パパと呼ばないで

再婚した時、パパと呼ばないでくれと懇願した夫(←おとうさんと呼んで欲しい)を、娘(27)「おやじ」と呼ぶ。良かったのか?

読売新聞にもの申す!

2014年06月05日 | 本・マンガ・テレビ・映画
6月5日(木)

我が家は東京に越してきて以来ずっと朝日新聞だったのだが、箱根駅伝ベンチコート欲しさに妻が独断で半年間読売新聞に変更。
今、読みづらい読みづらいと文句を垂れながら(って、自分のせいだが)読売新聞を読んでいる。
おまけにこのベンチコートが、全く使えないヤツで、苛立ちを増長させている。
ドームの観戦チケットでも持ってきやがれってんだ!(・・・・・)

と、新聞ネタを書く度にこれは枕詞として出てきます。

で、今日言いたいのは・・・
ワタクシ、新聞好きを広言するわりには、決まったところしか読まない。
経済面なんて、ぴゅ~~~っと飛ばす。
朝日新聞だと、『天声人語』『朝日歌壇』『土曜be版』とか好き。
読売新聞の今は、しょうがないので『天声人語』的立ち位置の『編集手帳』を読んでいるが
3日の記事には「そりゃ違うだろ!」と言いたい。

内容としては、神奈川県のアパートで遺体で見つかった男の子理玖君(5歳)のことを書いている。
ホントに、『腹が立つ』という言葉では言い尽くせないほどの怒りをおぼえる事件だ。
この父親が食事をする時に、のどを通ったか?と責める文には、「うんうん、ホントそうだわ。おまえも飢え死にさせたろか!」と父親を罵りながら読む。
最後の段落を読み終えた瞬間「いや、そりゃ違うだろ。」
ちょっと書き出してみる。

     何年か前に『読売歌壇』で読み、書き留めた一首がある。
     <「お空からさがしてきめたパパとママ」告げる幼女の真顔に頷く>
     君もそうだったよな。理玖君。

いや、言わんとすることはわかる。
だから、選ばれたパパとママは責任もって育ててほしかったという意味もあるのだろう。
でも、でも、でも、やっぱり違うっ!!!
「子は親を選べない」とは良く聞く言葉。
今回の事件ではこの言葉が身に染みる。
「パパとママをさがして決めて生まれてきたんだよ」という言葉は、幸せな子供が言う言葉だ。
パパとママの間に生まれてきた良かった!って思える暮らしをしている子供が、子供の側から言う言葉だ。
そして、この言葉を言ってもらえた親は幸せだ。
こんな不幸な子が、こんな鬼のような親のところを選んで生まれてきただなんて。
そんな親を選んだんだと、この子のせいには絶対したくない。
浮かばれないにもほどがある。
と、怒り治まらず、娘にも読ませる。
娘も「きーーーーっ!ママっ!これは読売新聞を糾弾すべきだよっっ!」
ってことで、ここから世界に「読売新聞6月3日の編集手帳の最後の一文」はいかがなものか!ということを発信している次第。
コメント
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