旅と歴史

全国各地の史跡を取り上げて紹介しています。

足利氏宅跡

2021年08月16日 | 旅 歴史

 栃木県足利市家富町に鑁阿寺(ばんなじ)があります。
 約4万平方メートルに及ぶ敷地は、元々は足利氏の館(やかた)であり、現在でも、四方に門を設け、土塁と堀がめぐらされており、平安時代後期の武士の館の面影が残されています。「史跡足利氏宅跡」として、大正110年(1922)に、国の史跡に指定されています。また「日本の名城百選」にも選ばれています。

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http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/


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鑁阿寺大銀杏

2021年08月15日 | 旅 歴史

 栃木県足利市家富町に鑁阿寺(ばんなじ)があります。
 国の天然記念物に指定されている大銀杏は樹齢約550年といわれています。江戸時代でも大木でした。この木の下で大日如来を前にして青年男女のお見合いが行われました。このことから縁結びの御神木といわれています。周囲9m、高さ30mで昔から避雷針の役目を果たしてくれたそうです。

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鑁阿寺多宝塔

2021年08月14日 | 旅 歴史

 栃木県足利市家富町に鑁阿寺(ばんなじ)があります。
 栃木県指定重要文化財の多宝塔は建久7年(1196)、足利義兼が創建し、寛永6年(1629)に再建された建物です。相輪の宝珠にある刻銘に、寛永6年再建の印が入っています。元禄5年(1692)徳川5代将軍綱吉の生母桂祥院尼によって改修されました。多宝塔は全長21mあり、全国でも最大級の多宝塔です。
 内部には多宝塔の本尊金剛界大日如来座像、勢至菩薩、十六羅漢像、十二神将像があります。木製の足利家大位牌、足利・徳川両将軍家位牌の他、清和天皇から源義家の7代、義国からの足利家当主、及び室町将軍家、鎌倉公方、古河公方などの位牌が安置されています。

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鑁阿寺山門

2021年08月13日 | 旅 歴史

 栃木県足利市家富町に鑁阿寺(ばんなじ)があります。
 栃木県指定重要文化財の山門は楼門とも仁王門ともいい、建久7年(1196)、足利義兼が創建しました。現在のものは室町13代将軍足利義輝によって再建されたものです。屋根には右より「二引両」「菊紋」「五七桐紋」が入っています。 
 菊紋は花園天皇より貞氏が勅願所として受けたものであり、五七桐紋は後醍醐天皇が建武の中興時に尊氏に授けたものです。門前の堀に架かっている屋根付きの橋は太鼓橋といい、江戸時代後期の建造で、栃木県指定重要文化財です。

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鑁阿寺経堂

2021年08月12日 | 旅 歴史

 栃木県足利市家富町に鑁阿寺(ばんなじ)があります。
 鑁阿寺の経堂は足利義兼が、妻の供養のため一切経会を修する道場として創建したものです。間口5間、奥行5間、一重もこし付きの宝形造りで、本瓦葺きです。応永14年(1407)関東管領足利満兼により再建されたもので、宝永5年(1708)に屋根を修理しています。昭和9年(1934)に改修の際、現在のような黄土色の色彩になりました。
 中央に見上げるほどの八角形の経棚があり廻転できるようになっています。壁面には、足利尊氏から始まって室町幕府15歴代将軍の坐像があります。創建時の平面をそのままに応永・宝永の修繕で、鎌倉・室町・江戸の色彩が含まれます。経堂は昭和59年(1984)に国の重要文化財に指定されています。

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鑁阿寺本堂

2021年08月11日 | 旅 歴史

 栃木県足利市家富町に鑁阿寺(ばんなじ)があります。
 鑁阿寺の本堂である大御堂は大日堂ともiいい、鑁阿寺で最初に建てられ、本尊大日如来を祀っています。建久7年(1196)足利義兼が持仏堂として創建しました。その後天福2年(1234)足利義氏が大改修しています。弘安10年(1287)に落雷で炎上し、これを足利貞氏が復興しています。
 現在の堂宇は正安元年(1299)に足利家時によって再建された建物です。間口5間、奥行5間、1重、入母屋造りで正面向拝3間、軒唐破風附、背面向拝1間の本瓦葺きです。構造は雄大で手法は剛健で鎌倉後期の唐様に和様を加味した建築様式です。内部の厨子も価値の高いものです。
 脇本尊として護摩壇に薬師如来、左壇に聖観世音菩薩と聖天様を祀り、後方壇に弘法・興教大師、金剛界大日如来、鑁阿上人(義兼)像を安置しています。足利尊氏の百箇日に当たる延文3年(1358)に、ここで尊氏追善の曼陀羅供が修せられています。本堂は平成25年(2013)に国宝に指定されました。 

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鑁阿寺

2021年08月10日 | 旅 歴史

 栃木県足利市家富町に鑁阿寺(ばんなじ)があります。
 鑁阿寺は山号を「金剛山」、院号を「仁王院」、坊号を「法華坊」とし、真言宗大日派の別格総本山です。建久7年(1196)、足利(源)義康が屋敷内に堀内御堂を建立し、持仏である大日如来像を祀ったの始まりとされています。
 12300坪の鑁阿寺境内には諸堂が数多く建ち並んでいます。創建当初の本堂は国宝に指定され、鐘楼、経堂は国の重要文化財です。 
 文暦元年(1234)、3代目足利義氏が堂塔伽藍を建立し足利一門の氏寺としました。 周囲に土塁と堀をめぐらした寺域はほぼ正方形で、鎌倉時代の武家屋敷の面影を今に伝えています。大正11年(1922)国の史跡に指定されています。 
 中世は足利氏に庇護され寺運が隆盛し支院は12を数え、南北朝時代の終わりごろには、鶴岡八幡宮の別当になりました。足利氏の衰退とともに衰え、豊臣秀吉の兵火で堂宇の一部を焼失しましたが、天正19年(1591)徳川家康が寺領60石を寄進し鑁阿寺を再興しました。
 創建以来、災禍に合わず、中世東国史研究に必要不可欠な「鑁阿寺文書」を初めとする数多くの古文書、寺宝を有しています。鑁阿寺文書には、鎌倉期の足利義氏、泰氏、家時、貞氏の文書、室町期以降の足利尊氏、直義、鎌倉・古河公方などの文書を含んでいます。 
 室町幕府初代将軍となった足利尊氏が後醍醐天皇から賜った「日月之太刀」、尊氏愛用の「左文字太刀」、平家物語にも登場する、源家相伝の宝刀「髭切丸」、足利義氏寄進の「落葉陣刀」などがあります。

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足利学校方丈

2021年08月09日 | 旅 歴史
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 栃木県足利市昌平町に足利学校があります。
 足利学校の方丈は学生の講義等に使用され、茅葺屋根の建築物としては最大級のものでしたが、明治5年(1872)廃校と同時に取り壊されました。平成2年(1990)12月に復元されたものです。間口17m、奥行11m、寄棟造りで屋根は茅葺き、禅宗寺院の方丈形式であるのが特徴です。

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足利学校杏壇門

2021年08月08日 | 旅 歴史

 栃木県足利市昌平町に足利学校があります。
 杏壇門(きょうだんもん)は入徳門、学校門と同じ寛文8年(1668)に建てられています。明治25年(1892)の火事により類焼、同30年代に再建されたものです。杏壇門をくぐり抜けると、正面に聖廟があります。扁額「杏壇」は紀伊徳川家10代藩主徳川治宝(はるとみ)の書です。

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足利学校学校門

2021年08月07日 | 旅 歴史

 栃木県足利市昌平町に足利学校があります。
 学校門は入徳門と同じ寛文8年(1668)に建てられています。「学校様」という言葉があるくらい足利市民には愛着がある学校のシンボルです。足利学校の象徴的な門となっています。扁額「學校」の文字は明の書家 蒋竜渓(しょうりゅうけい)が来日した時の書を、当時の江戸国史館助教授の狛高庸(こまたかやす)が縮模したものです。

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足利学校入徳門

2021年08月06日 | 旅 歴史

 栃木県足利市昌平町に足利学校があります。
 入徳門は足利学校に入る最初の門です。寛文8年(1668)徳川幕府4代将軍家綱の時に建てられました。天保2年(1831)鑁阿寺(ばんなじ)安養院(あんよういん)の火災により焼失、同11年(1840)頃修築、その後明治の中頃に裏門を移転修築したと伝えられています。扁額「入徳」は紀伊徳川家11代藩主徳川斎順(なりゆき)の書です。

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足利学校跡

2021年08月05日 | 旅 歴史

 栃木県足利市昌平町に足利学校があります。
 足利学校跡(聖廟及び附属建物を含む)は大正10年(1921)に国の史跡に指定されています。明治36年(1903)足利町は、足利学校遺蹟図書館を設立、その後、県立足利図書館へ移管され、平成2年(1990)に建物と庭園が復元されました。平成27年(2015)には「近世日本の教育遺産群 ―学ぶ心・礼節の本源―」のひとつとして日本遺産に認定されました。

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足利学校

2021年08月04日 | 旅 歴史

 栃木県足利市昌平町に足利学校があります。
 足利学校は日本最古の総合大学です。隆盛期の天文年間には全国から多くの学徒が儒学・医学・兵学などの授業を受けました。創設については、国学の遺制説、また小野篁(おののたかむら)説、、足利義兼説など様々あります。再興したのは鎌倉にいた関東管領(かんれい)の上杉憲実でした。 
 応永26年(1419)管領の職を継いで以来、尚書正義(しょうしょせいぎ)20巻をはじめ、毛詩註疏(もうしちゅうそ)(重文)、礼記(らいき)正義(国宝)、春秋左伝註疏などを寄進しました。鎌倉円覚寺の僧であった快元を初代庠主(しょうしゅ)(校長)に招くなど学校の復興を図りました。
 憲実の子孫の憲房も父祖の志を受けて書籍を学校に寄進するなど、学校のために尽くしました。7代目の庠主・九華(きゅうか)の代になると学校はますます盛況を極め、天文年間(1530-1555)には3000人もの生徒が学んだといわれています。
 宣教師フランシスコ・ザビエルはインドのゴア政庁に「日本国中最も大にして最も有名な坂東の大学」と報告しています。
 永禄3年(1560)には小田原の北条氏政が金沢文庫の宋版「文選(もんぜん)」(国宝)を寄進しています。
 学校では、儒学を中心に易(えき)学・兵学・医学などが講義されていました。田代三喜・曲阿瀬道三(まなせどうさん)という有名な医師も育ちました。応仁の乱以後、戦国大名が最も必要としたのは卜筮(ぼくぜい)(占いの技術)でした。
 卒業者はその道の権威者として重んじられました。たとえば徳川家康に仕えた第9代の庠主・三要(さんよう)は有名です。家康に気に入られ孔子廟の修理もやってもらったほどでした。
 江戸時代末期には藩校へと移行し、明治5年(1872)廃校になりました。孔子廟と学校門を残し、それ以外の方丈などは取り壊されました。昭和57年(1982)「史跡足利学校跡保存整備事業」に着手し平成2年(1990)12月に復元され江戸中期の姿に蘇りました。

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萱野三平旧邸

2021年08月03日 | 旅 歴史

 大阪府箕面市萱野に萱野三平(かやのさんぺい)旧邸があります。
 萱野三平は48番目の赤穂浪士として有名です。父の重利は旗本の大嶋出羽守の家臣で椋橋庄の代官でした。三平が13歳の時、大嶋家の推挙で赤穂の浅野長矩に仕えました。元禄14年(1701)、主君が切腹させられた第一報を速水藤左衛門と共に不眠不休で赤穂へ知らせています。
 浅野家断絶の後、仇討ちの連判状に名を連ねますが、重利は江戸行きを許さず、翌年の主君命日の日、ここの長屋門の一室で自害しました。享年27歳でした。「晴れゆくや日頃こころの花曇り」という辞世を残しています。
 三平は大高源吾とともに名前の知られた俳人でした。俳号の涓泉をとって涓泉亭(けんせんてい)と名付けられた記念館になっています。長屋門には、自刃の間と三平像が公開され、歴史遺産として、大阪府の史跡に指定されています。

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勝尾寺の勝ちダルマ

2021年08月02日 | 旅 歴史

 大阪府箕面市(みのおし)粟生間谷(あおまたに)に勝尾寺(かつおうじ)があります。
 本堂への階段を上がる正面に勝尾寺の勝ちダルマ奉納棚が設けられています。清和天皇から勝王寺と命名され、源氏、足利氏から崇敬されてきました。勝ちダルマは勝ち運をもたらすとスポーツや商売、芸事、試験など多くの人が集まります。

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