話の流れとしては前回記事の続編となります。今回も温泉は登場しませんので、あしからず。
繁華街での夕食を済ませた後は、雨上がりで水溜りが多く、裏路地風情が濃くて薄気味悪い駅裏の街中を歩いて、アルサンジャック駅へ戻る。駅は大通りの角に位置しており、向きによって外観が異なるのだが、おそらく上画像が正面玄関のようである。車寄せの前には構内の入れ替え用と思しき小さなSLが保存されていた。
長い歴史を有する駅舎内は、長距離列車の発着駅に相応しい格調と重厚感が漂っており、中央ホールに入った刹那はヨーロッパの老舗ホテルに足を踏み入れたかのような優雅な気分に浸れるのだが、天井にはグラデーションを為しつつ次々に変色するLEDが線状に取り付けられており、途切れることのない照明の変色によって白・ピンク・赤・紫・青といった感じで館内の色調も変わってゆくため、せっかくの荘厳さも歴史の風格も、その電飾によってすっかり艶消しされてしまい、特にピンク色の時には淫靡で怪しい風俗店のようであった。
私がホームに入ると、これから乗る列車が、頭端式ホームに推進運転(後ろから機関車に押してもらう運転方法)で入線してきた。
高い天井に広いホーム。壁の時計がいかにも始発駅らしい風情を醸し出している。数十年前にタイムスリップしたかのような光景だ。またホームの端には、ひっそり戸口を開けているカフェ兼売店があり、この商売っ気が全く感じられない雰囲気も、汽車旅時代の駅を思い起こさせてくれる。堪らなく良い雰囲気。
ホームの先端まで行ってみた。これからコンヤまで夜通しで列車を牽引する機関車。そして、その次位に連結されている電源車。いずれもディーゼルエンジンを唸らせていた。
今回乗るイズミル発コンヤ行の夜行列車は、座席車と寝台車が混成されており、電源車と食堂車を含めると6両編成であった。機関車寄りの2両は座席車(プルマン)で、長時間乗車による苦痛を軽減するためか、2+1のゆったりとした座席配置になっている。出発直前の時点でこの座席車は7割近い乗車が見られた。終点まで乗り通す客もいれば、途中で下車する客もいるのだろう。
後ろから2両目は寝台車のクシェット。日本ではB寝台に相当するだろう。一つの区画に上下2段の寝台が相対して並んでいる。ひとつの区画の定員は4名。日本の開放B寝台はカーテン以外に仕切りは無いが、このクシェットにはヨーロッパの2等車のコンパートメントと同じように、区画ごとに扉が設けられており、扉を閉めれば通路を歩く人の気配などを気にせずに済むかも。
私が乗るのは最後部の7号車。車体側面にはヤタクルワゴン、即ち個室寝台と書かれている。6両編成なのに7号車ということは、この日は少なくとも1両の欠車があるということか。繁忙期には7両フルで運転されるのかもしれない。
サボ(行先票)には起終点の駅名(イズミル・コンヤ)の他、主要な途中停車駅、そして列車名"KOYA MAVI TRENI"が記されていた。
上画像は今回の切符。トルコへ入国した日のうちに、イスタンブール旧市街のシルケジ駅で予め購入しておいた。日本の寝台特急は乗車券・特急券・寝台券がそれぞれ別個だが、こちらはオールインワン。この1枚でOK。当然ながら個室寝台は他の車両より高い料金設定なのだが、それでもコンヤまでは109リラ(約5500円)なのだから、日本でB開放寝台に乗車するよりはるかに安い。券面は全てトルコ語表記だが、ピクトグラムも付されているので、乗車に必要な印字内容はほぼ問題なく理解できた。券面の最上段には私の名前が記され、その下段に乗車区間、中程に列車名・日付・時刻などが記される。なおVAGON NOは号車、YER NOは座席番号であり、座席番号の右に付された(E)は男性を意味する。イスラム圏ゆえ、見知らぬ男女が隣り合わせにならないよう、座席指定においては性別がきっちり分けられる。
なお窓口での購入に際しては、パスポートの提示と、連絡先としてメールアドレスの申告が求められた。
最後部の1両が個室寝台「ヤタクル」。日本ではA寝台の個室に相当するだろう。定員は2名だが、今回は私一人で占有させてもらう。というか、この日は私以外にヤタクルを利用する乗客がいなかった。
ドアの鍵は車内検札時に車掌からもらう。この列車の車掌はロシアのプーチンそっくりな薄らハゲで、恐ろしいくらいに無表情。一言も発さず、目線を合わせようともしない。今回のトルコ旅行で出会った人物の中で、最も無愛想であった。昔の日本も国鉄職員の態度はひどかったが、国を問わず国鉄の職員はみんなこんな感じなのか。あるいは偶々そういう人物に当たっただけなのか。
日本の個室A寝台なんて目じゃないほど、室内空間は広い。常時利用可能な洗面台があり、タオルや石鹸の備え付けがある他、コンセントも利用可能。当世の旅行にはデジタルギアが欠かせない。このコンセントでありがたく充電させてもらった。
座席に相対してテーブル・引き出し・小棚が設置され、冷蔵庫まで備え付けられている。庫内にはサービス(無料)のミネラルウォーター・フルーツジュース・お菓子が用意されていたので、これらもありがたくいただいた。
備え付けのアメニティは、使い捨てのスリッパと、コロンヤ(香水)を染み込ませたお手拭きの2点。
ドア上には照明スイッチの他、空調のコントロールパネルもある。でもこの空調はけっこういい加減で、温度調節しても、実際にはON/OFFしか行われない。昔のエアコンと同じ。
車内にはシャワーもあったのだが、その存在に気づいたのは翌朝のこと。残念ながら利用の機会を逃してしまった。なおこのヤタクルの場合、トイレは車両の両端に1つずつ設置されており、一方はトルコ式で、もう一方は洋式であった。
発車時にはてっきりホイッスルを鳴らしてくれるものかと思っていたが、何の前触れもなく、定刻より数分遅れて、列車は静かにアルサンジャック駅を出発した。少しずつスピードを上げながら、イズミルの街から離れてゆく。
今回この列車に乗って楽しみにしていたことのひとつが食堂車である。私も幼い頃に、新幹線や特急列車の食堂車で大して美味くもないハンバーグやカレーなどを食べた記憶があるが、現在は観光列車以外で連結されることはほとんど無くなり、辛うじて残っている「北斗星」や「トワイライトエクスプレス」も廃止が決定されている。それどころか近年では車内販売ですら廃止される傾向にある。私が日本で最後に食堂車を利用したのは、東日本大震災のちょうど1ヶ月前(平成23年2月11日)に札幌から乗った「北斗星」であるから、4年前のことだ(その時の記事はこちら)。
列車が出発して1時間ほど経ってから食堂車へ行ってみると、既に数名の客が軽食をつまんでいた。
メニューは意外と多いのだが、時間帯によってオーダー可能なものが限られる。私は列車に乗る前にキョフテジで夕食を済ませていたが、そこではアルコールが飲めなかったので、夜の車窓を眺めながらエフェスビールをグビっと飲んで、夜汽車ならではの旅情を味わった。そして塩味の代わりにレンズ豆のスープ(チョルバ)も注文した。なおトルコの他のレストランと同様に、テーブルの上に出されるパンは無料である。
瓶ビールを一本飲んで程よく酔った後は睡眠のお時間。座席の背もたれを手前へ倒すとベッドが現れる。既に布団がセッティングされており、枕も挟まれていたので、そのまんまで就寝可能だ。とっても楽チン。完全個室なので他の客を気にすることはないし、ベッドの幅もそれなりにあるので、快適に過ごせた。街を離れると車窓から明かりも消えて真っ暗になってしまったので、ここは素直に就寝することにした。おやすみなさい。
次回へ続く
繁華街での夕食を済ませた後は、雨上がりで水溜りが多く、裏路地風情が濃くて薄気味悪い駅裏の街中を歩いて、アルサンジャック駅へ戻る。駅は大通りの角に位置しており、向きによって外観が異なるのだが、おそらく上画像が正面玄関のようである。車寄せの前には構内の入れ替え用と思しき小さなSLが保存されていた。
長い歴史を有する駅舎内は、長距離列車の発着駅に相応しい格調と重厚感が漂っており、中央ホールに入った刹那はヨーロッパの老舗ホテルに足を踏み入れたかのような優雅な気分に浸れるのだが、天井にはグラデーションを為しつつ次々に変色するLEDが線状に取り付けられており、途切れることのない照明の変色によって白・ピンク・赤・紫・青といった感じで館内の色調も変わってゆくため、せっかくの荘厳さも歴史の風格も、その電飾によってすっかり艶消しされてしまい、特にピンク色の時には淫靡で怪しい風俗店のようであった。
私がホームに入ると、これから乗る列車が、頭端式ホームに推進運転(後ろから機関車に押してもらう運転方法)で入線してきた。
高い天井に広いホーム。壁の時計がいかにも始発駅らしい風情を醸し出している。数十年前にタイムスリップしたかのような光景だ。またホームの端には、ひっそり戸口を開けているカフェ兼売店があり、この商売っ気が全く感じられない雰囲気も、汽車旅時代の駅を思い起こさせてくれる。堪らなく良い雰囲気。
ホームの先端まで行ってみた。これからコンヤまで夜通しで列車を牽引する機関車。そして、その次位に連結されている電源車。いずれもディーゼルエンジンを唸らせていた。
今回乗るイズミル発コンヤ行の夜行列車は、座席車と寝台車が混成されており、電源車と食堂車を含めると6両編成であった。機関車寄りの2両は座席車(プルマン)で、長時間乗車による苦痛を軽減するためか、2+1のゆったりとした座席配置になっている。出発直前の時点でこの座席車は7割近い乗車が見られた。終点まで乗り通す客もいれば、途中で下車する客もいるのだろう。
後ろから2両目は寝台車のクシェット。日本ではB寝台に相当するだろう。一つの区画に上下2段の寝台が相対して並んでいる。ひとつの区画の定員は4名。日本の開放B寝台はカーテン以外に仕切りは無いが、このクシェットにはヨーロッパの2等車のコンパートメントと同じように、区画ごとに扉が設けられており、扉を閉めれば通路を歩く人の気配などを気にせずに済むかも。
私が乗るのは最後部の7号車。車体側面にはヤタクルワゴン、即ち個室寝台と書かれている。6両編成なのに7号車ということは、この日は少なくとも1両の欠車があるということか。繁忙期には7両フルで運転されるのかもしれない。
サボ(行先票)には起終点の駅名(イズミル・コンヤ)の他、主要な途中停車駅、そして列車名"KOYA MAVI TRENI"が記されていた。
上画像は今回の切符。トルコへ入国した日のうちに、イスタンブール旧市街のシルケジ駅で予め購入しておいた。日本の寝台特急は乗車券・特急券・寝台券がそれぞれ別個だが、こちらはオールインワン。この1枚でOK。当然ながら個室寝台は他の車両より高い料金設定なのだが、それでもコンヤまでは109リラ(約5500円)なのだから、日本でB開放寝台に乗車するよりはるかに安い。券面は全てトルコ語表記だが、ピクトグラムも付されているので、乗車に必要な印字内容はほぼ問題なく理解できた。券面の最上段には私の名前が記され、その下段に乗車区間、中程に列車名・日付・時刻などが記される。なおVAGON NOは号車、YER NOは座席番号であり、座席番号の右に付された(E)は男性を意味する。イスラム圏ゆえ、見知らぬ男女が隣り合わせにならないよう、座席指定においては性別がきっちり分けられる。
なお窓口での購入に際しては、パスポートの提示と、連絡先としてメールアドレスの申告が求められた。
最後部の1両が個室寝台「ヤタクル」。日本ではA寝台の個室に相当するだろう。定員は2名だが、今回は私一人で占有させてもらう。というか、この日は私以外にヤタクルを利用する乗客がいなかった。
ドアの鍵は車内検札時に車掌からもらう。この列車の車掌はロシアのプーチンそっくりな薄らハゲで、恐ろしいくらいに無表情。一言も発さず、目線を合わせようともしない。今回のトルコ旅行で出会った人物の中で、最も無愛想であった。昔の日本も国鉄職員の態度はひどかったが、国を問わず国鉄の職員はみんなこんな感じなのか。あるいは偶々そういう人物に当たっただけなのか。
日本の個室A寝台なんて目じゃないほど、室内空間は広い。常時利用可能な洗面台があり、タオルや石鹸の備え付けがある他、コンセントも利用可能。当世の旅行にはデジタルギアが欠かせない。このコンセントでありがたく充電させてもらった。
座席に相対してテーブル・引き出し・小棚が設置され、冷蔵庫まで備え付けられている。庫内にはサービス(無料)のミネラルウォーター・フルーツジュース・お菓子が用意されていたので、これらもありがたくいただいた。
備え付けのアメニティは、使い捨てのスリッパと、コロンヤ(香水)を染み込ませたお手拭きの2点。
ドア上には照明スイッチの他、空調のコントロールパネルもある。でもこの空調はけっこういい加減で、温度調節しても、実際にはON/OFFしか行われない。昔のエアコンと同じ。
車内にはシャワーもあったのだが、その存在に気づいたのは翌朝のこと。残念ながら利用の機会を逃してしまった。なおこのヤタクルの場合、トイレは車両の両端に1つずつ設置されており、一方はトルコ式で、もう一方は洋式であった。
発車時にはてっきりホイッスルを鳴らしてくれるものかと思っていたが、何の前触れもなく、定刻より数分遅れて、列車は静かにアルサンジャック駅を出発した。少しずつスピードを上げながら、イズミルの街から離れてゆく。
今回この列車に乗って楽しみにしていたことのひとつが食堂車である。私も幼い頃に、新幹線や特急列車の食堂車で大して美味くもないハンバーグやカレーなどを食べた記憶があるが、現在は観光列車以外で連結されることはほとんど無くなり、辛うじて残っている「北斗星」や「トワイライトエクスプレス」も廃止が決定されている。それどころか近年では車内販売ですら廃止される傾向にある。私が日本で最後に食堂車を利用したのは、東日本大震災のちょうど1ヶ月前(平成23年2月11日)に札幌から乗った「北斗星」であるから、4年前のことだ(その時の記事はこちら)。
列車が出発して1時間ほど経ってから食堂車へ行ってみると、既に数名の客が軽食をつまんでいた。
メニューは意外と多いのだが、時間帯によってオーダー可能なものが限られる。私は列車に乗る前にキョフテジで夕食を済ませていたが、そこではアルコールが飲めなかったので、夜の車窓を眺めながらエフェスビールをグビっと飲んで、夜汽車ならではの旅情を味わった。そして塩味の代わりにレンズ豆のスープ(チョルバ)も注文した。なおトルコの他のレストランと同様に、テーブルの上に出されるパンは無料である。
瓶ビールを一本飲んで程よく酔った後は睡眠のお時間。座席の背もたれを手前へ倒すとベッドが現れる。既に布団がセッティングされており、枕も挟まれていたので、そのまんまで就寝可能だ。とっても楽チン。完全個室なので他の客を気にすることはないし、ベッドの幅もそれなりにあるので、快適に過ごせた。街を離れると車窓から明かりも消えて真っ暗になってしまったので、ここは素直に就寝することにした。おやすみなさい。
次回へ続く