温泉逍遥

思いつきで巡った各地の温泉(主に日帰り温泉)を写真と共に紹介します。取り上げるのは原則的に源泉掛け流しの温泉です。

イズミル発コンヤ行 夜行列車 前編

2015年01月17日 | トルコ
話の流れとしては前回記事の続編となります。今回も温泉は登場しませんので、あしからず。



 
繁華街での夕食を済ませた後は、雨上がりで水溜りが多く、裏路地風情が濃くて薄気味悪い駅裏の街中を歩いて、アルサンジャック駅へ戻る。駅は大通りの角に位置しており、向きによって外観が異なるのだが、おそらく上画像が正面玄関のようである。車寄せの前には構内の入れ替え用と思しき小さなSLが保存されていた。


 
 
長い歴史を有する駅舎内は、長距離列車の発着駅に相応しい格調と重厚感が漂っており、中央ホールに入った刹那はヨーロッパの老舗ホテルに足を踏み入れたかのような優雅な気分に浸れるのだが、天井にはグラデーションを為しつつ次々に変色するLEDが線状に取り付けられており、途切れることのない照明の変色によって白・ピンク・赤・紫・青といった感じで館内の色調も変わってゆくため、せっかくの荘厳さも歴史の風格も、その電飾によってすっかり艶消しされてしまい、特にピンク色の時には淫靡で怪しい風俗店のようであった。



私がホームに入ると、これから乗る列車が、頭端式ホームに推進運転(後ろから機関車に押してもらう運転方法)で入線してきた。


 
高い天井に広いホーム。壁の時計がいかにも始発駅らしい風情を醸し出している。数十年前にタイムスリップしたかのような光景だ。またホームの端には、ひっそり戸口を開けているカフェ兼売店があり、この商売っ気が全く感じられない雰囲気も、汽車旅時代の駅を思い起こさせてくれる。堪らなく良い雰囲気。


 
ホームの先端まで行ってみた。これからコンヤまで夜通しで列車を牽引する機関車。そして、その次位に連結されている電源車。いずれもディーゼルエンジンを唸らせていた。



今回乗るイズミル発コンヤ行の夜行列車は、座席車と寝台車が混成されており、電源車と食堂車を含めると6両編成であった。機関車寄りの2両は座席車(プルマン)で、長時間乗車による苦痛を軽減するためか、2+1のゆったりとした座席配置になっている。出発直前の時点でこの座席車は7割近い乗車が見られた。終点まで乗り通す客もいれば、途中で下車する客もいるのだろう。


 
後ろから2両目は寝台車のクシェット。日本ではB寝台に相当するだろう。一つの区画に上下2段の寝台が相対して並んでいる。ひとつの区画の定員は4名。日本の開放B寝台はカーテン以外に仕切りは無いが、このクシェットにはヨーロッパの2等車のコンパートメントと同じように、区画ごとに扉が設けられており、扉を閉めれば通路を歩く人の気配などを気にせずに済むかも。


 
私が乗るのは最後部の7号車。車体側面にはヤタクルワゴン、即ち個室寝台と書かれている。6両編成なのに7号車ということは、この日は少なくとも1両の欠車があるということか。繁忙期には7両フルで運転されるのかもしれない。
サボ(行先票)には起終点の駅名(イズミル・コンヤ)の他、主要な途中停車駅、そして列車名"KOYA MAVI TRENI"が記されていた。



上画像は今回の切符。トルコへ入国した日のうちに、イスタンブール旧市街のシルケジ駅で予め購入しておいた。日本の寝台特急は乗車券・特急券・寝台券がそれぞれ別個だが、こちらはオールインワン。この1枚でOK。当然ながら個室寝台は他の車両より高い料金設定なのだが、それでもコンヤまでは109リラ(約5500円)なのだから、日本でB開放寝台に乗車するよりはるかに安い。券面は全てトルコ語表記だが、ピクトグラムも付されているので、乗車に必要な印字内容はほぼ問題なく理解できた。券面の最上段には私の名前が記され、その下段に乗車区間、中程に列車名・日付・時刻などが記される。なおVAGON NOは号車、YER NOは座席番号であり、座席番号の右に付された(E)は男性を意味する。イスラム圏ゆえ、見知らぬ男女が隣り合わせにならないよう、座席指定においては性別がきっちり分けられる。
なお窓口での購入に際しては、パスポートの提示と、連絡先としてメールアドレスの申告が求められた。


 
最後部の1両が個室寝台「ヤタクル」。日本ではA寝台の個室に相当するだろう。定員は2名だが、今回は私一人で占有させてもらう。というか、この日は私以外にヤタクルを利用する乗客がいなかった。
ドアの鍵は車内検札時に車掌からもらう。この列車の車掌はロシアのプーチンそっくりな薄らハゲで、恐ろしいくらいに無表情。一言も発さず、目線を合わせようともしない。今回のトルコ旅行で出会った人物の中で、最も無愛想であった。昔の日本も国鉄職員の態度はひどかったが、国を問わず国鉄の職員はみんなこんな感じなのか。あるいは偶々そういう人物に当たっただけなのか。


 
日本の個室A寝台なんて目じゃないほど、室内空間は広い。常時利用可能な洗面台があり、タオルや石鹸の備え付けがある他、コンセントも利用可能。当世の旅行にはデジタルギアが欠かせない。このコンセントでありがたく充電させてもらった。


 
座席に相対してテーブル・引き出し・小棚が設置され、冷蔵庫まで備え付けられている。庫内にはサービス(無料)のミネラルウォーター・フルーツジュース・お菓子が用意されていたので、これらもありがたくいただいた。


 
備え付けのアメニティは、使い捨てのスリッパと、コロンヤ(香水)を染み込ませたお手拭きの2点。
ドア上には照明スイッチの他、空調のコントロールパネルもある。でもこの空調はけっこういい加減で、温度調節しても、実際にはON/OFFしか行われない。昔のエアコンと同じ。



車内にはシャワーもあったのだが、その存在に気づいたのは翌朝のこと。残念ながら利用の機会を逃してしまった。なおこのヤタクルの場合、トイレは車両の両端に1つずつ設置されており、一方はトルコ式で、もう一方は洋式であった。



発車時にはてっきりホイッスルを鳴らしてくれるものかと思っていたが、何の前触れもなく、定刻より数分遅れて、列車は静かにアルサンジャック駅を出発した。少しずつスピードを上げながら、イズミルの街から離れてゆく。


 
今回この列車に乗って楽しみにしていたことのひとつが食堂車である。私も幼い頃に、新幹線や特急列車の食堂車で大して美味くもないハンバーグやカレーなどを食べた記憶があるが、現在は観光列車以外で連結されることはほとんど無くなり、辛うじて残っている「北斗星」や「トワイライトエクスプレス」も廃止が決定されている。それどころか近年では車内販売ですら廃止される傾向にある。私が日本で最後に食堂車を利用したのは、東日本大震災のちょうど1ヶ月前(平成23年2月11日)に札幌から乗った「北斗星」であるから、4年前のことだ(その時の記事はこちら)。
列車が出発して1時間ほど経ってから食堂車へ行ってみると、既に数名の客が軽食をつまんでいた。


 
メニューは意外と多いのだが、時間帯によってオーダー可能なものが限られる。私は列車に乗る前にキョフテジで夕食を済ませていたが、そこではアルコールが飲めなかったので、夜の車窓を眺めながらエフェスビールをグビっと飲んで、夜汽車ならではの旅情を味わった。そして塩味の代わりにレンズ豆のスープ(チョルバ)も注文した。なおトルコの他のレストランと同様に、テーブルの上に出されるパンは無料である。


 
瓶ビールを一本飲んで程よく酔った後は睡眠のお時間。座席の背もたれを手前へ倒すとベッドが現れる。既に布団がセッティングされており、枕も挟まれていたので、そのまんまで就寝可能だ。とっても楽チン。完全個室なので他の客を気にすることはないし、ベッドの幅もそれなりにあるので、快適に過ごせた。街を離れると車窓から明かりも消えて真っ暗になってしまったので、ここは素直に就寝することにした。おやすみなさい。

次回へ続く
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

イズミル市街で電車を乗り継ぐ

2015年01月16日 | トルコ
前回記事の続編です。今回も記事中に温泉は登場しませんので、あしからず。

 
デニズリ(Denizli)からの普通列車は、定刻より40分遅れの17:48に、夜の帳が下りたイズミル(Izmir)のバスマーネ(Basmane)駅に到着。都市のターミナル駅なのに、規模が小さくて薄暗く、垢抜けなくて哀愁たっぷりだ。


 
バスマーネ駅の駅舎と駅前の大通りの様子。さすがトルコ屈指の大都会だけあり、交通量が多く、ひっきりなしにクラクションが鳴らされていた。

前回記事でも述べたが、イズミルの鉄道ターミナルは方面別に駅が異なり、いま私が乗ってきたデニズリからの列車はバスマーネ駅に到着した。しかし次に乗り継ぎたいコンヤ行きの夜行列車は、この駅ではなく、ここから北へ3kmほど離れたアルサンジャック(Alsancak)駅より発車する。駅前にはタクシーが待機しているので、それに乗っちゃえば簡単にアルサンジャック駅へ移動できるが、それでは旅の面白さが減ってしまうから、ここは是非市内の公共交通機関を乗り継いでゆきたい。手持ちのマップによれば、バスマーネからメトロ(地下鉄)で次のヒラル(Hilal)駅まで乗り、そこで近郊電車のイズバン(Izban)に乗り換えれば、一駅でアルサンジャックへ辿り着けるようだ。



てっきりメトロの入口は大きな行灯か何かでわかりやすく表示されていると思いきや、駅構内にはそれらしき表示が見当たらない。仕方なく人の流れが多い方へ行ってみると、その流れの先の、駅の裏手の暗くて目立たないところに、地下鉄の出入口が口を開けていた。公共交通機関なのに、どうしてこんな他所者が近寄りがたいロケーションに設けたのだろうか。


 
地下鉄駅構内は至って無機質。利用者のほとんどは事前購入の接触型乗車券を所持しており、みなさん改札機にタッチして足早に去ってゆく。イズミルの交通機関で不可解なのは、いわゆる一回きりの片道乗車券を現金購入できないことだ。東京であれば、たとえば地下鉄で渋谷から外苑前まで乗車したければ、券売機で170円の切符を買えば良い。日本のみならず世界各国どこの交通機関でも、一回だけ有効の片道乗車券を売っている。しかしイズミルではそんなごくごく当たり前な常識が通用しない。当地ではプリペイド型の乗車券購入客の利用を前提としており、もし一回限りの乗車であっても、回数券を購入しなければならないのだ。地元の定期利用客が大半であることから、徹底的に合理化を図ってそのようなシステムにしたのだろうが、旅人にとっては非常に理不尽である。私が構内まで下りると、改札脇の出札窓口では別の外国人旅行者が切符の購入を求めようとしていたが、切符が買えないことがわかると、メトロの利用を諦めて地上へ戻っていった。

さて今度は私の番だ。乗車には回数券を購入しなければならない。回数券は3回券から発売されているようだが、この回数券はメトロのみならず、近郊電車でも路線バスでも利用可能である。ということは、ヒラル駅で乗り換えるイズバンでも使えるわけだから、1回分は無駄になってしまうが、考えようによっては乗換駅での切符購入の手間が省け、手元には乗車記念として券が残るわけだ。そもそも私は敢えて好き好んで、このメトロを選んでいるから、あまり文句を言えた立場じゃない。トルコ語で回数券はどのように言うのか、スマホの「グーグル翻訳」で調べた上で、グーグル先生が教えてくれた通りに「キタップ ビレット 3 (Kitap bilet 3)」と窓口のおばさんに告げたところ、スムーズに3回分の回数券が購入できた。料金はたしか6.25リラだったはず。



なお改札前にはいかにも券売機らしいマシーンが設置されているが、これはプリペイド型乗車券のチャージ専用機であり、切符は買えないようだ。


 
大きな荷物を引き摺る私を見て、改札前で警備していたガードマンのおじさんが、どこへ行くのかと英語で訪ねてきたので、アルサンジャックへ行きたいと伝えたところ、笑顔で乗り場を教えてくれた。ホームに下りてわずか2分でメトロの電車が入線してきた。夕方のラッシュアワーであるため、車内は大混雑。


 
バスマーネを出たメトロは間もなく地上に上がり、更には高架上を走って、わずか2分でヒラル(Hilal)駅に着いた。イズミルは港から丘へ向かって上へ上へと市街地が広がっているらしく、ホームからはそんな街並みの夜景が眺望できた。宝石をバラ撒いたかのよう。とても綺麗だ。


 
高架ホームから階段を下りてメトロの改札を出てから、目の前にあるイズバンの改札へと進む。方向によって改札が異なるので、行き先をよく確かめてから入場した。私が乗るべきはAliaga方面行だ。



イズバンのヒラル駅では、線路のダイヤモンドクロッシング(平面交差)が見られる。日本でもかつては路面電車をはじめとして、阪急の西宮北口駅などいろんなところに存在したが、現在では伊予鉄大手町駅や一部の車庫を除いてほとんど消滅している。


 
ホームの電光掲示板には、次の電車が時刻が表示される。小糠雨が降る中を待つこと約10分でAliaga行電車はやってきた。下顎が突き出てオデコが光っているその先頭形状は、チョウチンアンコウのようだ。


 
3分の乗車でアルサンジャック(Alsancak)駅に到着。ここは小田急江ノ島線・藤沢駅や東武野田線・柏駅のような頭端式ホームであり、一見すると行き止まりであるが、線路自体はY字型に伸びており、電車はまだまだ先へ進む。乗降が済んだらすぐにエンド交換(スイッチバック)してAliaga駅へ発車していった。


 
近郊電車と長距離列車が発着するアルサンジャック駅。ここからコンヤ行きの夜行列車に乗るのだが、列車の発車時刻まではまだ時間があるので、ひとまず駅の外へ出てアルサンジャックの街を逍遥し、夕食の店を探してみることに。


 
アルサンジャックには大きな港があり、周辺の交通量も非常に多いのだが、駅からちょっと離れると狭い裏路地ばかりになり、ひとり歩きに不安を覚える怪しげな雰囲気になった。小店の軒先からこちらを窺う男たちの視線に恐怖を抱く。しかも先程まで降っていた雨のために足元には水溜りができており、段差も多く、そのうえ細い道なのに渋滞を避ける車が猛スピードで飛ばしてくるので、色んな意味で危なっかしい。
しかし、気味悪さに耐えながら駅から西へ500メートルほど進むと、俄然明るくなって人通りの多い繁華街に行き当たった。どうやらここは「クブルス・シェヒットレル通り(Kıbrıs Şehitleri Caddesi)」という若者の街らしい。ここなら安心してレストランが選べそうだ。


 
通りにはいくつものレストランがあって迷ったが、明るくて清潔感溢れる店内が印象的だった「ラミズ(Ramiz)」というキョフテジに入ることにした。キョフテジとはキョフテ(トルコ風ハンバーグ)の専門店のこと。この"Ramiz"はトルコ全土に多くの店舗を構える老舗チェーン店であり、その後も各地を巡っているとこの店に出くわした。
色鮮やかな食材が並ぶ小洒落たカウンターの向こうにオープンキッチンがあり、シェフ達が手際よく調理している。ホールスタッフもみな愛想が良い。



メニューには写真が載せられていたが、その説明がトルコ語なので、よくわからずに戸惑っていると、スタッフが英語で一つ一つ親切に説明してくれた。この時注文したのはチーズ入りキョフテで14リラ(700円強)。若干しょっぱい気もするが、さすがチェーン店だけあって安定しており、美味しさもボリュームも十分満足。

お腹を満たしたところで、駅へと戻って夜行列車に乗り込む。

次回に続く
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ローカル列車でデニズリからイズミルへ

2015年01月15日 | トルコ
※今回記事から4回連続で当ブログに温泉は登場しません。あしからず。

パムッカレの石灰棚を観光し、その近くにある温泉地カラハユットで湯浴みを楽しんだ私は、次なる目的地、カッパドキアの観光拠点であるギョレメへと向かった。パムッカレとカッパドキアという、トルコ観光においてはあまりにベタな2つの箇所を移動するには、長距離バスを利用するのが一般的であろうが、温泉ファンであると同時に鉄ちゃんとしてのスピリットも持ち合わせる私としては、遠回りであおうと費用が嵩もうと、何が何でも径路に鉄道を組み込みたい。この2点間の移動で鉄道を使う場合は、いろんなルートが考えられるのだが、今回はローカル列車と夜行列車を乗り継ぐ以下のコースを選ぶことにした。

旅行日:2014年10月下旬



・カラハユット(パムッカレ)11:00頃→【路線バス】→デニズリのバスターミナル11:30頃(下車後に昼食)
・デニズリ駅12:50→【各駅停車のローカル列車】→イズミル・バスマーネ駅17:08
・バスマーネ駅→【メトロ(地下鉄)】→ヒラル駅→【イズバン(近郊電車)】→イズミル・アルサンジャック駅
・イズミル・アルサンジャック駅20:35発→【夜行列車「コンヤ・マビ・トレニ」】→コンヤ駅翌朝着
・コンヤ駅→【トラムもしくはタクシー】→コンヤのバスターミナル→【長距離バス】→ギョレメ

その全行程を記事にすると無駄に長くなってしまうので、今回はローカル列車に乗ってイズミルへ向かうまでの様子を、時系列順に述べてゆく。


 
公営温泉「クルムズ・ス」の露天風呂と「ヘラクレスホテル」の大浴場でそれぞれ朝風呂を楽しんでから、11時にホテルをチェックアウト。立像と温泉ドームがあるロータリーから、デニズリ行の路線バスに乗車。5分程の待ち合わせで、バスはタイミング良くやってきた。
昨日観光したパムッカレを左側の車窓に眺めながらバスは快走する。昨日はあいにくの天候だったが、天気の良い今日だったら、青空を映す真っ白な石灰棚を眺められたことだろう。運が悪い。自分の日頃の行いに問題があるのは明らかだ…。


 
バスに揺られること約30分、11:40頃にデニズリのオトガル(バスターミナル)に到着。地上階を含めて地下へ3階層になっているこのオトガルにおいて、近距離路線は地下2階で発着する。地下といっても幅の広い掘割状になっており、地下である感じはあまりしない。


 
地下1階には長距離路線が発着する乗り場とフードコートがあり、多くの人で賑わっている。


 
ちょうどランチタイムなので、このフードコートでビーフのケバプを注文。缶ジュースと食後のチャイ(紅茶)を合計して20リラ(約1000円)。


 
オトガルを出て地上へ上がり、オトガルが面している大通りを反対側へ渡ればすぐに・・・


 
トルコ国鉄のデニズリ駅である。かつて駅とオトガルはかなり離れていたそうだが、今年オープンした新オトガルは鉄道駅の真向かいへ移転してくれたので、容易に移動できて助かった。バスが公共交通の主役であるトルコにおいて、鉄道はすっかり脇役として鳴りを潜めており、デニズリの鉄道駅はバスターミナルとは比べ物にならないほど寂れていた。駅名を掲示する看板が無ければ、倉庫か何かと見紛うほどである。


 
構内に入り、窓口でイズミルまでの切符を購入する。駅員のおじさんに「イズミル」と行き先を一言伝えただけで発券してくれた。運賃はわずか20.25リラ。これから4時間近くも乗車するのに、先程のランチとほとんど同じであるとは驚いた。



今から乗車するイズミル行のローカル列車は、3両編成のディーゼルカー。日本だったら特急列車に採用されそうな、先頭の丸みを帯びたデザインは、イタリアあたりの鉄道を連想させる。


 
(時刻表の画像はクリックで拡大)
側面の行先表示器には起点と終点の駅名が表示されている。ここがデニズリだからこそ、この列車はイズミル行であることが確信できるが、初見の客が途中駅で乗車する場合は、どちらへ行く列車なのか混乱しないだろうか。尤も、今でも日本のローカル列車では「八戸←→久慈」のような行先票(いわゆるサボ)がかなりの数で現役だから、他国のことに文句を言えた義理ではないのだが…。
駅の窓口ではポケット時刻表がたくさん置かれていたので、一枚頂戴した(右(下)画像)。私が乗るのは赤枠で囲った列車。デニズリを12:50に出発し、途中駅に全て停車しながら、終点のイズミール・バスマーネ駅に17:08到着する。ダイヤ通りの運行で、4時間強の乗車となる。学生時代から青春18きっぷでの長旅を繰り返してきた私にとって、この程度はお茶の子さいさい。むしろ、その時間が楽しみですらある。


 
駅構内には進行方向には小さな矩形庫があり、いかにも古そうなディーゼルカーが留置されていた。この車両が運転されることはあるのだろうか。また駅ホームの端にはSLが静態保存されていた。


 
ホームの上屋はいかにも現代的な骨組みとガラスの組み合わせ。発車時刻の約10分前になって、ようやくドアが開いて乗車が開始された。いつの間にやらホームには多くの乗客が集まっており、各ドアの前には列ができていた。外国人旅行者の姿もチラホラ見受けられたが、極東人は私だけ。


 
車内には集団見合型のクロスシートが配置されている。ローカル列車なので、どの席に座ろうが勝手なのだが、シートは固定されていて回転できないので、どうしても進行方向と同じ向きの座席に乗客が集中する。上画像で奥の方だけ客が偏っているのは、そのためだ。私は運良く順向の窓側席を確保できた。なおシートは多少リクライニングできる。
天井のモニターでは、次の停車駅が案内表示された。英語表示も行われるので、旅行者には助かる。


 
車端部には機械室の他、トイレなどの設備もある(でも今回は使わなかったので、内部の様子はわからない)。デッキと客室部を仕切るドアは自動ドアだ。


 
定刻より数分遅れでデニズリを出発。既に7割近い乗車率である。最初の停車駅を発車した後に、検札がやってきた。列車は踏切を通過する度に、そこのけそこのけと言わんばかりに警笛を鳴らし、長閑な田園風景にプワーンと大きな音が響き渡った。
出発して40分ほど経ったころ、右手の車窓に白いパムッカレが遠望できた。パムッカレよ、さらばじゃ!


 
途中、地熱発電所と思しき施設の横を通過。温泉資源が豊富な土地柄であるから、地熱もそれなりに活用されているのだろう。


 
ほぼ定刻でゲルメンジッキ(Germencik)駅へ。この駅のように、途中駅では沢山の乗り込んでくるとともに、降車客も多く、大きな街の駅で停車する度に乗客の数割が入れ替わった。トルコの交通はバスが主役であるが、大量輸送機関として鉄道の需要もまだまだ高いのかもしれない。


 
緩やかな丘にぶどうやオレンジの畑が広がったり、見晴らしの良い稜線上を走ったり…。おしなべて起伏の少ない土地を走るのだが、車窓は意外にも変化に富んでおり、景色には全く退屈しない。実に快適な汽車旅だ。


 
途中駅から車内販売のお兄さんが乗り込んできて、シミット(胡麻がたくさんまぶされているパンの一種)をお盆に山積みにして右肩に載せながら、売り声を上げて車内を往復していた。売り子のお兄さんはもう一人いて、そちらでは水などのドリンク類を扱っていた。


 
こちらはセルチュク(Selcuk)駅。ここまでは定刻通りの運行。トルコ屈指の観光地であるエフェス遺跡への拠点になる街なので、列車でここを訪れる日本人も多いだろう。セルチュクから乗り込んでくる客も多く、既に座席は埋まっているので、通路は立客で埋まるようになった。3両編成では輸送力不足なのかもしれない。


 
セルチュクを出てしばらくすると、車窓には綿花畑が果てしなく広がった。列車がイズミルへ近づくにつれ、畑の彼方に連なる稜線上の空が、徐々に夕焼け色に染まり始める。


 
夕暮れの空を眺めるまではほぼ時刻通りの順調な運転だったが、イズミル手前のテペキョイ(Tepekoy)かトルバル(Torbalı)付近で反対列車との交換に時間を要し、ここで一気に40分遅れとなってしまった。こうした遅れが鉄道への信頼を失わせてしまうわけか…。やがて線路は複線になり、電化され、反対側の線路をイズミルの近郊電車(イズバン)が行き違うようになった。途中アドナン・メンデレス空港駅にも停車。


 
定刻より40分遅れの17:48に、すっかり日が暮れたイズミルのバスマーネ駅へ到着した。都市のターミナル駅であるはずだが、垢抜けない田舎臭さが漂っており、薄暗くていまいち冴えない。東京の鉄道だと東北方面は上野、中央線方面は新宿というように、方面によって発着するターミナルが異なるが、イズミールでも同様であり、デニズリからの列車はバスマーネという駅が発着拠点になるが、次に私が乗りたいコンヤ行きの夜行列車は、ここから離れたアルサンジャックという駅から出発する。従ってこの薄暗いバスマーネ駅からアルサンジャック駅へ移動しなければならない。さて、どうやって移動するか…。

次回に続く
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

カラハユット温泉 クルムズ・ス

2015年01月13日 | トルコ
 
カラハユット温泉で一泊した翌朝、まだ辺りが朝霧で霞んでいる早い時間帯に外出し、商店街を抜けた先にある公営の温泉施設「クルムズ・ス(kırmızı Su)」へと向かいました。


 
構内は公園となっていて、誰でも自由に入場可能。緑豊かな園内を進んでゆくと…


●園内の石灰棚など
 
公園の中央部には、赤茶色をした巨大な石灰棚が、傾斜地形に沿う感じで形成されていました。さすがにパムッカレには及ばないものの、数メートルもの高さにまで堆積した立派な石灰華段丘がこんなところにもあったとは思いもよらず、圧巻の景色を目の前にしてしばし立ち尽くしてしまいました。


 
段々の一つ一つが円弧を描いている石灰棚。その一番上から、金気と石灰を含んだ温泉が落とされており、ベージュに染まった各段にお湯が溜まっています。



最上段から眺めるとこんな感じ。まるで東南アジアの棚田みたい。もし日本にこれだけの規模の石灰棚が存在していたら、相当有名な観光地になっているでしょうね。でも当地にはパムッカレというトラバーチン界の横綱がご近所にあるため、こんなに立派でも存在感は控えめ。


 
下段は大きな湯池になっており、その畔でもお湯が噴き上がっています。湯量豊富なんですね。私の訪問時、この池ではおばちゃん達が足湯を楽しんでいました。実は前夜にもここを訪れているのですが、その時には中学か高校生らしきお兄ちゃん達が、水着になってこの池で泳いでいました。この温泉は老若男女を問わず、地元の方に愛されているようです。


 
園内には有料の各種施設もあり、左(上)画像は個室風呂、右(下)画像は普通のスイミングプールなのですが、訪問した時間帯が早すぎたため、係員らしき人の姿が全く見当たらなかったばかりか、どの扉も固く閉ざされていました。スイミングプールに関しては、水が半分抜かれている上、落ち葉などがたくさん沈んでいましたから、利用できるのは夏季のみであり、私が訪れた冬期はクローズされちゃうのでしょう。


 

マッサージルームも(左上(上)画像)、オープンカフェも(右(中)画像)も、ドクターフィッシュの小屋も(左下(下)画像)、みんな閉まっていました。訪問する時間を間違えちゃったか…。あるいはシーズンそのものが外れていたのか…。



なんと園内で日本語の看板を発見。ということは、この公園は日本人の利用も多いわけですね。パムッカレにはたくさんの日本人観光客が訪れ、その宿泊先として温泉地カラハユットが選ばれることも多いわけですが、温泉をこよなく愛する精神文化が、私のような好事家のみならず、当地で観光する皆さんの足をこの町はずれの温泉公園へ運ばせるのでしょう。
泥マッサージや泥プール、テルマル(温泉)プール等で楽しんじゃおうぜ、といったところでしょうけど、係員が人っ子一人いないから、マッサージ関係は利用できないなぁ。とりあえず看板の奥へ進んでみようかな。


●温泉プール
 
誰もいないオープンカフェを通り抜けると、その先には長方形のプールが2つ並んでいました。屋根掛けされたそのプールは目測で6m×10m。湯面からは湯気が上がっており、翠色を呈したお湯が満たされているではありませんか。


 
2つのプールに挟まれたスペースでは、間欠泉のようにボコボコと音を立てながらお湯が噴き上がっており、真っ白な湯気とともに金気臭と土類臭を辺りに放っていました。この湯口に温度計を差してみますと、49.8℃という数値が計測されました。こんな光景を目にしたら、心を躍らさずにはいられません。


 
そのお湯が注がれるプールの温度は37.5℃。表面積が広いために外気の影響を受けてかなり冷めてしまうようですが、それでも十分に入浴できる温度ですから、居ても立ってもいられなくなった私は、木陰で水着に着替えて入浴してしまいました。
お湯は翠色に濁っているものの、底が見える程度の透明度を有しています。こちらの温泉は英語で"RED WATER"と称するようですが、明るさや酸化の進み具合などによって色合いや濁り方が異なるのでしょうね。明瞭な金気感と土類感があり、湯口では石膏的な甘さの他、炭酸味がはっきりと感じられました。湯中ではキシキシと引っかかる浴感が強く得られます。わかりやすい重炭酸土類泉系統の温泉であり、それゆえに大規模な石灰棚が形成されたのでしょう。
40℃に及ばない湯加減ですから、てっきり長湯ができるかと思いきや、炭酸の影響なのか温まり方が実にパワフルであり、肩まで浸かってしばらくすると体中が熱くなって、湯船から上がってクールダウンを求めたくなるほどでした。湯上がりも長い時間にわたってホコホコとした温まりが持続しました。言わずもがな、湯使いは完全掛け流し。なかなか良質なお湯でした。おすすめ。


●泥湯・シャワーなど
 
温泉プールの隣にあるのが泥湯のプール。温泉のお湯と一緒に濃い灰色の泥がたっぷり溜まっています。プールの大きさは温泉槽と全く同じですが、こちらはお湯の投入量が少なく、かなりぬるくなっていました。誰もがすすんで水着になりたくなる夏向けの施設なのかな。


 
真ん中には台があって、いくつかのバケツが置かれていました。田んぼのようにぬかるむ槽に入って、そのバケツで泥を掬ってみると、上画像のような感じです。



泥を腕に塗ってみました。泥はキメが粗く、枝の破片など不純物も混じっていましたので、全身に塗ることは躊躇われました。また、ただでさえぬるい泥を体に塗ると、たちまち熱が奪われて冷たくなってしまいました。多くのお客さんが利用すると想像される夏でしたら、きっとメンテナンスが行き届き、泥を塗ることによって爽快感も味わえるのでしょうね。


 
泥を体に塗った後は、その泥を洗い流さねばなりませんが、この施設でありがたいのは、シャワーに温泉が引かれていること。先日拙ブログで紹介しましたダルヤン泥温泉のシャワーは真水のみであり、冷たさを怺えながら泥を落としましたが、こちらではそんな辛抱なんて不要。柱に取り付けられているバルブを開けると温かいお湯が落とされますので、それで丁寧に泥を流し、その後は暖を取るため再び温泉プールに入りました。なおシャワーの吐出口には小さいながらもしっかり析出が付着していました。れっきとした温泉である証です。



温泉プールには誰もいなかったので、私は木陰でササッと水着に着替えてしまいましたが、このようにちゃんとした更衣室もありますから、良い子のみなさんが利用する際はここで着替えましょう。


GPS座標:N37.967613, E29.1027,


開門時間不明(私は深夜と早朝に訪れましたが、いずれも開門されており、温泉プールにはお湯がきちんと張られていました)

私の好み:★★+0.5
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

カラハユット温泉 スパ ヘラクレス サーマル ホテル 後編(朝の大浴場)

2015年01月12日 | トルコ
前編からの続きです。



朝食は朝7時から10時まで。ごく一般的なバッフェ式です。品数も味もまずまず。こちらのレストランは、日本のホテルで言うところの宴会場みたいな広さを擁しているのですが、シーズンオフでお客さんが多くないためかガランとしており、せっかくのキャパを持て余しているようでした。


●朝10時の温泉大浴場

この日はお昼すぎにデニズリ駅を発つトルコ国鉄のローカル列車に乗るつもりでしたので、ホテルを11時頃にチェックアウトしてデニズリ行のバスに乗れば、デニズリでランチを食べても、余裕で列車に間に合います。そこでチェックアウトまでの間、大浴場で過ごすことにしました。
昨夜8時に利用した際には、営業時間内にもかかわらずお湯が抜かれて清掃作業が行われようとしていましたが、さすがに朝はなみなみとお湯が張られていましたから、心置きなく湯浴みがそうです。ガラスのドーム天井からは陽光が燦々と降り注ぎ、開いている箇所からは朝の冴えた空気も入り込んでいましたから、浴場内はとても明るくて清々しい環境でした。


 
浴場内には主浴槽の他、ぬるめの真湯ジャグジーが2つ、そして子供用の浅い温泉槽が1つ設けられています。後述するように主浴槽は意外と熱いので、熱めがお風呂苦手な方や、深いプールだと落ち着けない方は、こちらを利用するのも良いかも。


 
主浴槽は深さ1.3m程あり、濁って底の様子が目指できないので、手摺を握りながらステップで慎重に入ってゆきます。浴槽のお湯はエメラルドグリーンにクリームを溶かしたような色を呈して強く濁っており、ステップ表面などの槽内はベージュや赤茶色を帯びた石灰によって分厚くコーティングされていました。


 
温泉に含まれる炭酸カルシウムがミルフィーユのように少しずつ幾重にも層をなしながら、長年にわたって付着することにより、山のように大きくコンモリと盛り上がってしまったお湯の投入口。前編でも述べましたが、両側に立っている石膏像は、石灰華の肥大化に伴い、すっかり山に呑み込まれてしまっています。何度見ても圧巻だ…。
ところで、この浴場へ入室した時から、室内にはいわゆる塩素消毒の臭いが漂っており、当初は昨夜の清掃時に使った薬品の臭いが残っているのかと推測していたのですが、湯口を見たら何とカルキのタブレットがむき出しで置かれているではありませんか。道理で臭いはずです。


 
トラバーチンの表面には細かな鱗状の模様が形成されています。ご近所のパムッカレと同様に炭酸と石灰を多く含む温泉であるため、このような石灰華の盛り上がりが出来上がるわけですが、こちらのお湯は金気が多いために、赤茶けた色に染まるのでしょう。投入口に温度計を突っ込んだところ、49.8℃と表示されました。結構熱いでしょ。このお湯が加水無しで浴槽へ注がれているんです。


 
誰もいない朝の大浴場で入浴中の私。昨晩の清掃によってお湯が完全に張り替えられたため、お湯のコンディションは昨晩より向上しており、底に沈殿していた泥もきれいに浚渫されていました。湯船の温度は43.0℃でして、諸外国の皆さんにとっては結構熱めではないかと思われますが、純然たる日本人である私には丁度良く、塩素臭こそ残念でしたが、気持ち良く湯浴みさせていただきました。
お湯からは金気と土類感が伝わり、炭酸味もしっかり感じられます。わかりやすい重炭酸土類泉系のお湯です。この手のお湯は得てしてパワフルな温まりがあるのですが、こちらもやはり力強く温まり、43℃という温度も相俟って、気持ち良いのにすぐに逆上せてしまって長湯ができません。幸いプールサイドにはデッキチェアがたくさん並んでいますから、逆上せる度にデッキチェアで寝っ転がってクールダウンし、プールとの間を何度も行き来してしまいました。実力派のお湯です。なお消毒こそ行われていますが、加温加水循環は確認できませんでした。放流式の湯使いとなっているようです。



(上画像クリックで拡大)
浴場内には温泉分析表が掲示されており、その左側には、湯面に浮かんでいる白いものは湯の華ですよ、という旨の説明も付されていました。こうした説明書きは日本の温泉施設でもしばしば見られますが、お湯に浮かぶ湯の華をゴミや不純物と誤解する人は、世界中どこにでもいるのでしょう。
なおこの温泉分析表の内容を分かる範囲で抄出しますと、以下のようになりました。日本の温泉法に即した泉質名ですと、カルシウム・マグネシウム-炭酸水素塩・硫酸塩温泉といった感じでしょうか。1994年の分析ですので、ちょっと古いのですが、おそらく現在でも大差ないものと思われますので、ご参考まで。
pH6.46, Na+:12.995mg, Ca++:521.040mg, Mg++:133.716mg, Cl-:31.240mg, SO4--:774.740mg, HCO3-:1256.600mg, H2SiO3:46.800mg,



デニズリからカラハユット行ミニバスに乗車し、カラハユットのロータリーで下車、徒歩2分弱
Fatih Mahallesi Belediye Caddesi 118 Sok No12 Karahayit Pamukkale
GPS座標:N37.959967, E29.106773,


ホームページ(英語版)

大浴場(Thermal Pool)7:00~22:30
日帰り入浴可能(料金は調査し忘れ)

私の好み:★★
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする