温泉逍遥

思いつきで巡った各地の温泉(主に日帰り温泉)を写真と共に紹介します。取り上げるのは原則的に源泉掛け流しの温泉です。

台鉄・海線に残る日本統治時代の駅舎を訪問 その2・日南駅と追分駅

2016年07月23日 | 台湾
※今回記事も温泉には触れません。
前回記事の続編です。

●日南駅
前回記事の新埔駅から区間車(日本の普通列車に相当)に乗って次に訪れたのは、新埔から3つ目の日南駅です。日南といっても宮崎県ではなく、駅前から鵜戸神宮行のバスが出ているわけでもありません。台湾の台中市大甲区にある日南駅です。板橋・松山・岡山など、台湾には日本の鉄道と同名の駅がたくさんありますが、日南駅もそのひとつです。


 
区間車が日南駅に到着しました。前回記事の新埔駅は跨線橋で駅舎へと渡りましたが、この駅ではアンダーパスで駅舎へ向かいます。以前は構内踏切で線路を渡っていたのかもしれませんが、山線より本数が少ないものの、自強号(特急)や莒光号(急行)が高速で通過しますので、安全のために構内踏切は廃止されたのでしょう。



アンダーパスで線路を潜った先には、日本統治時代からの駅舎が構えており、その軒先で駅員さんが集札のために降車客を待っていました。絵になる長閑な風景です。


 
ゲートの脇には小さなお盆が括り付けられているのですが、これは駅員さんが不在の時に使用済みの切符を入れるためのものでしょう。


 
日南駅舎の外観は新埔駅と似ており、木造平屋建ての切妻屋根に、サンバイザーみたいな小さな庇がオデコを囲っていますが、その庇のため入母屋造のようにも見えます。各駅で同じような造りの駅舎が建てられたということは、当時の標準的なモデルだったのでしょう。この駅舎は1922年(大正11年)に竣工して以来、今日に至るまで長年にわたって海線を行き来する列車や乗客を見守り続けており、その歴史的価値が認められて、現在では台中市の史跡に指定されているんだそうです。


 
駅舎内の白壁は漆喰かな。待合室に入って天井を見上げると、真ん丸い牛目窓から室内に光が降り注いでいました。


 
2015年における1日あたりの平均乗車客数は295人。駅には有人窓口があり、駅員さんが端末で切符を発売しています。なお窓口の左には立派なモニターが設置されているのですが、これは列車の案内するものではなく、駅付近のバス停から発着する路線バスの時刻案内です。
この日南駅は、駅舎が歴史的であるばかりではありません。現在の台鉄では珍しくなった昔ながらの硬券を発券している駅として、台湾の鉄ちゃんには有名なんだそうです。窓口の内側には硬券に日付を入れるダッチングマシーンが置かれており、この存在こそ硬券を現役で取り扱っている証です。ただし硬券は新たに印刷しておらず、在庫がある券だけの販売となっています。窓口内のデスクには硬券の在庫表があり、その中から任意のものを購入することができるので、私も在庫の中から4種類(各1枚ずつ)購入しました。購入の際には駅員さんが券に日付を入れてくれるのですが、その前に硬紙で試し打ちをしており、日本の駅と全く同じ光景が見られたことにちょっと感激しちゃいました。


 
まずは片道切符2種類。日本の鉄道で言うところのA型硬券と同じサイズです。左は普通・快車用で田中駅まで。右は復興号もしくは電車(区間車)用で中壢駅まで。それぞれ表と裏をスキャンしました。裏面の画像で1250番は田中まで、0373番は中壢までの切符です。「乗車秩序 先下後上」というマナー標語がいい味出していますね。


 
つづいて往復切符2種類。画面編集の都合上、片道券の画像より小さく写っていますが、日本でいうD型硬券と同じサイズであり、片道券よりも大きなものです。左は復興号用の員林駅まで往復(裏面の番号は0195)。右は普通・快車用の彰化駅まで往復(裏面の番号は7529)。こちらもそれぞれ表と裏をスキャンしました。往路用には「去」、復路用には「回」と券面に赤く印字されており、往路使用後に切り離せるよう、上下のちょうど真ん中にミシン線が入っています。
今回購入した4枚はどれも端っこが変色しており、結構古い在庫であることが窺えます。特に復興号に関しては、現在この駅に停車していないどころか、縦貫線(西部幹線)からも廃止されてしまいましたから、私のような蒐集目的の人間が購入しなければ、世に出ることはないでしょうね。



硬券はあくまで購入を希望するマニアックな人向けに売っているものであり、通常の発券では端末を使っています。しかも自動券売機がないので、たとえ隣の駅までの少額な切符でも窓口で買い求めます。私が次の目的地である追分駅までの券を窓口で買い求めたところ、前回記事の新埔駅と同じく、駅員のおじさんは老眼の目を細めてモニターを見つめ、マウスの音をやけに大きく響かせながら端末を操作していました。でも乗客の多くはICカードを持っており、この駅のゲートにも簡易型の読取機が設置されていますから、切符を買って利用する乗客はそれほど多くないようです。かく言う私もICカードは持っているのですが、どうしても駅員さんが発券する姿を見たかったため、ここでは敢えて現金できっぷを購入しました。


 
駅からちょっと離れてみましょう。駅前広場には「米倉駅站」という文字が埋め込まれていたのですが、この広場はかつて米穀の積み込み場や倉庫があったということなのかな。
また広場にはご当地オリジナルの体操を図で解説したものが掲示されており、歴史ある日南駅にちなんで「火車快飛」なる体操が紹介されていました。イラストから想像するに、SLの動輪の動き、そして煙突からシュポーと上がる煙をイメージしているのかと思われます。


 
上述の「米倉駅站」に関連しているのか、駅前広場には荷物を運ぶトロッコのレプリカが置かれていたのですが、残念ながら線路にガッチリと固定されており、微動だにしませんでした。ちょっとでも動かせたら面白いのになぁ…。


 
駅前広場から数十メートル進んだ先で南北に延びている幹線道路は「台1線」。沿道はちょこっとした商店街を形成していました。典型的な台湾の田舎町です。商店街の中にあるセブンイレブンでおやつとドリンク類を買い込んでから、駅に戻って再び区間車に乗り込みます。


●追分駅
 
つづいて訪れたのは追分駅です。日本にも秋田県と北海道など数ヶ所に同名の駅があり、秋田県では奥羽本線と男鹿線を、北海道では室蘭本線と石勝線をそれぞれ追い分けていますが、やはり台湾の追分駅も本線格の海線と支線格の成追線という二つの路線を追い分けている分岐点です。日本統治時代に開業した駅なのでこのような駅名となったわけですが、現地にゆかりのある固有名詞ならともかく、追分という抽象的で動詞的な日本語がそのまま台湾の駅名としていまだに残っているのですから、ちょっと不思議です。
さて、この駅を通過する多くは本線格である海線の列車であり、竹南方面(北の方)から南下してきた列車は、追分を通過した後に彰化へと向かいます。そして彰化で山線と合流して以降は西部幹線として高雄方面へと向かい、台中には行きません。でも私が日南駅から乗り込んだ区間車は台中行です。どういうことかと言えば・・・


 

上述したように追分駅では2つ路線が分岐しており、1本は彰化方面の海線ですが、もう1本の路線である成追線はショートカットして台中方面へと線路を連絡させています。
ホームの先(南側)で右側へ分岐するのは彰化・高雄方面の海線、そして直進しているのは成追線です。成追線は次の成功駅で山線と合流しており、そのまま山線を進めば大都市台中へと行くことができます。1日に9本ほど分岐を直進して成追線へ入る列車があり、私が乗った列車はその中の1本だったんですね。海線の列車でこの追分から台中に向かおうとすると、一旦彰化まで南下してから、北行の山線に乗り換える必要がありますが、成追線経由の列車はショートカットして台中へ直通してくれるので、その手間が省けます。つまりここでは、追分・成功・彰化(※)の3駅を三角形の頂点とするデルタ配線ができあがっているわけですね。
(※)厳密に言えば彰化の北側にある大肚渓南信号場が、海線と山線の合流地点です。


 
屁理屈をひと通り述べたところで、ホームから駅舎へと向かいましょう。この駅は構内踏切で線路を横断します。新埔駅や日南駅では、立体的に線路を渡っていましたが、2路線が分岐・合流するこの駅を通過する列車はことごとく低速運転になりますから、構内踏切のままでも問題ないと判断されたのでしょうか。
線路側の駅舎側面には大きく駅名が表示されており、その2文字の間に牛目窓が覗いていました。この駅舎も日本統治時代の1922年に建てられた木造駅舎であり、歴史的建造物として台中市の古跡に指定されています。
きちんと刈り込まれた駅舎周りの植木を見ていると、駅員さん達の優しさが伝わってきました。


 
駅舎の構造は日南駅と似通っているのですが、こちらの方が若干大きく、特に待合室は広く確保されていました。この駅には自動券売機のほか有人窓口もあり、端末で発券する各種きっぷを購入することができるのですが・・・


 
追分駅といえば、追分駅から成功駅までの硬券が、鉄道ファンのみならず一般の台湾人にも有名です。
追分、つまり人生の分岐点から成功へと向かう切符が縁起物として珍重されているわけですね。
上画像はその追分→成功の片道きっぷです。表裏両面をスキャンしました。なお裏面のスタンプは私が捺したものです。


 
こちらは追分〜成功の往復きっぷです。こちらも表裏をスキャンしております。せっかく分岐点(追分)から成功へとたどり着けたのに、成功から振り出しの分岐点へと戻って来ちゃうのですから、験を担ぐことにはならないのかもしれませんが、台湾の方はどのように捉えているのでしょうか。



待合室には記念スタンプがたくさん用意されており、その多くが縁起の良い文言なのですが、多くの観光客によって数え切れないほど捺され続けてきたのか、どのスタンプも擦り減っていて、丁寧に捺してもボンヤリとした印影になってしまいました。これらのスタンプは、私が幸薄いことを暗示しているのでしょうか。


  
戦前からの古い木造駅舎、そして縁起物の切符という取り合わせによって、いまやちょっとした観光スポットになっている追分駅。出入口付近には記念撮影用のパネルが用意されていました。でも2015年の1日平均乗車客数は673人であり、本来の姿である旅客駅としても立派に機能しています。待合室内に飾られた風景画は、電車を降りたお客さんがホームを歩いて駅舎へと向かう様子を描いたものですが、お客さんの足音が聞こえてきそうなこの風景画は、追分駅の本業が観光スポットではなく鉄道駅なんだと主張しているようでした。


 
駅舎の正面側。中華民国旗を除けば、日本の田舎によくある駅舎そのものですが、出入口の枠など随所に中華的な飾り付けがなされており、細かいところで台湾風にローカライズされていました。


 
この後、私は台中市街へ行きたかったのですが、台中方面へショートカットする成追線の列車は1日9本しかなく、またこの時は彰化経由でも乗り継ぎが良くなかったため、列車での移動は諦め、駅前通りから路線バスに乗って台中市街へと向かったのでした。台鉄も運行本数を増やしたりダイヤを改善したりと頑張っているのですが、正直申しますと、市内移動でしたら、本数が多くて路線網も細かい路線バスの方が便利だったりします。

前回および今回で海線の歴史ある駅舎を巡ってまいりましたが、次回からは廃止された旧山線に残されている台湾の鉄道史跡を訪ねます。

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台鉄・海線に残る日本統治時代の駅舎を訪問 その1・新埔駅と謎の私設公園「秋茂園」

2016年07月22日 | 台湾
※今回の記事にも温泉は登場しません。あしからず。

前回に引き続き台湾で鉄道旅をしたときの記録を綴らせていただきます。
台湾の西部を南北に貫く西部幹線(縦貫線)は、(北から南下すると)途中の竹南で海線と山線に分岐し、彰化駅で両線が合流して高雄方面へと伸びています。大都市である台中を通過する山線は旅客数も運行本数も多いのですが、海線の沿線は人口が少ないために実質的にローカル線と化しており、これといった大きな駅が無ければ運行本数もさほど多くありません。しかしながら、その需要の少なさが幸いして昔ながらのストラクチャが随所に残されており、駅舎に関しては、日本統治時代に建設された木造駅舎が、談文・大山・新埔・日南・追分の5駅で現役です。2016年3月に台湾を旅した際、その中から新埔・日南・追分の各駅を訪ねてみることにしました。



●新埔駅
 
1時間に1本程度のペースで運転される区間車(日本の普通列車に相当)に乗って新埔駅へ。


 
2面3線のホームから跨線橋を渡って駅舎へ向かいます。上の画像では曇った空と同化してわかりにくいのですが、跨線橋の上から西の方を眺めると、駅舎の100メートルほど先に台湾海峡が広がっていました。西部幹線で最も海に近い駅なんだそうです。


 
いかにも古そうな駅舎の屋根を見下ろしながら、跨線橋のステップを下ってゆきます。屋根瓦はコンクリ製ですが、元々はちゃんとした焼き物を使っていたのでしょうか。屋根下の丸い牛目窓は、大正から昭和初期に建てられた日本的な洋館によく見られる特徴のひとつですね。


 
ゲートを通過して駅舎内へ。戦前からある古い駅舎ですが、ちゃんとICカード乗車券に対応しており、出入口にはICカードの読取機が設置されていました。


 
1919年(大正8年)に竣工して以来使われ続けているこの小さな平屋の駅舎を眺めていると、日本各地のローカル線などに現存する戦前の駅舎とほとんど同じ佇まいであり、明らかに台湾風(あるいは中華風)ではありません。後背に立つ跨線橋を取っ払えば、昭和の日本をモデルにした映画やドラマの撮影ができそうな気がします。台湾旅行の醍醐味の一つが、海外でありながら昔日の日本の光景や文化を体感できること。昔の面影を残す新埔駅と対峙していると、大正時代にタイムスリップしたかのようであり、瞬間的に台湾にいることを忘れそうになります。綺麗に刈り込まれている駅舎前の植え込みを見ますと、この駅舎がいかに地元や関係者の方から愛されているかがよく伝わって、日本人の一人として嬉しく思いました。


 
2015年における新埔駅の1日平均乗車客数は69人なんだとか。日本でその程度の駅でしたら確実に無人化されちゃいますが、国営の鉄道だからか、この駅には有人窓口があり、ちゃんと切符を販売しています。実際にこの窓口で次の目的地である日南駅までの切符を求めますと、駅員のおじさんは老眼の目をショボショボさせながら端末の画面を確認し、ややぎこちない動きでマウスをポチポチと押して発券してくれました。なお昔ながらの硬券は用意されていないようです。


 
せっかくですので駅周辺を散策してみましょう。駅前には「海辺」と記された看板が立っていますので、それに従って歩いて行くと、数十メートルで路傍に駅員おじさんの人形が立っています。この人形の傍に立つ標識は、民家脇の路地を指し示しており、たしかにそのへ進めばすぐに海岸へと出られそうなのですが、一見すると廃屋に見えるその民家から生活の匂いが漂っており、本当にこの路地を歩いてよいものかという不安が、私の足を早歩きにさせます。何かあっては面倒なので、ささっとその民家脇を通って進むと・・・


 
すぐに海岸へと出られました。コンクリで頑丈に護岸された海岸は遊歩道になっていて、一定間隔おきに東屋も建てられており、散歩している人の姿もみられます。堤防の海側は石敷きになっており、波打ち際にはテトラポットが設置されていました。できれば海縁まで下りたかったのですが、テトラポットの下までしっかり波が届いていたので、残念ですが堤防の上で台湾海峡を眺めることに。


 
堤防に腰掛けて海を眺めながら、持参したコンビニ弁当を開けてお昼ご飯です。なお駅の周りには商店などありませんので、私は区間車に乗る前に、コンビニであらかじめお弁当を買っておきました。男一人で岸壁に座りお弁当を頬張るだなんて、哀愁に満ちた侘しい行動のように思えますけど、海を眺めながら食事をすると、たかがコンビニ弁当でも結構おいしくいただけますから、虚しさを感じることなんて微塵もありません。


●秋茂園
この新埔駅から徒歩5分ほどのところに、何やら訳のわからない摩訶不思議な私設公園があるようなので、お弁当を食べ終わったところで立ち寄ってみることにしました。その公園の名前は「秋茂園」。


 
道路に面したゲート門柱には、キューピーの紛い物や天女と思しき像が立っていて、入場前から早くも摩訶不思議な独特の世界観を放っており、真面目な神経をお持ちの方でしたら、これを目にして腰が引けちゃうかもしれません。場外の駐車場前にもインチキなキューピーや桃太郎・金太郎などが飾られており、道を往来する通行に不敵な笑みを浮かべていました。この私設公園は一事が万事、全てこんな感じで訳のわかんないコンクリの像が林立しているのです。さて勇気を振り絞って、入園してみることに。


 
開園時間は8:00〜17:00で入場料は無料。この私設公園は在日台湾人だった黄秋茂氏が私財を擲って開いたらしく、ご自身の理想・哲学・世界観などを立体的なコンクリや樹脂の像にして園内に配置しています。黄先生は日本にいらっしゃったので、園内には中国語のほか日本語や日本にまつわる事柄も多くみられます。黄秋茂先生の発想力は、良く言えば迸るように豊かで博愛的なのですが、見方を変えれば雑多でまとまりがなく突拍子がない。しかも像のつくりが奇怪で、可愛いんだか不気味なんだかわからなく、日中なら普通に観察できますが、日没後には怖くてまともに直視できないかもしれません。
ゲートを入ると新宿2丁目のような不思議なメイクのキューピッドが出迎えてくれました。その近くには西遊記の孫悟空や三蔵法師、そして道教の八仙など、中華的な世界観があると思えば、その奥では大陸の配置がメチャクチャな地球儀の上に母を背負う男性の像が立っており、地球儀の脇で直立している儀仗兵の台座には「最高栄誉的義務」「誇り高き義務」という言葉が2ヶ国語で記されていました。そして、親孝行や兵役の重要さを訴えるそんな像の前で、酒呑童子のような子供2人が戯れており、前のガキがお尻を出してキン○マをぶら下げている姿を、後ろのガキが凝視していました。なぜケツの穴やキン⚪︎マを覗かなきゃいけないのか。これを通じて黄先生は何を訴えたいのか、早くも私の頭は混乱してきました。子供の頃のノスタルジーを3D化しているのかもしれませんが、もう訳わかんない。幼い子供達がバカな戯れに興じていられるのも平和のお陰、そして母の慈愛のおかげという意味なのでしょうか。



黄先生の発想は中華圏や日本だけでなく世界中を駆け巡ります。ウェスタンスタイルのカウボーイがいると思えば、そのそばでキリンやラクダがキスをしていました。キン⚪︎マといいキスといい、像の不気味さもさることながら、ところどころでジトっと湿った下ネタが盛り込まれている点も、この公園のB級色をより濃くしています。



犬に囲まれながら立ちションをしている角川春樹似のトッチャン坊や(容貌が妙に老けている)の台座には、男たるものの生き様が2ヶ国語で箇条書きされていました。先生曰く「男なら嬉しい時は腹をはって笑おう、男なら悲しい時は思い切り涙を流そうよ(中略)男なら寂しい時は星空を仰ごう」とのこと。永六輔の作詞で似たような歌があったような気がしますが、それはさておき、この言葉を見る限り、黄先生はセンチメンタルなお方のようです。
一方、後ろにまわると今度は女バージョンが旧仮名遣いで記されており、曰く「女なら嬉しい時は明るくほほえみませう、女なら悲しい時は涙でほほを濡らしませう(中略)女なら寂しい時は花に語りかけませう」と、男に比べれば静的な感情表現に抑えられていました。先生は淑やかでおとなしい母性豊かな女性が理想なのでしょうね。



園内の道には日本的な石灯籠が建てられているのですが、その台座は中華的な鮮やかな色合いのペンキで塗られていました。日本でこんな塗装は見られませんよね。台湾と日本が折衷していることがわかります。
上述の「男なら 女なら」の近くには「私の心」と題する碑文も建てられており、これによれば黄先生は、恩に着せず信義を重んじ、代償を期待せず、ひたすら仁愛を施し、人類社会に互恵精神を広めて、この楽園で心を安らぎ、健康長寿を祈る、神様のお恵みに感謝を捧げます、とのこと。このスピリッツこそ「秋茂園」の根底に流れるメンタリティなのであります。



公園の南端には大きな東屋があるのですが、その柱にも黄先生のメッセージが記されていました。たとえば「貴様と俺こそ我が友よ」という軍歌「同期の桜」の冒頭を思わせる台詞があるかと思えば、「ムチつよくとも打つ心」と昔ながらの教育論もあり、まるで戦前にタイムスリップしたかのようなこれらの文言を見ていたら、戦後生まれの軟弱な私は、この屋根の下でゆっくり休める気がしなくなっちゃいました。台湾の田舎を旅していると、日本の保守論壇も真っ青の、強烈な保守的発想をお持ちでいらっしゃる、戦前教育を受けた日本語世代のお年寄りにお会いすることがありますが、黄先生もそのようなお爺様だったのでしょうか。


 
海岸に沿って南北に長い園内の海側には、孫文、観音様、聖母マリア、そしてキリストといったように、様々な神様や偉人を祀ったお堂が並んでいます。そして北端の奥には大きな観音塚も設けられていました。洋の東西や宗教の如何を問わず、神仏や神格化されている人物なら何でも崇め奉っちゃう黄先生の発想は博愛そのもの。宗教対立やナショナリズムの台頭など、世界各地で内向きで不寛容な社会観が広がりつつある今日、秋茂園の哲学は見直されて然るべきなのかもしれません。

園内には多くの像があり、とてもこのブログでは全てを紹介しきれないので、その中から一部をピックアップさせていただきました。いや、現地でも数点見るだけで十分お腹がいっぱい。胃がもたれてしまいそうです。博愛を学びつつも、夢に現れそうな奇怪な像と微妙な下ネタに頭が混乱した私は、園内を一週したところで退園して冷静さを取り戻し、駅に戻って再び区間車に乗って、次なる目的地である日南駅へと向かったのでした。


次回記事に続く
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台湾旧型客車の旅、再び。南廻線3671次普快車・台東行 後編

2016年07月21日 | 台湾
前回記事の続編です。


 
全長8070mの中央トンネルで台湾の脊梁をくぐり抜け、太平洋側の古荘駅に停車です。
かつての日本でもSLが現役だった頃は、トンネルへ入る前にみんな一斉に窓を閉めて、煙が車内に入り込むのを防いだものですが、この列車の牽引はSLではなくDL(ディーゼル機関車)であるとはいえ、排気ガスがトンネル内にこもって後方の客車側へ流れてくることに変わりありません。しかもトンネル内はものすごい轟音ですので、窓を開けっ放しにしていると、排ガスと騒音のダブルパンチに見舞われます。このため、山越えの長いトンネルが続くこのあたりでは、みなさん窓を閉めて大人しくやりすごしていました。



古荘を出発してトンネルをくぐると、今度は太平洋の大海原が車窓に広がります。
車両こそ40~50年選手のベテランですが、地形が険しく過疎地でもある地域を貫くこの南廻線は、建設開始が1980年、全線開通が1992年と新しい路線であるため、連続する山や谷、川などをトンネルや高架で次々にクリアし、険しい地形にもかかわらず急な勾配やカーブがありません。このため、車両こそノスタルジーたっぷりですが、列車の走り方や線路設備にローカル線風情は感じられず、高雄と台東を結ぶ路線にふさわしい高規格な線路を、各列車が快走してゆきます。


 
南シナ海側を走っていたときには、空はまだ明るさを保っていたのですが、山を越えて太平洋側に来ると、海原の上には重たそうな雲が垂れ込め、窓から吹き込む風もいまにも雨が降ってきそうな湿り気を帯びていました。 



「台湾旧型客車の旅 南廻線 普快車3671次・台東行 最後尾の景色 」(7分55秒)
大武を出発してから次の瀧渓まで、開けっ放しの最後尾に立って、動画を撮り続けてみました。
大武を出た列車はいきなりトンネルに入りますが、暗闇から抜けると進行方向右手(動画では左手)に太平洋の大海原が広がります。この海岸線に沿って走る風光明媚な車窓は、南廻線の大きな魅力のひとつであり、ほとんどの車両がハメ殺しの窓になった現在の台鉄で、窓を開けて潮風を感じながら乗車できる列車は、この旧型客車を使っている普快車一往復だけです。



「台湾旧型客車の旅 南廻線 普快車3671次・台東行 海側座席の車窓」(6分02秒)
つづいての動画は、瀧渓から次の金崙まで、シートに座って車窓を撮影したものです。途中(3分50秒)で真っ赤な柵を通過しますが、これは昨年拙ブログで紹介した台湾で最も美しい駅「多納駅」跡です。


 
金崙渓の橋梁を渡ると、まもなく温泉地である金崙駅です。
線路の海側では新しい道路の工事中。反対の山側には、以前このブログでも取り上げた金崙温泉の宿が川に沿って点在しています。



12:35に金崙駅到着。時刻表によればこの駅で10分弱停車するらしく、おそらくその間に対向列車の行き違いた優等列車の通過待ちなどを行うのでしょうけど、ダイヤに若干の乱れがあったらしく、この駅ではすぐに発車しました。さすが台湾南部を東西に結ぶ大動脈だけあって、多くの駅で交換待ちなどが行われるのですが、長距離列車が走る路線でもあるため遅れの影響を受けやすく、通常ダイヤとは異なる交換待ちや通過待ちがしきりに行われていたようでした。JR以降の日本の在来線では、コスト削減のため駅設備を必要最小限にする傾向がありますが、国鉄である台鉄の路線は余裕のある設備を有しており、それゆえフレキシブルな対応が可能なのでしょう。



列車はさらに北上を続けます。線路の脇で穂を揺らすススキを眺め・・・


 
車窓にちょっとした市街地がひろがりはじめたら、まもなく太麻里。


 
数年前に電化されたばかりの知本で10分停車。団体客はここで下車していったので、この後はおそらく温泉へと向かったのでしょう。
電化によって知本以北(台東・花蓮方面)は電車が韋駄天走りするようになりましたが、この列車が走ってきた知本以南も電化が予定されており、電化工事が完成すれば台湾を一周する鉄道から非電化区間が消えることになりますから、その頃にはこの古い車両の普快車はもちろんのこと、高雄~台東間を行き来しているディーゼルカーの特急(自強号)も姿を消すことになるのでしょうね。
台湾の鉄道に日本の昭和の面影を追い求める旅行者も多いわけですが、そんな旅の楽しみ方も、徐々に難しくなるのかもしれません。


 
ダイヤとは違うイレギュラーな行き違いなどがあったにもかかわらず、ダイヤと1分も違うことなく、定刻の13:27に台東駅へ到着しました。
向こうのホームには白いボディに赤いラインが鮮やかな台鉄の新顔「普悠瑪(プユマ)列車」がとまっており、私は次にこの列車へ乗り換えるのですが、お手洗いやお弁当の購入などがあるので、一旦改札の外へ出ました。台東駅前は相変わらずガランとしていました。


 
さて、弁当の購入など用件をひと通り済ませたところで、14:00発自強425次「普悠瑪列車」樹林行に乗車です。


 
綺麗で空調の効いた車内は、さきほどまで乗っていた旧型客車とは雲泥の差。白い車内に配置された赤とグレーのシートが目に鮮やかです。


 
「普悠瑪列車」にあてがわれるTEMU2000形電車は、台鉄の最新鋭かつ花形列車。日本の愛知県にある日本車輌で製造されました。
そういえば台東まで乗ってきた普快車の3両の旧型客車も全て日本製でしたね。台鉄の最古参と最新鋭を乗り継ぐ旅は、くしくも日本で製造した車両に乗り継ぐ旅でもあったのでした。車端部には荷物置き場があるので、大きなバッグを抱えた旅行客でも便利です。


 
シートの座り心地はちょっと硬めかな。枕の位置は上下に調整することが可能。背面の物入れ、ドリンクホルダー、フットレストなどは台鉄標準の装備ですが、意外にも日本の鉄道で当たり前の背面テーブルは、この「普悠瑪列車」が台鉄初登場かもしれません。



ちなみにこれがチケットです。「普悠瑪列車」は週末を中心に満席が続出するらしいので、念の為にインターネット予約で購入しておいたのですが、私が乗ったのは平日でしたから、実際には予約を要するほど混雑していませんでした。とはいえ、途中の花蓮から多くの客が乗り込んで席が埋まっていきましたので、区間によっては予約しておいた方が良いのかもしれませんね。
台東駅を出発して間もなく、駅構内で買った駅弁を頬張って空腹を満たしたのですが、体内の血液が消化器系に集まった上、乗り心地の良さも相まって、いつの間にやら睡魔に襲われてしまい、宜蘭までほとんどの区間で爆睡してしまい、情けない哉、車内で過ごした記憶がほとんどありません。


 
雨粒が窓をバチバチと打ちつける音で目を覚ますと、まもなく宜蘭駅に到着しました。時刻は定刻の16:58。高雄を9:35に出たわけですから、7時間半も列車に乗りっぱなし。乗り継ぎ方を選べばもっと早く到達できたはずですが、今回は旅情を最優先したため、このような到着時間となりました。旅行ではお金を惜しまない贅沢も良いのですが、時間を浪費するのも立派な贅沢。今回は時間の贅沢を堪能させてもらいました。



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台湾旧型客車の旅、再び。南廻線3671次普快車・台東行 前編

2016年07月20日 | 台湾
※今回記事から数回連続で温泉とは無関係の内容が続きます。あしからず。

約半年前(2016年初頭)のこと。台湾にいた私は、南部の大都市である高雄から北東部の宜蘭県方面へ1日のうちに移動したく、どのような移動方法をとるべきかいろいろと考えてみました。鉄道で移動する場合は、新幹線で台北まで行き、そこから在来線の特急に乗り換える時計回りのルートが最速でたどり着ける方法なのですが、それではちっとも面白くない。その逆となる反時計回りですと、南廻線と東部幹線を乗り継いで、台東経由でぐるっと台湾島を半周することになり、この場合も特急列車を乗り継ぐのが一般的ですが、やはりそれではつまらない。そこで思い浮かんだのが、数年前に一度乗ったことのある南廻線の普快車(普通列車)です。以前に拙ブログで紹介しましたが(当時の記事はこちら)、南廻線の枋寮〜台東では、いまや台湾唯一となってしまった旧型客車による普通列車が1往復だけ運行されています。鉄道ファンのみならず、台湾を旅した方々によってたくさん紹介されているため、すっかり有名な列車となり、既にご存知の方も多いかと存じますが、前回私は台東から枋寮へ乗ったので、今回は逆方向となる枋寮から台東へ乗車し、再び汽車旅情を味わおうと考えるに至ったのです。

※以下、時刻や列車番号などダイヤに関わるデータは2016年1月時点のものです。



まずは高雄駅9:35発の自強号(台東行)に乗って枋寮駅で下車。数年来ない間に枋寮の駅舎は改装されたらしく、以前訪問時に駅舎の屋根上でロータリーを睥睨していた蒋介石像は、いつの間にやら撤去されてしまったようです。


 
駅の窓口で台東まで普快車の切符を購入して改札の中へ。


 
改札上の電光掲示板には、これから乗る3671次列車の番号や行き先等が表示されており、その向こうに見えるホームには、すでに青い客車が入線していました。なお昨年(2015年)10月のダイヤ改正まで次の加祿駅で通過待ちしていた莒光751次に関しては、現ダイヤではこの枋寮駅で先行させ、莒光751次が出発した後に普快車が出発するという合理的なダイヤに変更されています(右or下の画像は枋寮を出発した莒光751次)。


 
3671次列車はディーゼル機関車が3両の旧型客車を牽引しており、この組み合わせ自体は4年前に乗車した台東発枋寮行の3672次と同じですが、4年前は中間の1両がインド製だったのに対し、今回は3両全てが日本製の客車という編成でした。3両編成の具体的な車番は前からSPK32609 - SP32578 - SPK32717 であり、中国語版Wikipediaによれば(詳細はこちら)、これらの車両は1968年(昭和43年)から1970年(昭和45年)にかけて、新潟鉄工・近畿車輛・富士重工・帝国車輌の4社によって製造されたんだとか。


 
3両編成のうち真ん中の車両は騒がしい団体客が乗り込んできたので、私は最後尾の車両(SPK32717)へ乗車しました。ベコベコに波打っている外板が、車齢の高さを物語っています。その団体はおそらく大陸からの観光客かと思われ、この列車も遂にツアーに組み込まれるほど有名になったのかと、驚き半分感慨半分で団体の姿を遠巻きに見ていたのですが、その後、蔡英文政権発足に伴って台湾を訪れる大陸の観光客はかなり減っているそうですから、今は再び以前のような静けさを取り戻しているのかもしれません。
ちなみに私が乗った3両目は、いかにも鉄っちゃんらしき風情の男性が数名のほか、ごく普通の行楽客が数組。全て合わせても10人程度で、全ての乗客が窓側進行方向の席に座ったとしても、まだ席に余裕がありそうなほどガランとしていました。


 
日本の国鉄車両がモデルになっているため、至るところが日本国鉄の旧型客車にそっくり。昭和40年代へタイムスリップしたかのようです。台湾にいながら昭和の面影を味わうことができる点は、私のような日本人の鉄道ファンや観光客を呼び寄せる大きな魅力のひとつです。
車両に乗り込むドアは手動で、矢印の方向にノブを回し押して開けます(「推」は押すという意味)。走行中でも施錠されないので、開けっ放しで走ることもしばしば。昭和の頃の日本でもドアを開けっ放しにして走る列車はたくさん運転されていましたが、現在日本国内でこの手の車両が現役で走っているのは大井川鉄道だけ(JR東日本のSL水上号などで使用される旧型客車は、改造されて自動開閉装置が装着されています)。


 
ホームに面したドアのみならず、最後尾の貫通路も開けっ放し。万一線路に落ちたら自己責任。この開けっ放しの貫通路前に立つと、ちょっとスリリングですけど、風を感じられてとっても気持ち良いんです。


 
昔ながらの客車ですから車内に冷房なんてありません。天井で一列に並ぶ扇風機がグルグル回って乗客に風を送り続けます。なお扇風機のON/OFFスイッチは車内の窓枠に埋め込まれていますから、乗客が任意で操作できます(いまでも日本のローカル線では同様の車両が走っていますよね)。
扇風機と一緒に天井で並ぶスピーカーの形状なんて、日本の国鉄車両そのもの。


 
南国を走るのに冷房がないため、多くの乗客は窓を全開にしていました。特にこの列車は風光明媚な海岸線を走るので、走行中に窓から入り込んでくる風がとても気持ちよく、それゆえほとんどのお客さんは海側(この列車の場合は進行方向右側)に座っていました。
とは言うものの、冷房がまだ普及していないときには、鉄道車両の完全冷房化を希い、いざ完全普及して当たり前になると、今度は非冷房の車両に旅情を求めてしまうのですから、人間は実に勝手なものです。


 
座席はビニルクロスですが、多少傾いていてクッション性があるためか、決して座り心地は悪くなく、しかもちゃんと回転できるのが素晴らしい。
同時代の日本で走っていた普通列車用の国鉄車両は、向かい合わせに固定された直角シートですから、それに比べればはるかに上等です。


 
11:00ちょうどにベルが鳴り、機関車に牽引された3両の青い客車は、枋寮駅をのっそりと発車。


 
枋寮を出て次の加祿駅へ向かうと、車窓と南シナ海との距離が徐々に近くなり、やがて海岸線に沿って走るようになります。線路と海岸の間には養殖池とおぼしき池が連続していました。



上述したように最後部の貫通路は開けっ放しですので、せっかくですから通路の前に立って、スリリング且つ爽快な風を感じてみることにしました。小田急ロマンスカーなど前面展望を売りにしている列車も良いのですが、こうしてガラスなどの隔たりが一切無い最後尾で、列車の風を全身に受けながら、山の緑と海原の青を目にし、後方へどんどん去って行く線路を眺めているのも、なかなか乙なものです。


 
車窓から臨む南シナ海の海岸線は南へと果てしなく続いていました。この砂浜をひたすら行けば恒春へたどり着くはずです。



台湾最南端の駅である枋山に差し掛かる頃から、線路は真東へ方角を変え、深い山の中へと突入します。


 
枋野信号所で5分停車。秘境と称すべき山奥ですが、制服を着た信号掛のおじさんが勤務しており、赤いフライ旗を持って合図を出していました。また、信号所ですからホームはありませんが、一応駅のような機能も有しているらしく、台鉄のオンライン時刻表で調べると、この信号所の発着時間がちゃんと表示されます。この時も無線機を持ったおじさんが乗り込んできました。駅の係員なのでしょうね。

この後、列車は全長8070メートルの中央トンネルを潜って、南シナ海側から太平洋側へ一気に移ります。

後編に続く。
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さわんど温泉 梓湖畔の湯

2016年07月19日 | 長野県

信州屈指の観光地である上高地は一般車進入禁止であるため、マイカーで訪れる観光客は、国道158号沿いにある拠点から路線バスでアクセスすることになりますが、松本側の代表な拠点である沢渡(さわんど)には民間駐車場やバス乗り場の他、食堂やお土産屋に併設された温泉浴場もあって、観光シーズンには多くのお客さんで賑わいます。今回は当地にある施設の中でも露天風呂を擁する「梓湖畔の湯」で立ち寄り入浴してまいりました。こちらは「さわんど大橋駐車場」を兼業しており、駐車場を利用したお客さんは割引料金で温泉に入れるんだそうです。
館内の受付で料金を直接支払い、浴場へと向かいました。


 
お風呂は川を臨む気持ちの良いロケーション。窓からは梓川の流れを眺めることができました。木材と黒い石材を取り入れた内湯は和風のシックな佇まいで、窓側に浴槽が据えられ、反対側に洗い場が配置されています。洗い場に取り付けられているシャワー付きカランは4基で、吐出されるお湯はおそらく真湯かと思われます。ただ、国道沿いという便利な立地であり、上高地観光の拠点でもあるため、私が訪れた平日の午後ですら全てのシャワーが埋まっていましたから、週末などの混雑ピーク時にはカラン4基だけで数が足りるかちょっと心配です。


 
浴槽は台形を歪ませたような形状をしており、4人サイズかと推測されます。槽内は石板貼りで、縁には木材が用いられています。湯口からは42℃前後のお湯がそこそこ多めに注がれており、湯船を満たしたお湯は床にしっかりと刻まれた溝へ流下していました。館内表示によれば加水した上での放流式とのことですが、その表記に偽りは無いようです。


 
露天風呂は川を見下ろす細長いテラスのような造りになっており、川と反対側に立ちはだかる建物や目隠しの塀、そして頭上を覆うアクリル波板が少々の圧迫感をもたらしていますが、川側は手摺り以外に視界を遮るものがないので見晴らし良好です。またお風呂を覆うアクリル波板も透明な素材であるため暗くなく、しっかりとした照度が確保されていました。
手摺り下の眺めが良い場所に設けられた浴槽は平行四辺形のような形状で、石やコンクリによって作られており、浴槽内は青っぽい石材が敷き詰められていますが、入浴客と接する手前側の長辺だけ木材が用いられています。


 
露天風呂からの景色はなかなか。
眼下では、沢渡大橋をくぐった梓川が大きく彎曲しながらゆっくり流れており、浅くて広い瀬が下流へ向かって伸びています。浴場名には「梓湖畔」と銘打たれていますが、この彎曲した広い瀬は、奈川渡ダムによって堰き止められた人造湖「梓湖」の最上流部に当たり、ギリギリのところで辛うじて湖畔と名乗れるような場所なんですね。私が訪れた時にはダムの水位が低かったため、湖らしい景色は見られませんでしたが、それでも露天風呂が高い位置にあるため眺めがよく、山の緑と清流を俯瞰しながらの湯浴みはとても爽快でした。


 
お湯は無色透明で、弱いツルスベ浴感があり、湯中では白く細かな湯の華がたくさん浮遊しています。ほとんど無味無臭に近いのですが、砂消しゴムのようなイオウ感が僅かに感じられました。湯の華が多い割にはいまひとつ掴みどころに欠けるお湯ですが、クセが少なく優しいフィーリングなので、万人受けするお湯であるとも言えそうです。なお、さわんど温泉という温泉名は当地の地名を冠していますが、実際には先日拙ブログで紹介した中の湯温泉の旧敷地で湧く2つの源泉をここまで引いており、この浴場を含むさわんど温泉エリアの各施設でシェアし合っています。引湯される量が多いのか、内湯・露天風呂ともに放流式の湯使いになっており、加水の具合もちょうど良く、入りやすい湯加減が保たれていましたが、私個人の感覚で申し上げれば内湯の方がお湯の状態が良かったように感じられました。

場所柄、入浴料は観光地設定ですが、眺めがよくお湯も放流式ですから、下山後や観光帰りの汗を流すにはちょうど良いでしょうね。


中の湯1号井と2号井の混合泉
単純温泉 74.1℃ pH8.1 溶存物質715.8mg/kg 成分総計715.8mg/kg
Na+:135.6mg(78.41mval%), Ca++:14.7mg(9.70mval%),
Cl-:138.7mg(51.33mval%), HS-:0.5mg, S2O3--:0.1mg, SO4--:53.6mg(14.70mval%), HCO3-:149.5mg(32.17mval%),
H2SiO3:187.7mg, H2S:0.04mg,
(平成21年10月20日)
加水あり(源泉温度が高いため)
加温循環消毒なし

長野県松本市安曇4519-14  地図
0263-93-2380
ホームページ

平日11:00〜19:00、土日祝10:00〜20:00
720円
(沢渡大橋駐車場発行の駐車券提示で100円引、他にも割引あり。公式サイトでご確認ください)
ロッカー(100円リターン式)・シャンプー類・ドライヤーあり

私の好み:★★
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