9時、起床。
今日から9月だ。
この時期になると、いつも堀口大學の詩「九月の言葉」を思い出す。
九月、明るい夏のおわり。九月、しとやかな秋のはじめ。
九月、楽しい休暇のはて。九月、新しい学期のはじめ。
九月、季節の移り変わり。九月、移り変わりの季節。
九月、閉ざされた別荘の窓。九月、色あせた海水着の縞目。
九月、遊びすごした天使。九月、あなうらを焼かない砂浜。
九月、もう一度ふりかえる地平線――今日は舟さえ出ていない。
九月、はしりの秋風。九月、満ち足りた頼りなさ。
九月、のびすぎた芝生。九月、うごかないぶらんこ。
九月、潮風の膚じとり。九月、都心へのノスタルジイ。
九月、避暑地の友情のおわり。九月、また一つ思い出の数。
九月、九月、九月、日焼けの手足の後始末……。
一か所だけ、私の生活実感とは違う個所がある。「新しい学期のはじめ」だ。大学の秋学期の授業は9月27日(木)からなのだ。もうしばらく「楽しい休暇」は続く。
サラダ、牛乳、紅茶の朝食。
いただきもののお菓子を食べる。
今日の『半分、青い』。アメリカに行くことになった律を鈴愛は故郷の河原に連れ出し、お別れをする。「5秒だけ、許して」と言って、鈴愛は律に抱きつく。長い5秒だった。「5秒数えて」と鈴愛が律に言った時点ですでに5秒以上経っている。途中から律も鈴愛を抱きしめて、2人の抱擁は90秒は続いた。私の自宅から「phono kafe」までの所要時間だ。いや、2人が抱擁したまま映像は終わったので、実際はその後も2人の抱擁は続いていたわけだ。一体、2人の抱擁は何秒続いたのか。さらに言えば、果たして抱擁だけで終わったのか。「い、いやらし。こんな感動的なシーンにそんなこと考えるなんて」という非難は覚悟の上で書いている。前日、律はより子とやり直す決意をしたばかりである。もしより子が2人の抱擁シーンを物陰から見ていたら(もちろん物理的にそれはありえないのだが)、律は間違いなく帰宅した途端により子に包丁で腹を刺されるだろう。刺されても文句は言えないだろう。要するに、何を言いたいのかというと、「抱擁」とはそれだけリスキーな行為であるということだ。「抱擁」は「挨拶」から「セックス」の間に位置する行為である。間とは、真ん中(中間)と言う意味ではなく、「挨拶」に限りなく近い「抱擁」もあれば、「セックス」に限りなく近い「抱擁」もある。その位置は不安定であり、不確かである。だからリスキーなのである。勘違いがないように言っておくが、私はリスキーだからいけないと言いたいわけではない。リスキーであるというのは魅力的なことである。まさかあの河原のシーンで2人が握手をして別れるなんて演出はありえないだろう(戦時中ではあるまいし)。私が言いたいのは、あの「長い5秒」の抱擁シーンには脚本や演出のあれこれの思いが込められたものであるということ、そして視聴者はそれぞれの思いであのシーンを観たであろうということだ。
11時半に卒業生のアスカさん(論系ゼミ3期生)と蒲田駅で待ち合わせ「phono kafe」でランチをする。
彼女は3月末でそれまでの勤め先を辞め、6月から新しい職場で働き始めた。新しい職場はホワイトでゆるやかな職場だそうである。それはよかった。
ご飯セット(ご飯は軽め)を注文。個々の料理の写真は撮り忘れてしまったが、春巻きと冬瓜の柚子煮は二人前ずつ注文した。
前の職場を退職したら4月は「春休み」を楽しみ、5月に就活をして、6月から働き始めるというイメージだったらしいが、実施は、4月は鬱々とした気分で引きこもり気味だったそうだ。散歩に出ても、周囲の人たちがみな何かしらの社会的役割をもって忙しそうにしている姿を目の当たりにして、何者でもなくなった自分が社会的に無用の者に思えて辛かったそうだ。そういう負の精神状態から彼女を救ってくれたのが会社というものに所属せず、自宅で仕事をしている彼の存在で、彼に支えられて鬱的な気分から立ち直り、再出発をすることができたそうである。人を追い詰めるのも人なら、人を救い出すのも人なんですね。
「今日の大原さん」はスリーショットで(たまたま店にいらした常連さんに撮っていただいた)。
「phono kafe」から「カフェ・スリック」に移動する途中で、自宅に寄り、ベランダの洗濯物を取り込み、彼女に
いただいたお土産を置いてきた。その間、彼女はナツと戯れれていた。
ナツの頭を撫でた人は幸せになる(都市伝説です)。
曇り空の下を歩く。たぶん降り出すことはないだろう。
JRのガード下は「カフェ・スリック」への近道だ。
「ラスコーの壁画」みたいでしょ。
「カフェスリック」に到着して冷たいドリンクで喉を潤す。私は毎度おなじみのグレープフルーツセパレートティー。彼女はアイスロイヤルミルクティー。こちらもセパレートだ。
シフォンケーキは私は桃とカルピス(季節限定で明日で終了)。
彼女はチョコミント。チョコミントは女性に人気がある。ちなみに彼女も「カフェ・スリック」のマダムもサーティーワンのアイスクリームで一番好きなのがチョコミントだそうである。私は一度も食べたことがないが、今度試してみよう。
チョコミント音シフォンケーキは初めて食べるという彼女。「ほんとだ、ミントの香りがします」と感動する彼女。
「とっても美味しいです」とマダムに語るあすかさん。
マダムとの定番のツーショット。
外のテーブルでポートレイトを撮りましょう。
「カフェ・スリック」のモノトーンの外壁は色白のあなたと白いブラウスを引き立てますよ。
ほらね。
色黒の私と黄色のシャツもあなたの引き立て役です(笑)。
もう一軒、大井町の「ポッタリー」へ行きましょうか。
大井町駅(東急大井町線と隣接している方)近くの昭和な飲み屋街「東小路」。ここで撮ると物語性のある写真が撮れる。
カメラを凝視すると「火曜サスペンス劇場」風。
目を伏せると「演歌の花道」風。
傘を私のものと交換して。青、白、赤。タイトルは「トリコロールの女」かな(笑)。凛としたたたずまい。
「ポッタリー」に到着。「占」の字が気になる。
今日はそれほど混んではいない。タイミングを見はからって「占い」をお願いしよう。
2人ともブレンドコーヒーを注文。
マダムに占いをしてもらう前に、アスカさんにスマホの通信料のことや、ノートパソコンのモバイルWi-Fiのことなどを教えてもらう。彼女はこうした分野に詳しいのだ。加えて、私が月々支払っている保険料が月5万円を超えていると知ると、「それは高すぎます。ぜひ保険の窓口に行って相談されることを勧めます。スマホでも簡易な産出ならできますよ」と言って、私の生年月日を入力して、「3万円台まで引き下げられます」と診断を下した。
マダムが「お写真、お撮りしましょうか」と言って下さったのでお願いする。
このタイミングで「占い」をお願いしてみる。
占いをするときのマダムは「陶華先生」と呼ばれている。生年月日を元にした占いである。詳細は書かないが、基本的に今年は非常に強い運気の下にあるとのこと。「攻めていっていいと思います。ただし、調子に乗り過ぎないようにね」。はい、心得ました。
アスカさんは今年転職という大きな出来事を経験したわけですが、同じ時期に立て続けに大きな生活の変化を伴う出来事は経験しない方がいいですね。大きな出来事は適度に分散させた方が(経験時機を自分でコントロールできるものであるならば)よいです。これは占いではなく、ライフイベントのストレス理論からのアドバイスです。
彼女を大井町の駅のホームで見送る。次回は秋が深まった頃にね。彼女は暑さには弱いが、寒さには強いそうである。うん、イメージ通りですね(笑)。
家路をたどる。
家の前まで来るとどこからかナツが挨拶にやってきた。
夕食はカマス、サラダ、玉子と玉ねぎの味噌汁、ご飯。
食べ始めてしばらくして、妻が「あっ、出すの忘れてた」と言って、ガンモドキの煮物を運んできた。これで一汁三菜になった。
デザートは梨。
アスカさんからいただいたナボナを食べる。
彼女の住む鷺ノ宮限定の黒糖どら焼き「鷺の都」である。
2時、就寝。