※今回記事も温泉には触れません。
前回記事の続編です。
●日南駅
前回記事の新埔駅から区間車(日本の普通列車に相当)に乗って次に訪れたのは、新埔から3つ目の日南駅です。日南といっても宮崎県ではなく、駅前から鵜戸神宮行のバスが出ているわけでもありません。台湾の台中市大甲区にある日南駅です。板橋・松山・岡山など、台湾には日本の鉄道と同名の駅がたくさんありますが、日南駅もそのひとつです。
区間車が日南駅に到着しました。前回記事の新埔駅は跨線橋で駅舎へと渡りましたが、この駅ではアンダーパスで駅舎へ向かいます。以前は構内踏切で線路を渡っていたのかもしれませんが、山線より本数が少ないものの、自強号(特急)や莒光号(急行)が高速で通過しますので、安全のために構内踏切は廃止されたのでしょう。
アンダーパスで線路を潜った先には、日本統治時代からの駅舎が構えており、その軒先で駅員さんが集札のために降車客を待っていました。絵になる長閑な風景です。
ゲートの脇には小さなお盆が括り付けられているのですが、これは駅員さんが不在の時に使用済みの切符を入れるためのものでしょう。
日南駅舎の外観は新埔駅と似ており、木造平屋建ての切妻屋根に、サンバイザーみたいな小さな庇がオデコを囲っていますが、その庇のため入母屋造のようにも見えます。各駅で同じような造りの駅舎が建てられたということは、当時の標準的なモデルだったのでしょう。この駅舎は1922年(大正11年)に竣工して以来、今日に至るまで長年にわたって海線を行き来する列車や乗客を見守り続けており、その歴史的価値が認められて、現在では台中市の史跡に指定されているんだそうです。
駅舎内の白壁は漆喰かな。待合室に入って天井を見上げると、真ん丸い牛目窓から室内に光が降り注いでいました。
2015年における1日あたりの平均乗車客数は295人。駅には有人窓口があり、駅員さんが端末で切符を発売しています。なお窓口の左には立派なモニターが設置されているのですが、これは列車の案内するものではなく、駅付近のバス停から発着する路線バスの時刻案内です。
この日南駅は、駅舎が歴史的であるばかりではありません。現在の台鉄では珍しくなった昔ながらの硬券を発券している駅として、台湾の鉄ちゃんには有名なんだそうです。窓口の内側には硬券に日付を入れるダッチングマシーンが置かれており、この存在こそ硬券を現役で取り扱っている証です。ただし硬券は新たに印刷しておらず、在庫がある券だけの販売となっています。窓口内のデスクには硬券の在庫表があり、その中から任意のものを購入することができるので、私も在庫の中から4種類(各1枚ずつ)購入しました。購入の際には駅員さんが券に日付を入れてくれるのですが、その前に硬紙で試し打ちをしており、日本の駅と全く同じ光景が見られたことにちょっと感激しちゃいました。
まずは片道切符2種類。日本の鉄道で言うところのA型硬券と同じサイズです。左は普通・快車用で田中駅まで。右は復興号もしくは電車(区間車)用で中壢駅まで。それぞれ表と裏をスキャンしました。裏面の画像で1250番は田中まで、0373番は中壢までの切符です。「乗車秩序 先下後上」というマナー標語がいい味出していますね。
つづいて往復切符2種類。画面編集の都合上、片道券の画像より小さく写っていますが、日本でいうD型硬券と同じサイズであり、片道券よりも大きなものです。左は復興号用の員林駅まで往復(裏面の番号は0195)。右は普通・快車用の彰化駅まで往復(裏面の番号は7529)。こちらもそれぞれ表と裏をスキャンしました。往路用には「去」、復路用には「回」と券面に赤く印字されており、往路使用後に切り離せるよう、上下のちょうど真ん中にミシン線が入っています。
今回購入した4枚はどれも端っこが変色しており、結構古い在庫であることが窺えます。特に復興号に関しては、現在この駅に停車していないどころか、縦貫線(西部幹線)からも廃止されてしまいましたから、私のような蒐集目的の人間が購入しなければ、世に出ることはないでしょうね。
硬券はあくまで購入を希望するマニアックな人向けに売っているものであり、通常の発券では端末を使っています。しかも自動券売機がないので、たとえ隣の駅までの少額な切符でも窓口で買い求めます。私が次の目的地である追分駅までの券を窓口で買い求めたところ、前回記事の新埔駅と同じく、駅員のおじさんは老眼の目を細めてモニターを見つめ、マウスの音をやけに大きく響かせながら端末を操作していました。でも乗客の多くはICカードを持っており、この駅のゲートにも簡易型の読取機が設置されていますから、切符を買って利用する乗客はそれほど多くないようです。かく言う私もICカードは持っているのですが、どうしても駅員さんが発券する姿を見たかったため、ここでは敢えて現金できっぷを購入しました。
駅からちょっと離れてみましょう。駅前広場には「米倉駅站」という文字が埋め込まれていたのですが、この広場はかつて米穀の積み込み場や倉庫があったということなのかな。
また広場にはご当地オリジナルの体操を図で解説したものが掲示されており、歴史ある日南駅にちなんで「火車快飛」なる体操が紹介されていました。イラストから想像するに、SLの動輪の動き、そして煙突からシュポーと上がる煙をイメージしているのかと思われます。
上述の「米倉駅站」に関連しているのか、駅前広場には荷物を運ぶトロッコのレプリカが置かれていたのですが、残念ながら線路にガッチリと固定されており、微動だにしませんでした。ちょっとでも動かせたら面白いのになぁ…。
駅前広場から数十メートル進んだ先で南北に延びている幹線道路は「台1線」。沿道はちょこっとした商店街を形成していました。典型的な台湾の田舎町です。商店街の中にあるセブンイレブンでおやつとドリンク類を買い込んでから、駅に戻って再び区間車に乗り込みます。
●追分駅
つづいて訪れたのは追分駅です。日本にも秋田県と北海道など数ヶ所に同名の駅があり、秋田県では奥羽本線と男鹿線を、北海道では室蘭本線と石勝線をそれぞれ追い分けていますが、やはり台湾の追分駅も本線格の海線と支線格の成追線という二つの路線を追い分けている分岐点です。日本統治時代に開業した駅なのでこのような駅名となったわけですが、現地にゆかりのある固有名詞ならともかく、追分という抽象的で動詞的な日本語がそのまま台湾の駅名としていまだに残っているのですから、ちょっと不思議です。
さて、この駅を通過する多くは本線格である海線の列車であり、竹南方面(北の方)から南下してきた列車は、追分を通過した後に彰化へと向かいます。そして彰化で山線と合流して以降は西部幹線として高雄方面へと向かい、台中には行きません。でも私が日南駅から乗り込んだ区間車は台中行です。どういうことかと言えば・・・
上述したように追分駅では2つ路線が分岐しており、1本は彰化方面の海線ですが、もう1本の路線である成追線はショートカットして台中方面へと線路を連絡させています。
ホームの先(南側)で右側へ分岐するのは彰化・高雄方面の海線、そして直進しているのは成追線です。成追線は次の成功駅で山線と合流しており、そのまま山線を進めば大都市台中へと行くことができます。1日に9本ほど分岐を直進して成追線へ入る列車があり、私が乗った列車はその中の1本だったんですね。海線の列車でこの追分から台中に向かおうとすると、一旦彰化まで南下してから、北行の山線に乗り換える必要がありますが、成追線経由の列車はショートカットして台中へ直通してくれるので、その手間が省けます。つまりここでは、追分・成功・彰化(※)の3駅を三角形の頂点とするデルタ配線ができあがっているわけですね。
(※)厳密に言えば彰化の北側にある大肚渓南信号場が、海線と山線の合流地点です。
屁理屈をひと通り述べたところで、ホームから駅舎へと向かいましょう。この駅は構内踏切で線路を横断します。新埔駅や日南駅では、立体的に線路を渡っていましたが、2路線が分岐・合流するこの駅を通過する列車はことごとく低速運転になりますから、構内踏切のままでも問題ないと判断されたのでしょうか。
線路側の駅舎側面には大きく駅名が表示されており、その2文字の間に牛目窓が覗いていました。この駅舎も日本統治時代の1922年に建てられた木造駅舎であり、歴史的建造物として台中市の古跡に指定されています。
きちんと刈り込まれた駅舎周りの植木を見ていると、駅員さん達の優しさが伝わってきました。
駅舎の構造は日南駅と似通っているのですが、こちらの方が若干大きく、特に待合室は広く確保されていました。この駅には自動券売機のほか有人窓口もあり、端末で発券する各種きっぷを購入することができるのですが・・・
追分駅といえば、追分駅から成功駅までの硬券が、鉄道ファンのみならず一般の台湾人にも有名です。
追分、つまり人生の分岐点から成功へと向かう切符が縁起物として珍重されているわけですね。
上画像はその追分→成功の片道きっぷです。表裏両面をスキャンしました。なお裏面のスタンプは私が捺したものです。
こちらは追分〜成功の往復きっぷです。こちらも表裏をスキャンしております。せっかく分岐点(追分)から成功へとたどり着けたのに、成功から振り出しの分岐点へと戻って来ちゃうのですから、験を担ぐことにはならないのかもしれませんが、台湾の方はどのように捉えているのでしょうか。
待合室には記念スタンプがたくさん用意されており、その多くが縁起の良い文言なのですが、多くの観光客によって数え切れないほど捺され続けてきたのか、どのスタンプも擦り減っていて、丁寧に捺してもボンヤリとした印影になってしまいました。これらのスタンプは、私が幸薄いことを暗示しているのでしょうか。
戦前からの古い木造駅舎、そして縁起物の切符という取り合わせによって、いまやちょっとした観光スポットになっている追分駅。出入口付近には記念撮影用のパネルが用意されていました。でも2015年の1日平均乗車客数は673人であり、本来の姿である旅客駅としても立派に機能しています。待合室内に飾られた風景画は、電車を降りたお客さんがホームを歩いて駅舎へと向かう様子を描いたものですが、お客さんの足音が聞こえてきそうなこの風景画は、追分駅の本業が観光スポットではなく鉄道駅なんだと主張しているようでした。
駅舎の正面側。中華民国旗を除けば、日本の田舎によくある駅舎そのものですが、出入口の枠など随所に中華的な飾り付けがなされており、細かいところで台湾風にローカライズされていました。
この後、私は台中市街へ行きたかったのですが、台中方面へショートカットする成追線の列車は1日9本しかなく、またこの時は彰化経由でも乗り継ぎが良くなかったため、列車での移動は諦め、駅前通りから路線バスに乗って台中市街へと向かったのでした。台鉄も運行本数を増やしたりダイヤを改善したりと頑張っているのですが、正直申しますと、市内移動でしたら、本数が多くて路線網も細かい路線バスの方が便利だったりします。
前回および今回で海線の歴史ある駅舎を巡ってまいりましたが、次回からは廃止された旧山線に残されている台湾の鉄道史跡を訪ねます。
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前回記事の続編です。
●日南駅
前回記事の新埔駅から区間車(日本の普通列車に相当)に乗って次に訪れたのは、新埔から3つ目の日南駅です。日南といっても宮崎県ではなく、駅前から鵜戸神宮行のバスが出ているわけでもありません。台湾の台中市大甲区にある日南駅です。板橋・松山・岡山など、台湾には日本の鉄道と同名の駅がたくさんありますが、日南駅もそのひとつです。
区間車が日南駅に到着しました。前回記事の新埔駅は跨線橋で駅舎へと渡りましたが、この駅ではアンダーパスで駅舎へ向かいます。以前は構内踏切で線路を渡っていたのかもしれませんが、山線より本数が少ないものの、自強号(特急)や莒光号(急行)が高速で通過しますので、安全のために構内踏切は廃止されたのでしょう。
アンダーパスで線路を潜った先には、日本統治時代からの駅舎が構えており、その軒先で駅員さんが集札のために降車客を待っていました。絵になる長閑な風景です。
ゲートの脇には小さなお盆が括り付けられているのですが、これは駅員さんが不在の時に使用済みの切符を入れるためのものでしょう。
日南駅舎の外観は新埔駅と似ており、木造平屋建ての切妻屋根に、サンバイザーみたいな小さな庇がオデコを囲っていますが、その庇のため入母屋造のようにも見えます。各駅で同じような造りの駅舎が建てられたということは、当時の標準的なモデルだったのでしょう。この駅舎は1922年(大正11年)に竣工して以来、今日に至るまで長年にわたって海線を行き来する列車や乗客を見守り続けており、その歴史的価値が認められて、現在では台中市の史跡に指定されているんだそうです。
駅舎内の白壁は漆喰かな。待合室に入って天井を見上げると、真ん丸い牛目窓から室内に光が降り注いでいました。
2015年における1日あたりの平均乗車客数は295人。駅には有人窓口があり、駅員さんが端末で切符を発売しています。なお窓口の左には立派なモニターが設置されているのですが、これは列車の案内するものではなく、駅付近のバス停から発着する路線バスの時刻案内です。
この日南駅は、駅舎が歴史的であるばかりではありません。現在の台鉄では珍しくなった昔ながらの硬券を発券している駅として、台湾の鉄ちゃんには有名なんだそうです。窓口の内側には硬券に日付を入れるダッチングマシーンが置かれており、この存在こそ硬券を現役で取り扱っている証です。ただし硬券は新たに印刷しておらず、在庫がある券だけの販売となっています。窓口内のデスクには硬券の在庫表があり、その中から任意のものを購入することができるので、私も在庫の中から4種類(各1枚ずつ)購入しました。購入の際には駅員さんが券に日付を入れてくれるのですが、その前に硬紙で試し打ちをしており、日本の駅と全く同じ光景が見られたことにちょっと感激しちゃいました。
まずは片道切符2種類。日本の鉄道で言うところのA型硬券と同じサイズです。左は普通・快車用で田中駅まで。右は復興号もしくは電車(区間車)用で中壢駅まで。それぞれ表と裏をスキャンしました。裏面の画像で1250番は田中まで、0373番は中壢までの切符です。「乗車秩序 先下後上」というマナー標語がいい味出していますね。
つづいて往復切符2種類。画面編集の都合上、片道券の画像より小さく写っていますが、日本でいうD型硬券と同じサイズであり、片道券よりも大きなものです。左は復興号用の員林駅まで往復(裏面の番号は0195)。右は普通・快車用の彰化駅まで往復(裏面の番号は7529)。こちらもそれぞれ表と裏をスキャンしました。往路用には「去」、復路用には「回」と券面に赤く印字されており、往路使用後に切り離せるよう、上下のちょうど真ん中にミシン線が入っています。
今回購入した4枚はどれも端っこが変色しており、結構古い在庫であることが窺えます。特に復興号に関しては、現在この駅に停車していないどころか、縦貫線(西部幹線)からも廃止されてしまいましたから、私のような蒐集目的の人間が購入しなければ、世に出ることはないでしょうね。
硬券はあくまで購入を希望するマニアックな人向けに売っているものであり、通常の発券では端末を使っています。しかも自動券売機がないので、たとえ隣の駅までの少額な切符でも窓口で買い求めます。私が次の目的地である追分駅までの券を窓口で買い求めたところ、前回記事の新埔駅と同じく、駅員のおじさんは老眼の目を細めてモニターを見つめ、マウスの音をやけに大きく響かせながら端末を操作していました。でも乗客の多くはICカードを持っており、この駅のゲートにも簡易型の読取機が設置されていますから、切符を買って利用する乗客はそれほど多くないようです。かく言う私もICカードは持っているのですが、どうしても駅員さんが発券する姿を見たかったため、ここでは敢えて現金できっぷを購入しました。
駅からちょっと離れてみましょう。駅前広場には「米倉駅站」という文字が埋め込まれていたのですが、この広場はかつて米穀の積み込み場や倉庫があったということなのかな。
また広場にはご当地オリジナルの体操を図で解説したものが掲示されており、歴史ある日南駅にちなんで「火車快飛」なる体操が紹介されていました。イラストから想像するに、SLの動輪の動き、そして煙突からシュポーと上がる煙をイメージしているのかと思われます。
上述の「米倉駅站」に関連しているのか、駅前広場には荷物を運ぶトロッコのレプリカが置かれていたのですが、残念ながら線路にガッチリと固定されており、微動だにしませんでした。ちょっとでも動かせたら面白いのになぁ…。
駅前広場から数十メートル進んだ先で南北に延びている幹線道路は「台1線」。沿道はちょこっとした商店街を形成していました。典型的な台湾の田舎町です。商店街の中にあるセブンイレブンでおやつとドリンク類を買い込んでから、駅に戻って再び区間車に乗り込みます。
●追分駅
つづいて訪れたのは追分駅です。日本にも秋田県と北海道など数ヶ所に同名の駅があり、秋田県では奥羽本線と男鹿線を、北海道では室蘭本線と石勝線をそれぞれ追い分けていますが、やはり台湾の追分駅も本線格の海線と支線格の成追線という二つの路線を追い分けている分岐点です。日本統治時代に開業した駅なのでこのような駅名となったわけですが、現地にゆかりのある固有名詞ならともかく、追分という抽象的で動詞的な日本語がそのまま台湾の駅名としていまだに残っているのですから、ちょっと不思議です。
さて、この駅を通過する多くは本線格である海線の列車であり、竹南方面(北の方)から南下してきた列車は、追分を通過した後に彰化へと向かいます。そして彰化で山線と合流して以降は西部幹線として高雄方面へと向かい、台中には行きません。でも私が日南駅から乗り込んだ区間車は台中行です。どういうことかと言えば・・・
上述したように追分駅では2つ路線が分岐しており、1本は彰化方面の海線ですが、もう1本の路線である成追線はショートカットして台中方面へと線路を連絡させています。
ホームの先(南側)で右側へ分岐するのは彰化・高雄方面の海線、そして直進しているのは成追線です。成追線は次の成功駅で山線と合流しており、そのまま山線を進めば大都市台中へと行くことができます。1日に9本ほど分岐を直進して成追線へ入る列車があり、私が乗った列車はその中の1本だったんですね。海線の列車でこの追分から台中に向かおうとすると、一旦彰化まで南下してから、北行の山線に乗り換える必要がありますが、成追線経由の列車はショートカットして台中へ直通してくれるので、その手間が省けます。つまりここでは、追分・成功・彰化(※)の3駅を三角形の頂点とするデルタ配線ができあがっているわけですね。
(※)厳密に言えば彰化の北側にある大肚渓南信号場が、海線と山線の合流地点です。
屁理屈をひと通り述べたところで、ホームから駅舎へと向かいましょう。この駅は構内踏切で線路を横断します。新埔駅や日南駅では、立体的に線路を渡っていましたが、2路線が分岐・合流するこの駅を通過する列車はことごとく低速運転になりますから、構内踏切のままでも問題ないと判断されたのでしょうか。
線路側の駅舎側面には大きく駅名が表示されており、その2文字の間に牛目窓が覗いていました。この駅舎も日本統治時代の1922年に建てられた木造駅舎であり、歴史的建造物として台中市の古跡に指定されています。
きちんと刈り込まれた駅舎周りの植木を見ていると、駅員さん達の優しさが伝わってきました。
駅舎の構造は日南駅と似通っているのですが、こちらの方が若干大きく、特に待合室は広く確保されていました。この駅には自動券売機のほか有人窓口もあり、端末で発券する各種きっぷを購入することができるのですが・・・
追分駅といえば、追分駅から成功駅までの硬券が、鉄道ファンのみならず一般の台湾人にも有名です。
追分、つまり人生の分岐点から成功へと向かう切符が縁起物として珍重されているわけですね。
上画像はその追分→成功の片道きっぷです。表裏両面をスキャンしました。なお裏面のスタンプは私が捺したものです。
こちらは追分〜成功の往復きっぷです。こちらも表裏をスキャンしております。せっかく分岐点(追分)から成功へとたどり着けたのに、成功から振り出しの分岐点へと戻って来ちゃうのですから、験を担ぐことにはならないのかもしれませんが、台湾の方はどのように捉えているのでしょうか。
待合室には記念スタンプがたくさん用意されており、その多くが縁起の良い文言なのですが、多くの観光客によって数え切れないほど捺され続けてきたのか、どのスタンプも擦り減っていて、丁寧に捺してもボンヤリとした印影になってしまいました。これらのスタンプは、私が幸薄いことを暗示しているのでしょうか。
戦前からの古い木造駅舎、そして縁起物の切符という取り合わせによって、いまやちょっとした観光スポットになっている追分駅。出入口付近には記念撮影用のパネルが用意されていました。でも2015年の1日平均乗車客数は673人であり、本来の姿である旅客駅としても立派に機能しています。待合室内に飾られた風景画は、電車を降りたお客さんがホームを歩いて駅舎へと向かう様子を描いたものですが、お客さんの足音が聞こえてきそうなこの風景画は、追分駅の本業が観光スポットではなく鉄道駅なんだと主張しているようでした。
駅舎の正面側。中華民国旗を除けば、日本の田舎によくある駅舎そのものですが、出入口の枠など随所に中華的な飾り付けがなされており、細かいところで台湾風にローカライズされていました。
この後、私は台中市街へ行きたかったのですが、台中方面へショートカットする成追線の列車は1日9本しかなく、またこの時は彰化経由でも乗り継ぎが良くなかったため、列車での移動は諦め、駅前通りから路線バスに乗って台中市街へと向かったのでした。台鉄も運行本数を増やしたりダイヤを改善したりと頑張っているのですが、正直申しますと、市内移動でしたら、本数が多くて路線網も細かい路線バスの方が便利だったりします。
前回および今回で海線の歴史ある駅舎を巡ってまいりましたが、次回からは廃止された旧山線に残されている台湾の鉄道史跡を訪ねます。
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