前編からの続きです。
果てしなく泥水が広がるトンレサップ湖の壮大な景色にしばらく感動していたのですが、泥水以外何も見えない風景にやがて飽きてしまい、退屈になって、座席に戻ってひと眠り。目が覚めてから舳先の景色を眺めたら、ボンヤリと陸地が見えてきました。もうすぐ湖から川へと入ってゆくのでしょう。湖上には小さな漁船がポツンポツンと浮かんでいました。
杭につかまりながら、湖底に立って足をモゾモゾ動かして漁をしている人を発見。立てるということは、それだけ水深が浅いんですね。乾季のスピードボートはしばしば擱座するそうですが、今回はそんな目に遭わないでほしいなぁ。
湖の幅が狭まって収束され、間もなく川になろうかという頃、向こう側から白波を立ててやって来る、シェムリアップ行のスピードボートと行き違いました。
ほとりには簡素な造りの高床式住居が点々と並んでいるほか、水上生活者の集落もところどころに浮かんでいました。水と人々の生活が非常に近接しているんですね。
トンレサップは水産資源が豊富なんだそうでして、日々のタンパク源を得るべく、沿岸の住民はこぞって舟を出して漁に繰り出ており、船上の景色から漁師達の小舟が消えることはありません。網を仕掛ける際にはフロートが欠かせませんが、こちらでは空き缶を浮き代わりにして網につなげていました。スピードボートはこの浮きの間を縫うように進んでゆきます。
漁師といっても、一人や親子で操業する自給自足タイプ。彼らに手を振ると、ほぼ100%の確率で、手を振り返してくれました。この地に人見知りという概念は無いのでしょう。嬉しくなって、人を見かける度、条件反射のようにこちらも手を振り続けてしまいました。
途中でいくつかの街を通過します。上画像の街では、荷物の積み下ろしか、あるいはマーケットが開かれているのか、河岸は多くの人で賑わっていました。港があるような街では、河岸や埠頭とつながる感じで、水上家屋がたくさん連なっていました。
トンレサップの豊かな水は、日々の食をもたらすだけでなく、交通路としても重要な働きをしています。インフラ整備がまだ不十分な国であるため、川を跨ぐ橋は架けられておらず、また陸上の道路もまだ整備が進んでいないのでしょう。大小様々な船が川面を縦横無尽に行き交っていました。まだ貧しい国だった数十年前の日本も、きっとこんな感じだったんだろうなぁ。
街を抜けると再びジャングルの中へ入ってゆきます。ディズニーランドのジャングルクルーズみたい。みんなを楽しませてくれる饒舌な船長はいませんが、そのかわり我々と一緒に出発地点から乗り込んでいる売り子のおじさんがおり、退屈凌ぎに彼からパンを買って、空いた小腹を満たしました。尤も、おじさんはパンと水程度しか扱っていないので、もしこの船を利用する場合は、乗船前(というか前日)に水分や軽食を確保しておいた方が良いかと思います。
トンレサップ川で意外と多く見られたのが、子供たちだけが乗る無動力の小舟です。10歳前後と思しき男の子が櫂を漕いで、雄大な大河をのんびりと行き来していました。みんな元気いっぱいに手を振ってくれるので、ついこちらも嬉しくなり「なんて長閑で微笑ましい光景なんだろう」と目尻を下げたくなりますが、ちょっと冷静に考えますと、あまり喜ばしい話では無いのかもしれません。と申しますのも、日本の外務省公式サイトには「諸外国・地域の学校情報」というページがあり、これによればカンボジアにおける「2011年の就学率は小学校で約69%、中学校に至っては約17%と極端に低くなっているのが現状」なんだそうでして、「特に地方農村部では子供が貴重な労働力となっているため、義務教育課程においても、出席日数が足りずに留年する児童も多くなっている」という、経済力の弱い国にありがちな環境なんだとか(※)。学校がお休みであるならば、子どもたちが昼間に船に乗っていても構わないのですが、この日が休日でなかったならば、あの子たちはそのような事情で学校に行けない状況にあることが推測されるわけです。21世紀に入ってもう15年は経とうとしているのに、学校へ行けない子どもたちがまだまだ沢山いる現実を目の当たりにしたのでした。
(※)外務省「諸外国・地域の学校情報」内にある「カンボジア王国」のページより一部抜粋。
出港して5時間40分が経過したところで、この船旅ではじめて橋を潜りました。橋が架かっているということは、都市が近づいてきたってことなのでしょう。
シェムリアップからここまで200キロ以上離れているはずですが、その間に橋がひとつも架けられていなかったとは、橋梁や高架橋だらけの日本に住む私にしては驚きです。架橋もままならないほどの国情なんですね。経済力の問題もさることながら、今から30年前にはインテリや技術者が根こそぎ粛清されちゃっていますから、外国の技術援助が無いと、大規模な土木工事は難しいのでしょう。
両岸に建ち並ぶ民家は、湖畔や上流の川岸で見られた貧相な高床式住居ではなく、カラフルでがっちりした造りの立派な建造物が増えてきました。屹立する高圧鉄塔も都市らしい風景です。
川の上流では家族で営む自給自足的な漁ばかりでしたが、都市に近づくに連れ漁業のスタイルも変化し、漁網や仕掛けが大規模になり、人員も多くなってきました。
コンクリで頑丈に護岸された丘の上には、工場が建ち並んでいます。
おお、前方に架かる橋は、日本の援助によって建設された「日本友好橋」ではないか。ということはプノンペンの街に入ったってことだな。
橋を潜ったスピードボートは速度を落とし、徐々に岸に近づきながら、スラスターを回して船着場へと接岸しようとします。既に船着場の上では、トゥクトゥクの客引きが手ぐすね引いて待っていました。
●プノンペン上陸
シェムリアップを出発してから7時間で、ようやくプノンペンに到着しました。約300kmの船旅。ひゃーー。長かった。大型フェリーでしたら、7時間の乗船でも苦になりませんが、小型のいわゆる交通船でこの乗船時間はかなり長く感じられます。尤も、私はシートに着席しているよりも、デッキなどで寝っ転がっていた時間の方が長かったので、座り疲れるようなことはありませんでしたし、内水面ですので揺れることも無く、船酔い等とも無縁でした。でもデッキで南国の陽光をモロに浴びてしまい、顔が真っ赤に灼けてしまいました。その晩、シャワーを浴びる際に悲鳴を上げてしまったのは言うまでもありません。
スピードボートの船着場は、外国人向けのレストランやバー、そしてホテルなどが集まるリバーサイド地区にあります。私はこのリバーサイドの一角にあるホテルを予約していたので、しつこいトゥクトゥクの客引きをかき分けながら、歩いてそのホテルへと向かいました。
シェムリアップからプノンペンまで、バスと同程度かそれ以上の時間を要するのに、料金はその数倍もかかるスピードボートは、時間や旅費を節約したい旅行者には不向きかもしれませんが、水面だからこそ得られる景色、人々の生活、そして笑顔を楽しめ、移動そのものが旅の醍醐味であることを再認識させてくれました。
果てしなく泥水が広がるトンレサップ湖の壮大な景色にしばらく感動していたのですが、泥水以外何も見えない風景にやがて飽きてしまい、退屈になって、座席に戻ってひと眠り。目が覚めてから舳先の景色を眺めたら、ボンヤリと陸地が見えてきました。もうすぐ湖から川へと入ってゆくのでしょう。湖上には小さな漁船がポツンポツンと浮かんでいました。
杭につかまりながら、湖底に立って足をモゾモゾ動かして漁をしている人を発見。立てるということは、それだけ水深が浅いんですね。乾季のスピードボートはしばしば擱座するそうですが、今回はそんな目に遭わないでほしいなぁ。
湖の幅が狭まって収束され、間もなく川になろうかという頃、向こう側から白波を立ててやって来る、シェムリアップ行のスピードボートと行き違いました。
ほとりには簡素な造りの高床式住居が点々と並んでいるほか、水上生活者の集落もところどころに浮かんでいました。水と人々の生活が非常に近接しているんですね。
トンレサップは水産資源が豊富なんだそうでして、日々のタンパク源を得るべく、沿岸の住民はこぞって舟を出して漁に繰り出ており、船上の景色から漁師達の小舟が消えることはありません。網を仕掛ける際にはフロートが欠かせませんが、こちらでは空き缶を浮き代わりにして網につなげていました。スピードボートはこの浮きの間を縫うように進んでゆきます。
漁師といっても、一人や親子で操業する自給自足タイプ。彼らに手を振ると、ほぼ100%の確率で、手を振り返してくれました。この地に人見知りという概念は無いのでしょう。嬉しくなって、人を見かける度、条件反射のようにこちらも手を振り続けてしまいました。
途中でいくつかの街を通過します。上画像の街では、荷物の積み下ろしか、あるいはマーケットが開かれているのか、河岸は多くの人で賑わっていました。港があるような街では、河岸や埠頭とつながる感じで、水上家屋がたくさん連なっていました。
トンレサップの豊かな水は、日々の食をもたらすだけでなく、交通路としても重要な働きをしています。インフラ整備がまだ不十分な国であるため、川を跨ぐ橋は架けられておらず、また陸上の道路もまだ整備が進んでいないのでしょう。大小様々な船が川面を縦横無尽に行き交っていました。まだ貧しい国だった数十年前の日本も、きっとこんな感じだったんだろうなぁ。
街を抜けると再びジャングルの中へ入ってゆきます。ディズニーランドのジャングルクルーズみたい。みんなを楽しませてくれる饒舌な船長はいませんが、そのかわり我々と一緒に出発地点から乗り込んでいる売り子のおじさんがおり、退屈凌ぎに彼からパンを買って、空いた小腹を満たしました。尤も、おじさんはパンと水程度しか扱っていないので、もしこの船を利用する場合は、乗船前(というか前日)に水分や軽食を確保しておいた方が良いかと思います。
トンレサップ川で意外と多く見られたのが、子供たちだけが乗る無動力の小舟です。10歳前後と思しき男の子が櫂を漕いで、雄大な大河をのんびりと行き来していました。みんな元気いっぱいに手を振ってくれるので、ついこちらも嬉しくなり「なんて長閑で微笑ましい光景なんだろう」と目尻を下げたくなりますが、ちょっと冷静に考えますと、あまり喜ばしい話では無いのかもしれません。と申しますのも、日本の外務省公式サイトには「諸外国・地域の学校情報」というページがあり、これによればカンボジアにおける「2011年の就学率は小学校で約69%、中学校に至っては約17%と極端に低くなっているのが現状」なんだそうでして、「特に地方農村部では子供が貴重な労働力となっているため、義務教育課程においても、出席日数が足りずに留年する児童も多くなっている」という、経済力の弱い国にありがちな環境なんだとか(※)。学校がお休みであるならば、子どもたちが昼間に船に乗っていても構わないのですが、この日が休日でなかったならば、あの子たちはそのような事情で学校に行けない状況にあることが推測されるわけです。21世紀に入ってもう15年は経とうとしているのに、学校へ行けない子どもたちがまだまだ沢山いる現実を目の当たりにしたのでした。
(※)外務省「諸外国・地域の学校情報」内にある「カンボジア王国」のページより一部抜粋。
出港して5時間40分が経過したところで、この船旅ではじめて橋を潜りました。橋が架かっているということは、都市が近づいてきたってことなのでしょう。
シェムリアップからここまで200キロ以上離れているはずですが、その間に橋がひとつも架けられていなかったとは、橋梁や高架橋だらけの日本に住む私にしては驚きです。架橋もままならないほどの国情なんですね。経済力の問題もさることながら、今から30年前にはインテリや技術者が根こそぎ粛清されちゃっていますから、外国の技術援助が無いと、大規模な土木工事は難しいのでしょう。
両岸に建ち並ぶ民家は、湖畔や上流の川岸で見られた貧相な高床式住居ではなく、カラフルでがっちりした造りの立派な建造物が増えてきました。屹立する高圧鉄塔も都市らしい風景です。
川の上流では家族で営む自給自足的な漁ばかりでしたが、都市に近づくに連れ漁業のスタイルも変化し、漁網や仕掛けが大規模になり、人員も多くなってきました。
コンクリで頑丈に護岸された丘の上には、工場が建ち並んでいます。
おお、前方に架かる橋は、日本の援助によって建設された「日本友好橋」ではないか。ということはプノンペンの街に入ったってことだな。
橋を潜ったスピードボートは速度を落とし、徐々に岸に近づきながら、スラスターを回して船着場へと接岸しようとします。既に船着場の上では、トゥクトゥクの客引きが手ぐすね引いて待っていました。
●プノンペン上陸
シェムリアップを出発してから7時間で、ようやくプノンペンに到着しました。約300kmの船旅。ひゃーー。長かった。大型フェリーでしたら、7時間の乗船でも苦になりませんが、小型のいわゆる交通船でこの乗船時間はかなり長く感じられます。尤も、私はシートに着席しているよりも、デッキなどで寝っ転がっていた時間の方が長かったので、座り疲れるようなことはありませんでしたし、内水面ですので揺れることも無く、船酔い等とも無縁でした。でもデッキで南国の陽光をモロに浴びてしまい、顔が真っ赤に灼けてしまいました。その晩、シャワーを浴びる際に悲鳴を上げてしまったのは言うまでもありません。
スピードボートの船着場は、外国人向けのレストランやバー、そしてホテルなどが集まるリバーサイド地区にあります。私はこのリバーサイドの一角にあるホテルを予約していたので、しつこいトゥクトゥクの客引きをかき分けながら、歩いてそのホテルへと向かいました。
シェムリアップからプノンペンまで、バスと同程度かそれ以上の時間を要するのに、料金はその数倍もかかるスピードボートは、時間や旅費を節約したい旅行者には不向きかもしれませんが、水面だからこそ得られる景色、人々の生活、そして笑顔を楽しめ、移動そのものが旅の醍醐味であることを再認識させてくれました。