温泉逍遥

思いつきで巡った各地の温泉(主に日帰り温泉)を写真と共に紹介します。取り上げるのは原則的に源泉掛け流しの温泉です。

台湾旧型客車の旅、再び。南廻線3671次普快車・台東行 前編

2016年07月20日 | 台湾
※今回記事から数回連続で温泉とは無関係の内容が続きます。あしからず。

約半年前(2016年初頭)のこと。台湾にいた私は、南部の大都市である高雄から北東部の宜蘭県方面へ1日のうちに移動したく、どのような移動方法をとるべきかいろいろと考えてみました。鉄道で移動する場合は、新幹線で台北まで行き、そこから在来線の特急に乗り換える時計回りのルートが最速でたどり着ける方法なのですが、それではちっとも面白くない。その逆となる反時計回りですと、南廻線と東部幹線を乗り継いで、台東経由でぐるっと台湾島を半周することになり、この場合も特急列車を乗り継ぐのが一般的ですが、やはりそれではつまらない。そこで思い浮かんだのが、数年前に一度乗ったことのある南廻線の普快車(普通列車)です。以前に拙ブログで紹介しましたが(当時の記事はこちら)、南廻線の枋寮〜台東では、いまや台湾唯一となってしまった旧型客車による普通列車が1往復だけ運行されています。鉄道ファンのみならず、台湾を旅した方々によってたくさん紹介されているため、すっかり有名な列車となり、既にご存知の方も多いかと存じますが、前回私は台東から枋寮へ乗ったので、今回は逆方向となる枋寮から台東へ乗車し、再び汽車旅情を味わおうと考えるに至ったのです。

※以下、時刻や列車番号などダイヤに関わるデータは2016年1月時点のものです。



まずは高雄駅9:35発の自強号(台東行)に乗って枋寮駅で下車。数年来ない間に枋寮の駅舎は改装されたらしく、以前訪問時に駅舎の屋根上でロータリーを睥睨していた蒋介石像は、いつの間にやら撤去されてしまったようです。


 
駅の窓口で台東まで普快車の切符を購入して改札の中へ。


 
改札上の電光掲示板には、これから乗る3671次列車の番号や行き先等が表示されており、その向こうに見えるホームには、すでに青い客車が入線していました。なお昨年(2015年)10月のダイヤ改正まで次の加祿駅で通過待ちしていた莒光751次に関しては、現ダイヤではこの枋寮駅で先行させ、莒光751次が出発した後に普快車が出発するという合理的なダイヤに変更されています(右or下の画像は枋寮を出発した莒光751次)。


 
3671次列車はディーゼル機関車が3両の旧型客車を牽引しており、この組み合わせ自体は4年前に乗車した台東発枋寮行の3672次と同じですが、4年前は中間の1両がインド製だったのに対し、今回は3両全てが日本製の客車という編成でした。3両編成の具体的な車番は前からSPK32609 - SP32578 - SPK32717 であり、中国語版Wikipediaによれば(詳細はこちら)、これらの車両は1968年(昭和43年)から1970年(昭和45年)にかけて、新潟鉄工・近畿車輛・富士重工・帝国車輌の4社によって製造されたんだとか。


 
3両編成のうち真ん中の車両は騒がしい団体客が乗り込んできたので、私は最後尾の車両(SPK32717)へ乗車しました。ベコベコに波打っている外板が、車齢の高さを物語っています。その団体はおそらく大陸からの観光客かと思われ、この列車も遂にツアーに組み込まれるほど有名になったのかと、驚き半分感慨半分で団体の姿を遠巻きに見ていたのですが、その後、蔡英文政権発足に伴って台湾を訪れる大陸の観光客はかなり減っているそうですから、今は再び以前のような静けさを取り戻しているのかもしれません。
ちなみに私が乗った3両目は、いかにも鉄っちゃんらしき風情の男性が数名のほか、ごく普通の行楽客が数組。全て合わせても10人程度で、全ての乗客が窓側進行方向の席に座ったとしても、まだ席に余裕がありそうなほどガランとしていました。


 
日本の国鉄車両がモデルになっているため、至るところが日本国鉄の旧型客車にそっくり。昭和40年代へタイムスリップしたかのようです。台湾にいながら昭和の面影を味わうことができる点は、私のような日本人の鉄道ファンや観光客を呼び寄せる大きな魅力のひとつです。
車両に乗り込むドアは手動で、矢印の方向にノブを回し押して開けます(「推」は押すという意味)。走行中でも施錠されないので、開けっ放しで走ることもしばしば。昭和の頃の日本でもドアを開けっ放しにして走る列車はたくさん運転されていましたが、現在日本国内でこの手の車両が現役で走っているのは大井川鉄道だけ(JR東日本のSL水上号などで使用される旧型客車は、改造されて自動開閉装置が装着されています)。


 
ホームに面したドアのみならず、最後尾の貫通路も開けっ放し。万一線路に落ちたら自己責任。この開けっ放しの貫通路前に立つと、ちょっとスリリングですけど、風を感じられてとっても気持ち良いんです。


 
昔ながらの客車ですから車内に冷房なんてありません。天井で一列に並ぶ扇風機がグルグル回って乗客に風を送り続けます。なお扇風機のON/OFFスイッチは車内の窓枠に埋め込まれていますから、乗客が任意で操作できます(いまでも日本のローカル線では同様の車両が走っていますよね)。
扇風機と一緒に天井で並ぶスピーカーの形状なんて、日本の国鉄車両そのもの。


 
南国を走るのに冷房がないため、多くの乗客は窓を全開にしていました。特にこの列車は風光明媚な海岸線を走るので、走行中に窓から入り込んでくる風がとても気持ちよく、それゆえほとんどのお客さんは海側(この列車の場合は進行方向右側)に座っていました。
とは言うものの、冷房がまだ普及していないときには、鉄道車両の完全冷房化を希い、いざ完全普及して当たり前になると、今度は非冷房の車両に旅情を求めてしまうのですから、人間は実に勝手なものです。


 
座席はビニルクロスですが、多少傾いていてクッション性があるためか、決して座り心地は悪くなく、しかもちゃんと回転できるのが素晴らしい。
同時代の日本で走っていた普通列車用の国鉄車両は、向かい合わせに固定された直角シートですから、それに比べればはるかに上等です。


 
11:00ちょうどにベルが鳴り、機関車に牽引された3両の青い客車は、枋寮駅をのっそりと発車。


 
枋寮を出て次の加祿駅へ向かうと、車窓と南シナ海との距離が徐々に近くなり、やがて海岸線に沿って走るようになります。線路と海岸の間には養殖池とおぼしき池が連続していました。



上述したように最後部の貫通路は開けっ放しですので、せっかくですから通路の前に立って、スリリング且つ爽快な風を感じてみることにしました。小田急ロマンスカーなど前面展望を売りにしている列車も良いのですが、こうしてガラスなどの隔たりが一切無い最後尾で、列車の風を全身に受けながら、山の緑と海原の青を目にし、後方へどんどん去って行く線路を眺めているのも、なかなか乙なものです。


 
車窓から臨む南シナ海の海岸線は南へと果てしなく続いていました。この砂浜をひたすら行けば恒春へたどり着くはずです。



台湾最南端の駅である枋山に差し掛かる頃から、線路は真東へ方角を変え、深い山の中へと突入します。


 
枋野信号所で5分停車。秘境と称すべき山奥ですが、制服を着た信号掛のおじさんが勤務しており、赤いフライ旗を持って合図を出していました。また、信号所ですからホームはありませんが、一応駅のような機能も有しているらしく、台鉄のオンライン時刻表で調べると、この信号所の発着時間がちゃんと表示されます。この時も無線機を持ったおじさんが乗り込んできました。駅の係員なのでしょうね。

この後、列車は全長8070メートルの中央トンネルを潜って、南シナ海側から太平洋側へ一気に移ります。

後編に続く。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする