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鹿児島県の妙見温泉は、天降川沿いに分布している新川渓谷温泉郷の中で最も規模の大きな温泉街ですが、その中でも川の畔に建つ昔ながらの湯治宿「田島本館」に初冬の某日、ひと晩宿泊してじっくりお風呂を楽しんできました。温泉街とはいえ歓楽的要素は少なく、後背にこんもりとした山を控えた静かな環境で、まさに湯治するにはもってこいな場所です。
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お宿の正面部分は最近改装されたばかりらしく、受付とカフェを兼ねているモダン和風の小洒落た外観なのですが、その左には数十年前へタイムスリップしたような湯治棟が現役で残っており、新旧の融合が図られた面白い構図でした。この古い湯治棟は自炊ですが、改装された正面の後ろにつながる旅館部(本館・新館)は、ちゃんと食事を提供してくれますよ(自炊も可能)。湯治宿は古臭いし自炊だから苦手と拒否反応を示すお客さんも、こちらの宿だったら抵抗なく利用できるでしょうね。
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正面のカフェエリアに隣接して、古民家のような渋い雰囲気を醸し出している囲炉裏やへっついが据え付けられています。アンティーク調のカルピスやトリスウイスキーの看板をオブジェとして掲げているあたりが、いかにもモダン和風らしいレイアウトですが、囲炉裏もへっついも単に飾りではなく、ちゃんと日々使われています。私はこの囲炉裏の火にあたりながら、ビールをちびちび飲んで、一人で黄昏れちゃいました。
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宿で提供されるご飯は、この竈で炊いているんだそうです。焼酎の本場らしく、おなじみの芋焼酎もこちらでいただけます。
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こちらは丸太をくりぬいた枡に清冽な湧水が注がれ、そこにお豆腐が浸されています。もちろん、酒のつまみにこのお豆腐をいただくことも可能。
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今回通れたお部屋は新館の一番奥に位置する101号室。6畳の和室で川に面しています。トイレや流しは共同。1泊2食で6,745円でした。後述しますが、この部屋はこの建物ならではの或る特徴のため、底冷えがとっても厳しかった…。室内にはエアコンが設置されているので一晩中運転させましたが、それでも足らず、フリースを着込んだうえに浴衣をまとってようやく寝つけたほどです。
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湯治宿には欠かせない自炊設備もちゃんと完備。お鍋などは貸していただけます。
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お食事は夕食・朝食ともには部屋出しでした。この画像は夕食です。鮎の塩焼き、お刺身、豆腐の和え物、小魚の酢漬け、豚・白菜・椎茸のお吸い物、豚の角煮(軟骨までトロトロに煮込まれている)、小鉢などなど。おかずはもちろんのこと、ご飯がツヤツヤ輝いていてとってもおいしかった! 旅館によっては冷めたおかずを平気で出すところも多いのですが、こちらはちゃんと温かい状態でしたよ。
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朝食は焼き鮭、納豆、煮ひじき、ミズナのサラダ(胡麻ドレッシング)、豚汁など。鮭は炭火で焼いたのでしょうか、照りがよく出ており、芳しい香りもよく、朝からとってもブリリアントでした。7000円を切る料金でこの献立、しかも部屋出しですから(しかも定価です)コストパフォーマンスは抜群です。下手にビジネスホテルを利用するより全然充実して宿泊できるかと思います。
さて肝心の温泉ですが、こちらのお風呂は2つの棟に分かれています。
・「ねむの湯」
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実質的にはこのお宿の露天風呂としての役割を担っているお風呂です。天降川と中津川が合流する川岸の先っちょに建つ湯屋で、小さいながらも明らかに湯屋とわかるその姿は対岸や川に架かる橋の上からも確認できます。
この湯屋は旅館棟の先から一旦表に出て、階段を下りて川岸へ下ったところにあります。湯屋の入口は旅館部新館の真下に位置しており、丁度私があてがわれた101号室の直下に当たります。上述のお部屋紹介の際に「底冷えが厳しかった」と申し上げましたが、それはご覧のように客室直下はピロティになっており、客室の床には川の冷気が直撃するのです。でもこうした構造ですから夏は涼しいでしょうね。
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この湯屋は小さいながらもいろんなエッセンスが凝縮しています。頭上には透明アクリル波板の屋根がかかっていますが、川側には上半分に簾がかかっている以外は吹きっさらしなので、実質的には半露天風呂。洗い場はとっても狭く、カランはありません。浴槽は2つあり、それぞれモルタル造のシンプルなものですが、両方から源泉掛け流しのお湯が溢れだして洪水のような状態で床を流れているため、その床は全体的に赤茶色に染まっていました。
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手前の1~2人サイズは「胃腸の湯」と呼ばれる源泉で、この地域でよくみられる重炭酸土類泉らしい味にほろ苦みや渋みが加わったお湯でした。ちょうどよい湯加減です。
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その隣の2~3人サイズの浴槽は「きずの湯」。ぬるめの湯加減で、赤茶色の花びらを湯面にバラっと散らしたような比較的大きい湯の華が沢山浮遊しています。「胃腸の湯」に比べてこの「きず湯」の方が鉄っぽさや炭酸味が強く、そして泡付きが激しいのが特徴的。重炭酸土類泉の浴感に共通する引っかかりやまとわりつきがあるにもかかわらず、全身を優しく包んでくれ、フワっとした軽い浴感があるのです。ぬるさと泡つきのおかげか。いつまでも長湯していたくなるトロトロの極上湯で、個人的には「田島本館」のお湯の中では最も気に入りました。
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お湯に浸かりながら川の方を見上げると、対岸の山の稜線が薄暮の空にくっきりと浮かびあがりました。
また御簾越しに川を眺めると、対岸の宿の明かりが川面に映っていました。
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更にはステップを下って中津川の方へ下りると打たせ湯が一本落ちています。かなりぬるかったので、今回はあまり利用しませんでしたが、こんな小さな湯屋にも打たせ湯を設けてしまう霧島地域の温泉文化には敬服せずにいられません。
・「神経痛の湯」
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旅館棟と湯治棟の中間に独立して建てられている湯屋で、幾星霜も経てきた歴史を感じさせる建物。この旅館のメイン浴室にあたるらしく、「ねむの湯」に比べると全体的な造りが大きくてしっかりしています。とはいえ、派手さもなければ装飾もなく、まるでジモ専のような渋く鄙びた佇まいなのですが、でもこれこそが湯治宿らしい風情であると言えるのでしょう。
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脱衣所は至ってシンプルで、屋根周辺を除けばほぼ全て木造、床はスノコ敷き。「ねむの湯」よりはるかに広くて使い勝手はこちらの方が良いです。
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霧島界隈の地元民専用浴場を思わせる渋く古い雰囲気の浴室で、日本の古き良き簡潔な実用性を体現していますが、共同浴場と違って広い空間を確保しているのが宿としての面目を保っているかのようです。床や浴槽などお湯まわりはモルタル、屋根はアクリル波板ですが、それ以外の上物はすべて木造、無駄な装飾や設備が無いのがうれしいです。洗い場にはシャワー付き混合栓が1基あるのみ。モルタルの床や浴槽は温泉成分によって褐色に染まっており、更には石灰成分によってコーティングされていますが、重炭酸土類泉によくある鱗状の石灰華は見られず、まるで砥之粉を全体へ均一に塗ったような滑らかな表面を見せていました。
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浴槽の脇には水風呂が。
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湯口の上の貼り紙に描かれた野菜の絵が可愛らしい…。
滔々と注がれる源泉は惜しげもなく浴槽の角からあふれ出ていきます。お湯は山吹色に笹濁り、カーボンを連想させる焦げたような臭いに土気臭と金気臭が混ざって匂い、口に含むと甘味と弱い塩味、そして土気と金気に加えて炭酸味が、それぞれ控えめに舌の上で主張しあいます。湯口では42~3℃あるお湯も、湯船に落とされるとややぬるめの38~9℃と、ややぬるめの湯加減で落ち着きます。ギシギシと引っかかる浴感はいかにも土類泉らしい性質でしょう。それほど熱くなく、むしろぬるいお湯ですから、じっくり長湯してお湯を堪能したいところですが、何故かこの湯船に浸かっていると、長湯を許してくれない不思議な力が体にのしかかり、何度試してみても数分で湯船から上がりたくなる感覚にとらわれてしまうのです。これはこのお湯が持つ独特のパワーによるものか、あるいは単に私の体調の問題か、いまだに謎のままですが、もしかしたら得も言われぬ神通力みたいなものをこのお湯は有しているのかもしれませんね。
湯屋の雰囲気はもちろん、そこで入浴できる3つの源泉もそれぞれ個性的でとっても心地よく、しかも旅館としてのコストパフォーマンスにも優れている。古い部屋で自炊するのが嫌なら、旅館部の部屋を選んで2食をお願いすれば問題ない。古き良き浴室でのお湯に満足した後は、風呂上りに囲炉裏端で酒を飲みながら、静かな夜のひと時を過ごす…。このお宿を選んで良かったなと、心底満足しました。
鹿児島県霧島市牧園町宿窪田4236 地図
0995-77-2205
ホームページ
入浴のみ250円
「神経痛の湯」にドライヤーあり、他備品類なし
私の好み:★★★