」が使われています。当初の姿をとどめているのは、小樽の日本郵船とここだけとのことです。
 昭和18年(1943)、第五十九銀行ほか数行が合併して青森銀行が創立され、弘前支店に転用されました。昭和40年(1965)に支店新築にあたり、現在の地に移転し、弘前における明治期の文化財として永く保存することにしたものです。
 設計施工は斜陽館や旧弘前市立図書館を建てた名棟梁・堀江佐吉が設計施行したそうです。国の重要文化財に指定されています。

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日本キリスト教団 弘前教会

2012年10月13日 | 旅 歴史
 青森県弘前市元寺町にある日本キリスト教団 弘前教会です。
 弘前教会は、明治8年(1875)10月、「弘前公会」の名で創設された東北最古のプロテスタント教会です。パリのノートルダム大聖堂をモデルに、桜庭駒五郎が設計し、名棟梁・堀江佐吉の四男斎藤伊三郎が建設しました。
 同年6月、東奥義塾の英語教師ジョン・イングの感化によって14名の学生が洗礼を受けたことがきっかけとなり、塾長の本多廣一が初代牧師となって出発しました。弘前学院(聖愛高校)もこの教会から誕生しています。
 一部2階建ての木造平屋建て、正面は左右対称で両側が尖塔状、開口部は縦長で上部が尖塔形になっています。明治時代に建てられた数少ない洋風ゴシック式木造建築として極めて貴重な建物で、青森県重宝に指定されています。

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カトリック弘前教会

2012年10月12日 | 旅 歴史
 青森県弘前市百石町小路にあるカトリック弘前教会です。

 明治5年(1872)、パリ外国宣教会のアリヴェ神父が布教を始めた弘前カトリック教会は住宅地の中に建っています。現在の聖堂は明治43年(1910)オージェ神父が設計、横山常吉によって建てられました。
 祭壇はオランダのアムステルダムにあ る聖トマス教会から特別に譲り受け、昭和14年(1939)に持ち帰られたそうです。ベルギーの展覧会でゴシック様式のものとしては最優秀賞を受けた芸術作品だったそうです。
 施工した横山常吉は旧弘前市立図書館を造った名棟梁・堀江佐吉の弟であり、自らもクリスチャンであったそうです。この教会は青森県の重要文化財に指定されています。

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弘前東照宮本殿

2012年10月11日 | 旅 歴史
 青森県弘前市笹森町にある弘前東照宮本殿です。
 本殿は寛永5年(1628)に建立されたもので桁行3間、梁間3間、1重の入母屋造りです。妻入り、向拝1間、軒唐破風付きで元はこけら葺き(現在は鉄板葺き)でした。江戸時代初期に建てられた神社本殿建築として貴重な社殿で国の重要文化財に指定されています。

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弘前東照宮

2012年10月10日 | 旅 歴史
 青森県弘前市笹森町にある弘前東照宮です。
 弘前東照宮は元和3年(1617)弘前藩2代藩主津軽信枚(のぶひら)が日光東照宮の分霊を弘前城内に勧請したのが始まりです。
 寛永元年(1624)に現在地に移されました。全国的に見ても早い時期に勧請できたのは、信枚の正室満天姫が家康の養女であり親藩に準ずる家柄と認められたからと伝えられています。

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弘前八幡宮

2012年10月09日 | 旅 歴史
 青森県弘前市八幡町にある弘前八幡宮です。
 八幡社は中世、津軽郡八幡村に鎮座していました。大浦為信、後の初代弘前藩主津軽為信は霊験あらたかで度々の戦いで敵を破ったことから深く社を崇敬していました。天正18年(1590)社殿が焼失すると、再建して大浦城鬼門の鎮護神としました。。
 慶長17年(1612)2代藩主津軽信牧(のぶひら)が居城を弘前城に移した時、鬼門鎮護のため現在地に遷宮し弘前総鎮守と定めました。また最勝寺を別当寺とし、領内の寺社総取締(僧録)としました。
 明治の神仏分離令で最勝寺は大円寺跡に移転し、八幡宮の社殿の多くも破却されたそうです。この時に破壊を免れたのが本殿と、唐門です。本殿は四方に縁が回り、三間社流造で厚板葺型銅板葺の建築で国の重要文化財に指定されています。

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熊野奥照神社本殿

2012年10月08日 | 旅 歴史
 青森県弘前市大字田町にある熊野奥照神社本殿です。
 本殿は慶長15年(1610)に再建された時のもので三間社流造り、こけら葺き、素木造りです。向拝の組物・手鋏(たばさみ)・繋紅梁(つなぎこうりょう)・懸魚(げぎょ)などの細部に桃山時代の建築様式が取り入れられています。昭和29年(1954)に国の重要文化財に指定されています。

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熊野奥照神社

2012年10月07日 | 旅 歴史
 青森県弘前市大字田町にある熊野奥照神社です。
 熊野奥照神社は弘前城の北東にある神社で、江戸時代までは熊野宮と呼ばれていました。創建は崇神天皇67年(紀元前31年)に勧請されたのが始まりと伝えられています。
 斉明天皇4年(658)、阿部比羅天がこの神社を崇敬、 熊野三所大権現を勧請し奥尾崎に祀りました。延暦7年(788)に比羅賀洲王が扇野庄(今の弘前)に遷座し、さらに池の中島に遷座しました。延暦21年(802)に桓武天皇により社殿が再建され高岡神社と称し、3年後、陸奥国高岡熊野神社となりました。
 天正16年(1588)に津軽為信が社殿を修築、慶長15年(1610)には津軽信枚(のぶひら)が社殿を再建しました。その後、天保13年(1842)社殿は津軽順承によって修復されています。熊野奥照神社となったのは、明治時代初頭に発令された神仏分離令により仏式が廃された時からです。

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高照神社廟所

2012年10月06日 | 旅 歴史
 青森県弘前市高岡神馬野にある高照神社廟所です。
 九代藩主寧親が文化12年(1815)に廟所を建てました。石造の津軽信政公墓2基が前後に並び、その前面の廟所拝殿、正面の廟所門で構成され、周囲に石垣と土塁を築き、瑞垣と木柵を廻しています。国の重要文化財に指定されています。

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高照神社随神門

2012年10月05日 | 旅 歴史
 青森県弘前市高岡神馬野にある高照神社随神門です。
 高照神社随神門は切妻造鉄板葺の八脚門です。9代藩主津軽寧親が文化7年(1810)に造営したものです。国の重要文化財に指定されています。

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高照神社幣殿

2012年10月04日 | 旅 歴史
 青森県弘前市高岡神馬野にある高照神社幣殿です。
 幣殿は宝暦5年(1755)、7代藩主信寧によって造営されました。梁間3間、桁行2間の切妻造り、こけら葺きです。拝殿背面中央に接続しています。外廻りは丹塗で、内部は弁柄塗です。国の重要文化財に指定されています。

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高照神社拝殿

2012年10月03日 | 旅 歴史
 青森県弘前市高岡神馬野にある高照神社拝殿です。
 拝殿は宝暦5年(1755)、7代藩主信寧によって造営されました。桁行7間梁間3間の入母屋造りの、こけら葺きです。外廻りは丹塗で、内部は弁柄(べんがら)塗です。国の重要文化財に指定されています。
 正面屋根に千鳥破風を飾り、中央3間に軒唐破風を載せ、極彩色の透彫の彫物で飾り、向拝を張り出しています。7代藩主津軽信寧が造営しています。

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高照神社中門

2012年10月02日 | 旅 歴史
 青森県弘前市高岡神馬野にある高照神社中門です。
 中門は正徳2年(1712)の建築で、1間1戸、こけら葺きの平唐門で、西軒廊を介して本殿に、東軒廊を介して幣殿に続いています。天井はなく化粧屋根裏で石敷きの床に連子窓を連ねています。国の重要文化財に指定されています。

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