パパと呼ばないで

再婚した時、パパと呼ばないでくれと懇願した夫(←おとうさんと呼んで欲しい)を、娘(27)「おやじ」と呼ぶ。良かったのか?

愚痴には愚痴を

2019年01月27日 | Weblog
1月27日(日)晴れ

年が明けて1週間ほど経った頃だったか、実家の母から電話が来る。
父は入院しており、ワタクシは東京で義弟達をお迎えしてのお正月だったので、母は一人の年越しだった。
同じ市内に住む兄は相変わらず寄り付かないようだ。
母は少し風邪気味だったりで体調がイマイチだったこともあり、気弱になっていたのだろう。
珍しく、泣かんばかりの口調でこれからのことを憂う。
いかん!このままでは延々と愚痴を聞かされてしまう。もう誰の愚痴も聞かないと心に決めたワタクシがとった手段は・・・
愚痴には愚痴を!

愚痴る母の口を封じる勢いで、年始の義弟達をおもてなししたのに夫からねぎらいの一言もなかった話を延々とする。
いや、普段は「それぞれの親兄弟には相手を褒めちぎるべし」というのがワタクシのポリシー。
だから、必要以上に(?)我が実家のみならず我が親族では、夫の評価は素晴らしいのだ。
ワタクシが必要以上に(しつこい)褒めちぎっているから。
しかし、ここは、夫よ許せ!苦肉の策だったのだから。

愚痴を言う人は、慰めてもらいたい気持ちがあるだろうが、一方で、人も同じくらい心に愚痴やら不満やらがあって欲しいと思っている、
だから、幸せいっぱい夢いっぱいの人には愚痴らないものだ。
そんな人からは「同情」しか返ってこないから。
「哀れみ」すら感じられて自分が惨めになるだけだから。

見事に策は成功し、話の後半になると母は笑いさえこぼし、ワタクシに同情する。
間に、自分の若い頃の話などを差し込む余裕も出てきたりして。
そして最後には母親らしく「Mさん(我が夫)くらい優しい人はいないよ。少し言葉が足りないところがあったかもしれないけど。」と、ワタクシをなだめすかし、夫を褒めちぎり、機嫌よく電話を切る。
思わずガッツポーズの娘。

ワタクシは、基本ヘラヘラしている(本人はニコニコしているつもり)
そのせいか愚痴やら悩みやら相談される。
まあまあ真面目に聞いてあげる方だと思うし、「よそ様の不幸は蜜の味」的なこともちょっとあって面白がってしまうこともある。
しかし、ワタクシが常日頃「天才」と慕う従姉から「愚痴」を聞くことのマイナス面を教示されて以来、気をつけようと思っている。
確かに、面白い愚痴ならいくらでも聞ける。愚痴なんだか惚気なんだかって話もまあまあ好きだし。
でも、「面白くない愚痴」「滅入る愚痴」「解決策を聞きたいとか前進したいとか思ってるわけではない相談」というのもある。
この黒愚痴を語らせたら右に出る者はいないのが以前の同僚N田センセ。
歯科医の夫に、某有名国立女子大出の一人娘と三人暮らし、義両親の面倒を見ることもなくもうすでに他界され、自分の両親の介護もしないし、何の問題もなく裕福に暮らしている奥様というのが世間の「彼女の評価」だろう。
が、この10年間、その都度その都度、様々な愚痴を聞かされてきた。
ご主人のこと、娘さんのこと、お父様のこと、お母様のこと、職場のこと、身体のこと・・・
ワタクシ、愚痴を聞くのも上手なので(・・・)自分ちも少し寄せた感じにしながら「あなただけじゃないよ〜
うちもそうよ〜」
しかし、何が腹立つって、彼女は自分の愚痴を語る時はエライ剣幕なのに、ワタクシの話を聞く時はあくびを噛み殺しながら聞いている。
まあ、そういうワタクシも彼女の愚痴を聞きながら心の中で、「オタクに比べてうちの夫は優しいわ〜」「オタクに比べて、うちの娘はマヂいい子!」「最悪の親子関係だなあN田さんとお母様って。学費はケチっておきながら、老後の面倒見ろって言われりゃ、そりゃN田さんもぶちぎれるわね〜」「人が悪口を言ってる時の顔って醜いわ〜片方の口角だけ上がって」とか思ってたのでなかなかの性悪ではある。
でも、仕事を辞めて、今度こそ彼女とも縁が切れた。
もう、ワタクシの周りに黒愚痴を言う人はいない。
おもろい愚痴なら大歓迎だが、悪い「気」を引き込むような愚痴は、自分も言わない、人のも聞かない。
これが今年最初に誓ったことでありました。

今日の一枚は・・・
愚痴を言いたくなったら、夜廻り猫を読みながらさっさと寝ましょ!
コメント
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