温泉逍遥

思いつきで巡った各地の温泉(主に日帰り温泉)を写真と共に紹介します。取り上げるのは原則的に源泉掛け流しの温泉です。

台鉄・海線に残る日本統治時代の駅舎を訪問 その1・新埔駅と謎の私設公園「秋茂園」

2016年07月22日 | 台湾
※今回の記事にも温泉は登場しません。あしからず。

前回に引き続き台湾で鉄道旅をしたときの記録を綴らせていただきます。
台湾の西部を南北に貫く西部幹線(縦貫線)は、(北から南下すると)途中の竹南で海線と山線に分岐し、彰化駅で両線が合流して高雄方面へと伸びています。大都市である台中を通過する山線は旅客数も運行本数も多いのですが、海線の沿線は人口が少ないために実質的にローカル線と化しており、これといった大きな駅が無ければ運行本数もさほど多くありません。しかしながら、その需要の少なさが幸いして昔ながらのストラクチャが随所に残されており、駅舎に関しては、日本統治時代に建設された木造駅舎が、談文・大山・新埔・日南・追分の5駅で現役です。2016年3月に台湾を旅した際、その中から新埔・日南・追分の各駅を訪ねてみることにしました。



●新埔駅
 
1時間に1本程度のペースで運転される区間車(日本の普通列車に相当)に乗って新埔駅へ。


 
2面3線のホームから跨線橋を渡って駅舎へ向かいます。上の画像では曇った空と同化してわかりにくいのですが、跨線橋の上から西の方を眺めると、駅舎の100メートルほど先に台湾海峡が広がっていました。西部幹線で最も海に近い駅なんだそうです。


 
いかにも古そうな駅舎の屋根を見下ろしながら、跨線橋のステップを下ってゆきます。屋根瓦はコンクリ製ですが、元々はちゃんとした焼き物を使っていたのでしょうか。屋根下の丸い牛目窓は、大正から昭和初期に建てられた日本的な洋館によく見られる特徴のひとつですね。


 
ゲートを通過して駅舎内へ。戦前からある古い駅舎ですが、ちゃんとICカード乗車券に対応しており、出入口にはICカードの読取機が設置されていました。


 
1919年(大正8年)に竣工して以来使われ続けているこの小さな平屋の駅舎を眺めていると、日本各地のローカル線などに現存する戦前の駅舎とほとんど同じ佇まいであり、明らかに台湾風(あるいは中華風)ではありません。後背に立つ跨線橋を取っ払えば、昭和の日本をモデルにした映画やドラマの撮影ができそうな気がします。台湾旅行の醍醐味の一つが、海外でありながら昔日の日本の光景や文化を体感できること。昔の面影を残す新埔駅と対峙していると、大正時代にタイムスリップしたかのようであり、瞬間的に台湾にいることを忘れそうになります。綺麗に刈り込まれている駅舎前の植え込みを見ますと、この駅舎がいかに地元や関係者の方から愛されているかがよく伝わって、日本人の一人として嬉しく思いました。


 
2015年における新埔駅の1日平均乗車客数は69人なんだとか。日本でその程度の駅でしたら確実に無人化されちゃいますが、国営の鉄道だからか、この駅には有人窓口があり、ちゃんと切符を販売しています。実際にこの窓口で次の目的地である日南駅までの切符を求めますと、駅員のおじさんは老眼の目をショボショボさせながら端末の画面を確認し、ややぎこちない動きでマウスをポチポチと押して発券してくれました。なお昔ながらの硬券は用意されていないようです。


 
せっかくですので駅周辺を散策してみましょう。駅前には「海辺」と記された看板が立っていますので、それに従って歩いて行くと、数十メートルで路傍に駅員おじさんの人形が立っています。この人形の傍に立つ標識は、民家脇の路地を指し示しており、たしかにそのへ進めばすぐに海岸へと出られそうなのですが、一見すると廃屋に見えるその民家から生活の匂いが漂っており、本当にこの路地を歩いてよいものかという不安が、私の足を早歩きにさせます。何かあっては面倒なので、ささっとその民家脇を通って進むと・・・


 
すぐに海岸へと出られました。コンクリで頑丈に護岸された海岸は遊歩道になっていて、一定間隔おきに東屋も建てられており、散歩している人の姿もみられます。堤防の海側は石敷きになっており、波打ち際にはテトラポットが設置されていました。できれば海縁まで下りたかったのですが、テトラポットの下までしっかり波が届いていたので、残念ですが堤防の上で台湾海峡を眺めることに。


 
堤防に腰掛けて海を眺めながら、持参したコンビニ弁当を開けてお昼ご飯です。なお駅の周りには商店などありませんので、私は区間車に乗る前に、コンビニであらかじめお弁当を買っておきました。男一人で岸壁に座りお弁当を頬張るだなんて、哀愁に満ちた侘しい行動のように思えますけど、海を眺めながら食事をすると、たかがコンビニ弁当でも結構おいしくいただけますから、虚しさを感じることなんて微塵もありません。


●秋茂園
この新埔駅から徒歩5分ほどのところに、何やら訳のわからない摩訶不思議な私設公園があるようなので、お弁当を食べ終わったところで立ち寄ってみることにしました。その公園の名前は「秋茂園」。


 
道路に面したゲート門柱には、キューピーの紛い物や天女と思しき像が立っていて、入場前から早くも摩訶不思議な独特の世界観を放っており、真面目な神経をお持ちの方でしたら、これを目にして腰が引けちゃうかもしれません。場外の駐車場前にもインチキなキューピーや桃太郎・金太郎などが飾られており、道を往来する通行に不敵な笑みを浮かべていました。この私設公園は一事が万事、全てこんな感じで訳のわかんないコンクリの像が林立しているのです。さて勇気を振り絞って、入園してみることに。


 
開園時間は8:00〜17:00で入場料は無料。この私設公園は在日台湾人だった黄秋茂氏が私財を擲って開いたらしく、ご自身の理想・哲学・世界観などを立体的なコンクリや樹脂の像にして園内に配置しています。黄先生は日本にいらっしゃったので、園内には中国語のほか日本語や日本にまつわる事柄も多くみられます。黄秋茂先生の発想力は、良く言えば迸るように豊かで博愛的なのですが、見方を変えれば雑多でまとまりがなく突拍子がない。しかも像のつくりが奇怪で、可愛いんだか不気味なんだかわからなく、日中なら普通に観察できますが、日没後には怖くてまともに直視できないかもしれません。
ゲートを入ると新宿2丁目のような不思議なメイクのキューピッドが出迎えてくれました。その近くには西遊記の孫悟空や三蔵法師、そして道教の八仙など、中華的な世界観があると思えば、その奥では大陸の配置がメチャクチャな地球儀の上に母を背負う男性の像が立っており、地球儀の脇で直立している儀仗兵の台座には「最高栄誉的義務」「誇り高き義務」という言葉が2ヶ国語で記されていました。そして、親孝行や兵役の重要さを訴えるそんな像の前で、酒呑童子のような子供2人が戯れており、前のガキがお尻を出してキン○マをぶら下げている姿を、後ろのガキが凝視していました。なぜケツの穴やキン⚪︎マを覗かなきゃいけないのか。これを通じて黄先生は何を訴えたいのか、早くも私の頭は混乱してきました。子供の頃のノスタルジーを3D化しているのかもしれませんが、もう訳わかんない。幼い子供達がバカな戯れに興じていられるのも平和のお陰、そして母の慈愛のおかげという意味なのでしょうか。



黄先生の発想は中華圏や日本だけでなく世界中を駆け巡ります。ウェスタンスタイルのカウボーイがいると思えば、そのそばでキリンやラクダがキスをしていました。キン⚪︎マといいキスといい、像の不気味さもさることながら、ところどころでジトっと湿った下ネタが盛り込まれている点も、この公園のB級色をより濃くしています。



犬に囲まれながら立ちションをしている角川春樹似のトッチャン坊や(容貌が妙に老けている)の台座には、男たるものの生き様が2ヶ国語で箇条書きされていました。先生曰く「男なら嬉しい時は腹をはって笑おう、男なら悲しい時は思い切り涙を流そうよ(中略)男なら寂しい時は星空を仰ごう」とのこと。永六輔の作詞で似たような歌があったような気がしますが、それはさておき、この言葉を見る限り、黄先生はセンチメンタルなお方のようです。
一方、後ろにまわると今度は女バージョンが旧仮名遣いで記されており、曰く「女なら嬉しい時は明るくほほえみませう、女なら悲しい時は涙でほほを濡らしませう(中略)女なら寂しい時は花に語りかけませう」と、男に比べれば静的な感情表現に抑えられていました。先生は淑やかでおとなしい母性豊かな女性が理想なのでしょうね。



園内の道には日本的な石灯籠が建てられているのですが、その台座は中華的な鮮やかな色合いのペンキで塗られていました。日本でこんな塗装は見られませんよね。台湾と日本が折衷していることがわかります。
上述の「男なら 女なら」の近くには「私の心」と題する碑文も建てられており、これによれば黄先生は、恩に着せず信義を重んじ、代償を期待せず、ひたすら仁愛を施し、人類社会に互恵精神を広めて、この楽園で心を安らぎ、健康長寿を祈る、神様のお恵みに感謝を捧げます、とのこと。このスピリッツこそ「秋茂園」の根底に流れるメンタリティなのであります。



公園の南端には大きな東屋があるのですが、その柱にも黄先生のメッセージが記されていました。たとえば「貴様と俺こそ我が友よ」という軍歌「同期の桜」の冒頭を思わせる台詞があるかと思えば、「ムチつよくとも打つ心」と昔ながらの教育論もあり、まるで戦前にタイムスリップしたかのようなこれらの文言を見ていたら、戦後生まれの軟弱な私は、この屋根の下でゆっくり休める気がしなくなっちゃいました。台湾の田舎を旅していると、日本の保守論壇も真っ青の、強烈な保守的発想をお持ちでいらっしゃる、戦前教育を受けた日本語世代のお年寄りにお会いすることがありますが、黄先生もそのようなお爺様だったのでしょうか。


 
海岸に沿って南北に長い園内の海側には、孫文、観音様、聖母マリア、そしてキリストといったように、様々な神様や偉人を祀ったお堂が並んでいます。そして北端の奥には大きな観音塚も設けられていました。洋の東西や宗教の如何を問わず、神仏や神格化されている人物なら何でも崇め奉っちゃう黄先生の発想は博愛そのもの。宗教対立やナショナリズムの台頭など、世界各地で内向きで不寛容な社会観が広がりつつある今日、秋茂園の哲学は見直されて然るべきなのかもしれません。

園内には多くの像があり、とてもこのブログでは全てを紹介しきれないので、その中から一部をピックアップさせていただきました。いや、現地でも数点見るだけで十分お腹がいっぱい。胃がもたれてしまいそうです。博愛を学びつつも、夢に現れそうな奇怪な像と微妙な下ネタに頭が混乱した私は、園内を一週したところで退園して冷静さを取り戻し、駅に戻って再び区間車に乗って、次なる目的地である日南駅へと向かったのでした。


次回記事に続く
コメント (3)
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