前日の晩、コケてひねった足首は腫れあがり、寝る前にはすっかり歩けなくなって、けんけんで部屋の中を
移動して回る有様だったので、もう明日の旅順行きは諦めなければならないかもしれない・・
それはそれで、神の思し召し?と思って受け入れようと、心を決めた私だった。
しかし、やるだけのことはやってみようと、ネットで「足首の捻挫を一日で治す裏ワザ?」を検索。
「とにかく冷やし、足を高い位置に置き、痛くても足首を回せ」という情報を信じ、
冷凍庫で冷やした濡れたタオルで足首を冷やし続け、スーツケースをベッドの足元に置いて足を乗せ、
時々足首を回しながら寝た。
すると翌朝、奇跡が起こったのだ!
痛くてとても地面につけることができなかった足で立つことができた。
腫れも若干引いてるよう。歩くこともできた!
これは、いけるかも?!神様ありがとう!
具合が悪くなれば、一人別行動も考えて旅順行きを決行することに。
旅順は中国海軍の主要軍事基地になっているため外国人の立ち入りが禁止されていたが
2009年6月に外国人にも開放されたという。
最近できたという地下鉄を乗り継ぎ、やってきた。
しかし、地下鉄旅順駅は旧旅順駅や目的地と離れていて、中国に来て初めての強引なタクシーの客引きに会い、
メーターでなく、交渉でタクシーに乗るはめに。多少は値切ったが、メーターより明らかに高かった。
まずやって来たのは旧旅順工科大学。
旅順は古くからの軍都であると共に文教の街でもあったそうで、大陸でも有数の学園都市であったそう。
建物は1900年に建てられたロシア海兵団の施設が、旧旅順工科大学として使用され
現在は海軍四〇六病院として活用されている。
玄関ホールを入ると階段がまっすぐ続いている。
2階から3階への踊り場はアーチ窓が並び、天井にはシャンデリアが
その後、タクシーには別料金で旧旅順大和ホテルまで乗せてもらって、ここから歩きで回ることにした。
豪商の私邸を改装し、1908年に開業したという旅順大和ホテル。
大連大和ホテルに比べると、規模も小さく、外観も地味目。増築時に大きく改装されたとか。
現在軍の招待所となっているそうだけど、とても営業してる風には見えない雰囲気。
旅順大和ホテルの向かいにある建物は1916年以降は旧旅順師範学堂や旅順高等公学校など教育関係施設として使われていた建物で
ロシア統治時代の1901年の建築当初はアメリカ人向けの雑貨店として使用されていたそう。
現在は空き家状態みたい?!
文化街と呼ばれる通りの中央は緑化地帯になっててヨーロッパの香りが漂う。
持ち送りも凝った装飾が施されていた。
元はお店らしき建物が並んでいたけど、入口は閉ざされ閑散とした雰囲気。
突き当りには警察署の建物が。
古い建物をガラスで覆ったものもあって、ファサードの装飾部分だけが頭を覗かせていた。
この後、薬局を発見、テーピングを買うため薬局にいる間、皆には先に近くを散策してきてもらった。
薬局ではグーグル翻訳と身振り手振りを駆使して、足を捻ったから固定するためのテーピングが欲しい、
と訴えるも、湿布薬や包帯を持ってこられ、、店内を見回ったけど、旅順にはテーピングというものが存在しないようだった。
仕方なく伸縮包帯を購入し、Tさんにがっちり足を固定してもらった。
これでいくらか安心感を得ることができた。
この後、川島芳子が住んだという邸宅、旧粛親王邸を探すが、なかなか見つからず、
それもそのはず、なんとなくのデザインはそのままでそっくり建て替えられて新しいものになってた。
他にもやや古そうな住宅を何軒か見つけ
こちらのお宅には
玄関周りに布目状のタイルが貼られていた。
文化街にある旅順市長の邸宅だった建物。
その後、文化街にあった市場へ侵入。
野菜売り場にはショーウィンドウがあって野菜がきれいに整列している!
日本にはないディスプレイに驚いた。
美味しそうなパン屋さんもあって、
小腹が空いたので、おやつにいろいろ買ってみることに。
果物売り場も。
ここではマンゴーとドラゴンフルーツを購入。
意外ときれいな売り場に、来るまでは農薬まみれの危険な中国食材を想像していたけど
そんな印象は覆されてしまった。まあ農薬は目には見えないけど;
この後、緑地帯のベンチでみんなでおやつタイムした。
おやつ後、更に旅順町歩きは続く・・