パパと呼ばないで

再婚した時、パパと呼ばないでくれと懇願した夫(←おとうさんと呼んで欲しい)を、娘(27)「おやじ」と呼ぶ。良かったのか?

伴侶の死について

2019年01月06日 | Weblog
1月6日(日)晴れ
長かったような短かったようなお正月休みも今日まで。
怒涛の前半を終えた後は一歩も外へ出ない日を過ごし、最終日の昼間はだらだらテレビや録りためてた映画なぞを見て過ごす。
で、昼間は垂れ流しのテレビから「プロフェッショナル 仕事の流儀」の再放送。
「仏教界の革命児」と呼ばれている僧侶の回。
末期ガンの40代の男性からの相談。
彼自身は「死」というものをある程度受け入れる体勢になってきているが、妻はまだ受け入れられずにいる。
そりゃそうだ。まだ小さな子供達が3人もいるのだ。
図書館の司書だった彼は、子供達のために、壁全面の本棚にたくさんの本を並べる、妻と一緒に。
下の方は小さい頃に読む用の本、そして徐々に難しい本を上へ上へと。
途中いたるところに「はらぺこあおむし」の付箋のメッセージ。
葬儀はその部屋、その本棚の前に祭壇を作り、高橋僧侶が子供達にもわかるように般若心経の話やお別れの話をする。
奥様はちゃんと看取って、ちゃんと送れたからだろう、穏やかなお顔でお別れできてる気がして、なんかホッとした。

夜、早めに晩酌を切り上げてお風呂に入る。
上がると夫が「電話やらラインやら色々鳴ってたよ」
見ると・・・
高校友Yから、電話とラインとメールが入ってて、画面の文字でショックを受ける。
高校友のBちゃんのご主人が亡くなったと。
慌ててYに電話を入れる。
彼女も、別の友人Mさんから聞いた話なので詳しくはまだ何もわからないと。
わかってるのは、今日亡くなったということと、お通夜の日取りだけ。
どうしていいかわからなくて、誰に連絡すればいいかもわからなくて、とにかくnに連絡しようと思って!と言う。
Y曰く「秋くらいから、女子会に誘っても来なくなって、何かあったのか気にはしてたのよ」
そうなのだ。
ワタクシも、昨秋、帰省する時に、ずいぶん久しぶりにBちゃんに連絡してみた。
「今度帰省するんだけど、久しぶりにそちらに遊びに行こうかと思ってるの。会えないかな?」と。
すると、まだいつという日程も言ってないのに「ちょっとバタバタしてて無理なの」という、いつもの彼女らしからぬ返事に少し違和感は感じていたのだ。
しかし、自分も介護帰省の身。
年齢的に、親の介護だったり、自分の体にもガタがくる時期。
あまり深く追求することなく、まあ、次の帰省の折にまた連絡しようと軽く流してしまっていた。
激しく後悔する。
もう少し、しつこく聞き込んでもよかったかもしれない。
近くの人には言えない事も、遠くに住んでる人にはかえって話しやすいことあったかもしれないのに。
後悔先に立たずだが。

ラガーマンで、ガタイが良くて気のいい優しい人だったBちゃんの旦那さんKさんを思い出し
Bちゃんが、満足のいく看取りができていたらいいなあと思う。
今月末辺りに帰省する予定だが、その時、福岡の友人宅経由で帰省する。
その友人は、10年ほど前にご主人を若くで亡くしている。
その時、どうやって乗り越えたか、周りの人間にどうして欲しかったかなどを聞いてみたい。
自分が病気持ちなので、自分の死についてはよく考えてきたが、夫のことは深く考えたことなかったような気がする。
糸井さんのツイートから幡野さんという写真家の方を知り、癌患者とその家族、関わり方、安楽死等々考えさせられる。
いや、まだほんの入り口で、いや、少しまだ逃げ腰なのだ。
彼のテレビも、録画したまままだ見られないでいる。
54歳のワタクシ、我が夫は今月59歳になる。
親の介護に気を取られる年齢ではあるが、こうして伴侶の死を迎える友人とか増えてくるんだ。
今、またYからラインがきたりして、二人して後悔の嵐。
今頃Bちゃんが泣いてるだろうと思うと泣けてくる。
コメント
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