岩手県北上市立花の「みちのく民俗村」にある旧菅野家住宅・薬医門です。
旧菅野家住宅は伊達藩の典型的平入り直家(すごや)造りの農家です。直家は曲り家と違い棟が直線型の家です。主屋は享保13年(1728)、薬医門は享保5年(1720)に建てられています。
南部藩と境を接する北上市口内町長洞の通称中村屋敷と呼ばれた菅野助治から寄贈され「みちのく民俗村」内に移築したものです。
間口21.3m、奥行11.6m、寄棟造り、茅葺きで半分が土間で占められています。障子の作りは古風で、土間の表柱、大壁、内柱などに大肝入(きもいり)以上の家宅の風格があります。
旧菅野家住宅は岩手県内における建築年代の明らかな古民家の中では、最も古いもので、主屋と表門が昭和40年(1965)国の重要文化財に指定されています。
下記のサイトにもお立ち寄りください!
http://ogino.okoshi-yasu.com/

旧菅野家住宅は伊達藩の典型的平入り直家(すごや)造りの農家です。直家は曲り家と違い棟が直線型の家です。主屋は享保13年(1728)、薬医門は享保5年(1720)に建てられています。
南部藩と境を接する北上市口内町長洞の通称中村屋敷と呼ばれた菅野助治から寄贈され「みちのく民俗村」内に移築したものです。
間口21.3m、奥行11.6m、寄棟造り、茅葺きで半分が土間で占められています。障子の作りは古風で、土間の表柱、大壁、内柱などに大肝入(きもいり)以上の家宅の風格があります。
旧菅野家住宅は岩手県内における建築年代の明らかな古民家の中では、最も古いもので、主屋と表門が昭和40年(1965)国の重要文化財に指定されています。
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岩手県花巻市東和町谷内にある旧小原家住宅dす。
旧小原家住宅は藩政時代の一般農家の住宅で、18世紀中頃に建てられたものと推定されています。建物は南部地方独特の曲り屋で、外周りの壁が多く、上屋根(うわやね)の柱がきちんとあって太く、この地方の民家の特徴を表しています。
間口16.3m、奥行9.6mの母屋に3間4方の馬屋を突き出し、大戸口は曲り部分の内側に付いています。馬屋の部分が小さいことから、曲り屋としては古いタイプです。
家畜を大切にし、一つ屋根の下でともに暮らした「南部曲り家」の発生過程を知ることができる価値のある民家で、国の重要文化財に指定されています。
下記のサイトにもお立ち寄りください!
http://ogino.okoshi-yasu.com/

旧小原家住宅は藩政時代の一般農家の住宅で、18世紀中頃に建てられたものと推定されています。建物は南部地方独特の曲り屋で、外周りの壁が多く、上屋根(うわやね)の柱がきちんとあって太く、この地方の民家の特徴を表しています。
間口16.3m、奥行9.6mの母屋に3間4方の馬屋を突き出し、大戸口は曲り部分の内側に付いています。馬屋の部分が小さいことから、曲り屋としては古いタイプです。
家畜を大切にし、一つ屋根の下でともに暮らした「南部曲り家」の発生過程を知ることができる価値のある民家で、国の重要文化財に指定されています。
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岩手県花巻市東和町北成島にある成島毘沙門堂です。
成島熊野神社境内に成島毘沙門堂があります。もと「成島寺」と称した寺院の名残りで、坂上田村麻呂、円仁の開基と伝えられています。方三間、寄棟造り、鉄板葺き(もと茅葺き)の仏堂です。
毘沙門堂は、多くの貴重な仏像を奉るために建てられたお堂で、古くから地域の人々の信仰を集めています。以前は、堂内に国指定重要文化財の彫刻「木造毘沙門天立像」「木造伝吉祥天立像」が奉られていました。今は収蔵庫に移されています。
木造毘沙門天立像は高さ4.73mで岩手県内で最も大きな仏像で、ケヤキの1本彫成仏としては日本一の像です。東北地方を平定した後、四天王の一つ北方世界の守護神である毘沙門天(多聞天)を作ったものです。
毘沙門堂は延宝元年(1673)に修理をしていますが、各部の仕上げや建築手法などから室町時代後期に建立されたものといわれています。岩手県内で数少ない中世の平成2年(1990)建物として、国の重要文化財に指定されました。
下記のサイトにもお立ち寄りください!
http://ogino.okoshi-yasu.com/

成島熊野神社境内に成島毘沙門堂があります。もと「成島寺」と称した寺院の名残りで、坂上田村麻呂、円仁の開基と伝えられています。方三間、寄棟造り、鉄板葺き(もと茅葺き)の仏堂です。
毘沙門堂は、多くの貴重な仏像を奉るために建てられたお堂で、古くから地域の人々の信仰を集めています。以前は、堂内に国指定重要文化財の彫刻「木造毘沙門天立像」「木造伝吉祥天立像」が奉られていました。今は収蔵庫に移されています。
木造毘沙門天立像は高さ4.73mで岩手県内で最も大きな仏像で、ケヤキの1本彫成仏としては日本一の像です。東北地方を平定した後、四天王の一つ北方世界の守護神である毘沙門天(多聞天)を作ったものです。
毘沙門堂は延宝元年(1673)に修理をしていますが、各部の仕上げや建築手法などから室町時代後期に建立されたものといわれています。岩手県内で数少ない中世の平成2年(1990)建物として、国の重要文化財に指定されました。
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岩手県花巻市東和町北成島にある成島熊野神社です。
成島熊野神社は延歴22年(803)坂上田村麻呂が奥州侵攻の際に、紀伊の熊野三山に戦勝祈願をし、無事、平定できたことで創建されたと伝えられています。境内には重要文化財の成島毘沙門堂があります。
康平5年(1062)源義家が安倍貞任を追撃しここに立ち寄った時、熊野神社に鏑矢を収めて戦勝祈願をしました。そして安倍氏を破り奥羽を平定する事ができたと伝えられています。
本殿は、向拝流棟造りで、御祭神は熊野の三神で伊弉冉之命、事解男之命、速玉男之命を祀っています。県内では数少ない古代建築様式をもつ建造物であることから昭和54年(1979)に県の有形文化財に指定されています。
熊野神社には十二番角力式(泣き相撲)と言われる奇祭が伝わっていて市指定無形民俗文化財となっています。9月19日の例祭に、田村麻呂の故事に始まる「泣き相撲」が行われます。神社氏子の長男で、数え2歳の幼児による泣き相撲で、泣いた方が負けとされています。
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成島熊野神社は延歴22年(803)坂上田村麻呂が奥州侵攻の際に、紀伊の熊野三山に戦勝祈願をし、無事、平定できたことで創建されたと伝えられています。境内には重要文化財の成島毘沙門堂があります。
康平5年(1062)源義家が安倍貞任を追撃しここに立ち寄った時、熊野神社に鏑矢を収めて戦勝祈願をしました。そして安倍氏を破り奥羽を平定する事ができたと伝えられています。
本殿は、向拝流棟造りで、御祭神は熊野の三神で伊弉冉之命、事解男之命、速玉男之命を祀っています。県内では数少ない古代建築様式をもつ建造物であることから昭和54年(1979)に県の有形文化財に指定されています。
熊野神社には十二番角力式(泣き相撲)と言われる奇祭が伝わっていて市指定無形民俗文化財となっています。9月19日の例祭に、田村麻呂の故事に始まる「泣き相撲」が行われます。神社氏子の長男で、数え2歳の幼児による泣き相撲で、泣いた方が負けとされています。
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岩手県花巻市高松第9地割にある花巻新渡戸記念館です。
5千円札の肖像画で有名な新渡戸稲造は、日本人初の農学博士で生涯を国際平和と教育に尽くした人物です。花巻新渡戸記念館は稲造と、その祖先の新渡戸氏の功績を紹介し、ゆかりの品々を展示しています。
この地を拠点に220余年にわたり地域に貢献してきた武士の名門、新渡戸氏は江戸時代の新田開発などで地域に大きく貢献しました。記念館はその屋敷跡に建てられています。
常設展示室には、「武将としての新渡戸氏」 「新渡戸氏と信仰」 「新渡戸氏と新田開発」を3本柱として、甲冑・刀・槍などの資料や、映像・PCクイズ・ジオラマ模型などを展示しています。新渡戸稲造展示室には、稲造の生涯と名著「武士道」の解説パネルを展示しています。
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5千円札の肖像画で有名な新渡戸稲造は、日本人初の農学博士で生涯を国際平和と教育に尽くした人物です。花巻新渡戸記念館は稲造と、その祖先の新渡戸氏の功績を紹介し、ゆかりの品々を展示しています。
この地を拠点に220余年にわたり地域に貢献してきた武士の名門、新渡戸氏は江戸時代の新田開発などで地域に大きく貢献しました。記念館はその屋敷跡に建てられています。
常設展示室には、「武将としての新渡戸氏」 「新渡戸氏と信仰」 「新渡戸氏と新田開発」を3本柱として、甲冑・刀・槍などの資料や、映像・PCクイズ・ジオラマ模型などを展示しています。新渡戸稲造展示室には、稲造の生涯と名著「武士道」の解説パネルを展示しています。
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