温泉逍遥

思いつきで巡った各地の温泉(主に日帰り温泉)を写真と共に紹介します。取り上げるのは原則的に源泉掛け流しの温泉です。

ローカル列車でデニズリからイズミルへ

2015年01月15日 | トルコ
※今回記事から4回連続で当ブログに温泉は登場しません。あしからず。

パムッカレの石灰棚を観光し、その近くにある温泉地カラハユットで湯浴みを楽しんだ私は、次なる目的地、カッパドキアの観光拠点であるギョレメへと向かった。パムッカレとカッパドキアという、トルコ観光においてはあまりにベタな2つの箇所を移動するには、長距離バスを利用するのが一般的であろうが、温泉ファンであると同時に鉄ちゃんとしてのスピリットも持ち合わせる私としては、遠回りであおうと費用が嵩もうと、何が何でも径路に鉄道を組み込みたい。この2点間の移動で鉄道を使う場合は、いろんなルートが考えられるのだが、今回はローカル列車と夜行列車を乗り継ぐ以下のコースを選ぶことにした。

旅行日:2014年10月下旬



・カラハユット(パムッカレ)11:00頃→【路線バス】→デニズリのバスターミナル11:30頃(下車後に昼食)
・デニズリ駅12:50→【各駅停車のローカル列車】→イズミル・バスマーネ駅17:08
・バスマーネ駅→【メトロ(地下鉄)】→ヒラル駅→【イズバン(近郊電車)】→イズミル・アルサンジャック駅
・イズミル・アルサンジャック駅20:35発→【夜行列車「コンヤ・マビ・トレニ」】→コンヤ駅翌朝着
・コンヤ駅→【トラムもしくはタクシー】→コンヤのバスターミナル→【長距離バス】→ギョレメ

その全行程を記事にすると無駄に長くなってしまうので、今回はローカル列車に乗ってイズミルへ向かうまでの様子を、時系列順に述べてゆく。


 
公営温泉「クルムズ・ス」の露天風呂と「ヘラクレスホテル」の大浴場でそれぞれ朝風呂を楽しんでから、11時にホテルをチェックアウト。立像と温泉ドームがあるロータリーから、デニズリ行の路線バスに乗車。5分程の待ち合わせで、バスはタイミング良くやってきた。
昨日観光したパムッカレを左側の車窓に眺めながらバスは快走する。昨日はあいにくの天候だったが、天気の良い今日だったら、青空を映す真っ白な石灰棚を眺められたことだろう。運が悪い。自分の日頃の行いに問題があるのは明らかだ…。


 
バスに揺られること約30分、11:40頃にデニズリのオトガル(バスターミナル)に到着。地上階を含めて地下へ3階層になっているこのオトガルにおいて、近距離路線は地下2階で発着する。地下といっても幅の広い掘割状になっており、地下である感じはあまりしない。


 
地下1階には長距離路線が発着する乗り場とフードコートがあり、多くの人で賑わっている。


 
ちょうどランチタイムなので、このフードコートでビーフのケバプを注文。缶ジュースと食後のチャイ(紅茶)を合計して20リラ(約1000円)。


 
オトガルを出て地上へ上がり、オトガルが面している大通りを反対側へ渡ればすぐに・・・


 
トルコ国鉄のデニズリ駅である。かつて駅とオトガルはかなり離れていたそうだが、今年オープンした新オトガルは鉄道駅の真向かいへ移転してくれたので、容易に移動できて助かった。バスが公共交通の主役であるトルコにおいて、鉄道はすっかり脇役として鳴りを潜めており、デニズリの鉄道駅はバスターミナルとは比べ物にならないほど寂れていた。駅名を掲示する看板が無ければ、倉庫か何かと見紛うほどである。


 
構内に入り、窓口でイズミルまでの切符を購入する。駅員のおじさんに「イズミル」と行き先を一言伝えただけで発券してくれた。運賃はわずか20.25リラ。これから4時間近くも乗車するのに、先程のランチとほとんど同じであるとは驚いた。



今から乗車するイズミル行のローカル列車は、3両編成のディーゼルカー。日本だったら特急列車に採用されそうな、先頭の丸みを帯びたデザインは、イタリアあたりの鉄道を連想させる。


 
(時刻表の画像はクリックで拡大)
側面の行先表示器には起点と終点の駅名が表示されている。ここがデニズリだからこそ、この列車はイズミル行であることが確信できるが、初見の客が途中駅で乗車する場合は、どちらへ行く列車なのか混乱しないだろうか。尤も、今でも日本のローカル列車では「八戸←→久慈」のような行先票(いわゆるサボ)がかなりの数で現役だから、他国のことに文句を言えた義理ではないのだが…。
駅の窓口ではポケット時刻表がたくさん置かれていたので、一枚頂戴した(右(下)画像)。私が乗るのは赤枠で囲った列車。デニズリを12:50に出発し、途中駅に全て停車しながら、終点のイズミール・バスマーネ駅に17:08到着する。ダイヤ通りの運行で、4時間強の乗車となる。学生時代から青春18きっぷでの長旅を繰り返してきた私にとって、この程度はお茶の子さいさい。むしろ、その時間が楽しみですらある。


 
駅構内には進行方向には小さな矩形庫があり、いかにも古そうなディーゼルカーが留置されていた。この車両が運転されることはあるのだろうか。また駅ホームの端にはSLが静態保存されていた。


 
ホームの上屋はいかにも現代的な骨組みとガラスの組み合わせ。発車時刻の約10分前になって、ようやくドアが開いて乗車が開始された。いつの間にやらホームには多くの乗客が集まっており、各ドアの前には列ができていた。外国人旅行者の姿もチラホラ見受けられたが、極東人は私だけ。


 
車内には集団見合型のクロスシートが配置されている。ローカル列車なので、どの席に座ろうが勝手なのだが、シートは固定されていて回転できないので、どうしても進行方向と同じ向きの座席に乗客が集中する。上画像で奥の方だけ客が偏っているのは、そのためだ。私は運良く順向の窓側席を確保できた。なおシートは多少リクライニングできる。
天井のモニターでは、次の停車駅が案内表示された。英語表示も行われるので、旅行者には助かる。


 
車端部には機械室の他、トイレなどの設備もある(でも今回は使わなかったので、内部の様子はわからない)。デッキと客室部を仕切るドアは自動ドアだ。


 
定刻より数分遅れでデニズリを出発。既に7割近い乗車率である。最初の停車駅を発車した後に、検札がやってきた。列車は踏切を通過する度に、そこのけそこのけと言わんばかりに警笛を鳴らし、長閑な田園風景にプワーンと大きな音が響き渡った。
出発して40分ほど経ったころ、右手の車窓に白いパムッカレが遠望できた。パムッカレよ、さらばじゃ!


 
途中、地熱発電所と思しき施設の横を通過。温泉資源が豊富な土地柄であるから、地熱もそれなりに活用されているのだろう。


 
ほぼ定刻でゲルメンジッキ(Germencik)駅へ。この駅のように、途中駅では沢山の乗り込んでくるとともに、降車客も多く、大きな街の駅で停車する度に乗客の数割が入れ替わった。トルコの交通はバスが主役であるが、大量輸送機関として鉄道の需要もまだまだ高いのかもしれない。


 
緩やかな丘にぶどうやオレンジの畑が広がったり、見晴らしの良い稜線上を走ったり…。おしなべて起伏の少ない土地を走るのだが、車窓は意外にも変化に富んでおり、景色には全く退屈しない。実に快適な汽車旅だ。


 
途中駅から車内販売のお兄さんが乗り込んできて、シミット(胡麻がたくさんまぶされているパンの一種)をお盆に山積みにして右肩に載せながら、売り声を上げて車内を往復していた。売り子のお兄さんはもう一人いて、そちらでは水などのドリンク類を扱っていた。


 
こちらはセルチュク(Selcuk)駅。ここまでは定刻通りの運行。トルコ屈指の観光地であるエフェス遺跡への拠点になる街なので、列車でここを訪れる日本人も多いだろう。セルチュクから乗り込んでくる客も多く、既に座席は埋まっているので、通路は立客で埋まるようになった。3両編成では輸送力不足なのかもしれない。


 
セルチュクを出てしばらくすると、車窓には綿花畑が果てしなく広がった。列車がイズミルへ近づくにつれ、畑の彼方に連なる稜線上の空が、徐々に夕焼け色に染まり始める。


 
夕暮れの空を眺めるまではほぼ時刻通りの順調な運転だったが、イズミル手前のテペキョイ(Tepekoy)かトルバル(Torbalı)付近で反対列車との交換に時間を要し、ここで一気に40分遅れとなってしまった。こうした遅れが鉄道への信頼を失わせてしまうわけか…。やがて線路は複線になり、電化され、反対側の線路をイズミルの近郊電車(イズバン)が行き違うようになった。途中アドナン・メンデレス空港駅にも停車。


 
定刻より40分遅れの17:48に、すっかり日が暮れたイズミルのバスマーネ駅へ到着した。都市のターミナル駅であるはずだが、垢抜けない田舎臭さが漂っており、薄暗くていまいち冴えない。東京の鉄道だと東北方面は上野、中央線方面は新宿というように、方面によって発着するターミナルが異なるが、イズミールでも同様であり、デニズリからの列車はバスマーネという駅が発着拠点になるが、次に私が乗りたいコンヤ行きの夜行列車は、ここから離れたアルサンジャックという駅から出発する。従ってこの薄暗いバスマーネ駅からアルサンジャック駅へ移動しなければならない。さて、どうやって移動するか…。

次回に続く
コメント
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