かつて耶馬渓では大分交通耶馬渓線という鉄道が走っており、日豊本線の中津から乗り換えた旅客を沿線の観光地まで運んでいたんだそうですが、モータリゼーションなど諸々の理由により昭和40年代半ばに廃止されてしまったんだとか。廃止から40年以上経った今でも、一部区間では線路敷の跡が残っており、実際に私が訪れたところ(上画像)では、廃線跡がサイクリングロードとして転用されていました。ゆるやかなカーブと勾配がいかにも線路らしいですね。
私が訪れたのは2016年の初夏。廃線跡のまわりに広がる水田は、代掻きを済ませて水を静かに張っており、来るべき田植えの時を待っていました。そして代掻きを終えたトラクターのタイヤが、界隈の道路にたくさんの泥を落としていました。
今回はちょっとした目的があって当地を訪れたのでした。地元の方に了承を得た上で、まずは集会所の前にレンタカーを駐車します。
オタマジャクシが元気に泳ぎ回る水を湛えた田んぼの向こう側では、水面とほぼ同じ高さに、材木で葺いた小屋の屋根が姿を覗かせていますが、この屋根の下にある施設こそ今回の目的地です。田んぼの前にある民家のご主人に挨拶をして、私が目的とする行為の許可を求めたところ、「どうぞゆっくり入っていってください」と笑顔で対応してくださいました。玄関前から伸びる畦道を歩いてその小屋へと向かいます。
私がこのブログで取り上げる目的地といえば、当然温泉に決まっていますよね。プリミティブなこの小屋は、一部の温泉マニアによく知られている共同浴場。出入口の奥には五右衛門風呂が3つ据えられており・・・
石組みのお風呂の下には立派な釜が設けられているのですが、どうやら過去に火の不始末などの問題があったらしく、現在五右衛門風呂は使用が取り止められており、どのお風呂も空っぽになっていました。
さて、これら五右衛門風呂からさらに奥へ進むと、仕切り壁の向こう側に立派なお風呂がお湯を湛えていました。
一見するとコンクリ浴槽の上に東屋上の屋根を載せただけという、吹きさらしの質素なお風呂ですが、足元は風情ある石板敷きで、れっきとした目隠しの衝立も設置され、脱衣スペースにはちゃんとした棚も取り付けられていました。また電気は引かれていませんが、夜でも湯浴みできるよう、柱には燭台が括り付けられていました。
奥には石仏が祀られ、穏やかな面持ちで温泉を見守っていました。この質素な温泉は仏様のご加護のみならず、保健所からもちゃんと許可を得ている、れっきとした公共浴場なのであります。
円筒型の石塔から塩ビのパイプが突き出ており、クリアに澄み切ったぬる湯が絶え間なく落とされていました。そしてお湯の流路では白い湯の花がユラユラと流れに身を委ねていました。浴槽はコンクリ造のシンプルなものですが、小屋の質素さに反して容量はかなり大きく、しかも槽内は黒光りしており、その光沢がお湯の清らかさをより際立たせていました。
湯口の温度は30.8℃なので、典型的な夏向けのぬる湯です。源泉温度が低いために、上述の五右衛門風呂が設けられたのでしょう。ちなみにpH値は8.34ですから、あともうちょっとで正真正銘のアルカリ性泉を名乗れますね。無色透明でクリアに澄み切ったこのぬる湯を口に含むと、チオ硫酸イオンの存在を思わせるような、芳醇で濃い茹で卵の卵黄みたい味や匂いが感じられます。
田んぼを後ろに背負う形で段々の傾斜地に建てられているこのお風呂は、川側に対して視界がとっても開放的。長閑な田園風景を眺め、せせらぎを耳にしながらの湯浴みは掛け値無しに最高です。私が湯船に浸かっていると、1匹のアマガエルが湯船にポチャンと入ってきたのですが、ぬる湯ですから茹で蛙になることはなく、私が手で掬って外へ逃がしてあげると、元気に川の方へ飛び跳ねていきました。
湯中ではウナギ湯の称号を捧げたくなるほどのヌルヌルを伴うツルツルスベスベが強く、湯中で左腕を擦ったら、あまりの滑らかさに右手がどこかへ飛んでいっちゃいそうになるほど大変滑らかでした。30℃というぬるいお湯なので、必然的に長湯してしまうのですが、目を瞑りながら時間を忘れてのんびり湯浴みしていると、いつの間にやら肌に気泡が付着していました。牧歌的な佇まい、閑静で麗しい環境、何らの手が加えられていないピュアなお湯・・・。あらゆる要素がブリリアントなお風呂でした。とりわけ、ぬる湯好きの方には堪らない一湯でしょう。
単純温泉 分析書掲示なし
場所の特定は控えさせていただきます。
備品類なし
私の好み:★★★