松本では松本民芸家具が置かれた喫茶店、ホテル花月やまるもへ一度は行ってお茶したいな、と思っていたのだけど
残念ながらそんな時間がなく・・
中町通りにある松本民芸家具のショールームで、とても自分の手には届きそうにない家具をうっとり眺めるだけで我慢・・
その後安曇野へ行く前にぜひ行きたかった「松本民芸館」へ訪れた。
松本民芸館は中町通りで工芸店を営んでいた丸山太郎が柳宗悦の民芸運動に共感して、昭和37年に創館したもの。
立派な長屋門をくぐると緑に包まれた石畳のアプローチが続く。
雑木林の緑が心地いいお庭が広がる。
木々の間からかわいい道祖神もお出迎え。
企画展ではガラス展が開催されていて、涼しげなガラスの器をたくさん見ることができた。
色合いの美しい倉敷ガラス。
乳白色のガラスが味わい深いデザートカップ。
イランやスペインなどの外国のガラスも。
たっぷりとした厚手のガラスのカップたちも・・
200点以上あった色合いの美しいガラスの器にうっとり見入ってしまった。
「美しいものが美しい」との丸山太郎の直感を大切にした全国各地、海外からの収蔵品が並ぶ常設展示も堪能。
無名の職人の手仕事が感じられる器や箪笥、織物の数々
ルーマニアの絵皿
こちらは日本のもの、絵付けが軽妙でおもしろい・・
展示室となってる建物は築100年以上の造り酒屋を移築したもので重厚感たっぷり。
仙台の箪笥に力強い木彫のだるま。
二階の窓からはのどかな田園地帯がのぞめて、開け放たれた窓から通る風がそよそよ気持ちいい~
ぬくもりのある美しい家具に囲まれた居心地のいいリビングルームのような空間。
おなじ美意識の元集められたものであるからか
イギリスのウィンザーチェアをはじめ国内外の家具がしっくり調和を保っていて心地よい空間が味わえた。
こちらは松本の中町通りにある松本民芸館の創設者、丸山太郎が初代オーナーの「ちきりや工芸店」
なまこ壁が風情あるお店の外観。
国内外の素朴で美しい民芸品が並ぶ店内。
こちらは松本民芸家具のショールーム。
洋にも和にもアジア風にも合いそうなシックで美しい家具に釘付けになってしまった。
さすがに高価なものなのでなかなか手は出せないけど・・;
松本で宿泊したホテルから少し歩いた所にある銭湯「塩井之湯」
夜にはここの銭湯に入りに来て、翌朝あらためて見学にやって来た。
煉瓦造りの塀に囲まれた外観。
夜来た時には暗くてよく見えなかったがアールデコな雰囲気の装飾が見られた。
番号が書かれたなつかしい木製のロッカーの上には温泉の効能書きが。
明治時代に発見された天然のミネラル鉱泉だそうでさまざまな病気に効くのだとか。
更衣室の天井はこんな花模様。
漆喰?かと思いきや鉄板を型押ししたものだそうでオランダ製とのこと。
お湯はちょっと熱めのお湯とぬるめのお湯の二種類。
熱いのは苦手なのでぬるめのお湯にゆっくりつかった。
湯ざめをしないとの効能通り、ぽかぽか体がとても温まった。
塩井之湯の近くにあった「サルタ時計店」
旧開智学校の帰りに立ち寄った昭和33年建築の本聖十字教会。
教会へ行く途中に見つけたいい感じのクリーニング屋さん
飴色のタイルの上に緑の蔦が這う
ドライクリーニングの文字もモザイクタイル貼り。
手塚屋仏壇店は釣り鐘形の窓がいい感じ。
モダンな建物の松本地区タクシー協議会
松本城を模した店舗がインパクト大。
和菓子のお店かな?と思ったら書店だった。
川に囲まれ地下水が豊富な松本は町中にわき水があちこちで見られる。
ひんやり冷たいわき水は夏の散策には有難い。
大きな井戸がある所では現地の人たちもペットボトルを持って水を汲みに来ていた。
きれいな水がいつでも手に入るなんてうらやましい~
中町 蔵の井戸
町中でよく見かけたのはお店の入り口に飾ってあった七夕人形といわれるもの。
松本では七夕の前後にこんな人形を飾る風習があるのだとか。
松本のマンホールはは市の伝統民芸品、「松本手まり」をデザインしたもの
カラフルな色合いがかわいく、色違いもあって楽しかった。
先日、夏休みの親子議場見学会へ参加してきた。(息子は習い事だったので娘と三人で)
大阪市役所の中の議場や委員会室などを見学して、簡単な模擬委員会体験などをした。
こちらは本会議で決める前に細かい点まで話し合う委員会室。
ここで子ども民生保健委員会の模擬委員会を行った。
役割分担してあらかじめ決められたシナリオを子どもたちが読み合わせ。
こちらは議長公室。
主にお客さんを招いた時に使用されるお部屋で他の部屋に比べて豪華なシャンデリアが下がっていたり、
ゆったりとした家具調度品に囲まれたVIPルームらしいお部屋だった。
運営委員会室
特別委員会室
特別委員会室の窓から眺める景色。中之島図書館の屋根を見降ろせる。
普段はカーテンが引かれてるそう。
緑化された屋上へ。
みおつくしの鐘。
子どもたちが良い子に育ちますようにとの願いが込められた鐘だそうで、成人式の日に鳴らされる。
屋上の周りに通っているレールは窓掃除の為のクレーン用のレールだとか。
最後は本会議場へ。
さすがに立派な本会議場、席にはそれぞれ席番号と議員さんの名前の書いた札が設置されている。
ここでも代表の子たちが模擬本会議を体験。
約2時間の議場見学会、市会の役割や話し合いの仕方など、模擬体験などを通して
具体的に知ることができたいい機会だった。
松本には昔から飴屋さんが多く、江戸時代には数十軒のお店があったそう。
今も年に一度「飴市」というのが開かれている。
今回、「日本のお菓子」に載っていた「山屋御飴所」とあめせんべいに惹かれて「飯田屋」へ訪れた。
お店で、なぜ飴屋さんが多いのか聞いてみたところ、この辺りは乾燥していて気候風土的に湿気を嫌う
飴作りに適していたからでは?とのことだった。
山屋御飴所は創業は寛文12年。338年続いてきた老舗の飴屋さん。
こちらの店舗は昭和8建築のどっしりとした風格が漂うお店だった。
明治時代からの看板が掲げられている。
向かいにあった山屋のロゴの入った小さな建物。
内部はリフォームされ、雑貨屋さんが入っていた。
モザイクタイルで描かれた文字。
砂糖を使わずうるち米と麦芽を使って作る水飴がベースの体にやさしい山屋の飴。
板あめは水飴を煮詰めた中に落花生を入れたもの、
米飴のみを丁寧に練った白玉飴。
そして米飴に新鮮なバターとミルクを練り込んだ堂々飴。
どの飴もやさしい甘みと味わいだった。
山屋の次に訪れた「飯田屋」ではあっと驚くような飴、「あめせんべい」を発見。
さくさくとした食感のあめせんべい。
今まで食べたことがないような新感覚食感にびっくり。
パリパリ感が命のこのあめはほんとに湿気の多い所では作れないだろうなあ~と。
落花生が入ったこの「松本有平糖」も見た目もとてもきれい。
この飴も噛んだときのサクサク感がとってもいい美味しい飴だった。
毎年お正月明けに開かれるという「あめ市」も興味深いなあ・・
どう考えても松本城の後にそこそこ距離のある旧開智学校へ子どもたちが文句言わずについてくるとは思えなかったので
私は松本城をパスし、ちょっくら別行動させてもらって旧開智学校の方へ行くことにした。
旧開智学校は明治9年松本の大工棟梁立石清重により建設された擬洋風建築の建物。
写真なんかでよく見かけてたらから、擬洋風建築といえば松本の旧開智学校というようなイメージが
自分の中ではあって、いつか見てみたいと思っていた建物。
日本人の大工が西洋の建築をみよう見まねで造ったという擬洋風建築、
玄関周りには気合いの入った数々の装飾が見られて楽しい。
龍の彫刻は日光東照宮の龍をまねて彫られたものだそうで
二人の天使像は当時の東京日々新聞の見出しの意匠に影響を受けたのではないかと言われているもの。
屋根の上の八角塔は明治の学校建築のシンボル的なもので
内部に時報用の鐘が吊られているのだそう。
廊下の中央にはこんな廻り階段があってこちらの丸柱は全久院という廃寺の古材が転用されているそう。
講堂の間仕切り部分など他にも古材を使用した部分がたくさんある。
一階廊下突き当たりの階段。
このような彫刻のついた桟唐戸という扉は校舎内に8面あって、この二階間仕切りになっている扉は
校舎の扉彫刻の中で最も古いものだそう。
力強い波と龍の木彫が見られた。
二階の講堂は竹編みされた床にステンドグラス、シャンデリアと特別な部屋だけに凝った内装が見られた。
明治時代後期の机、椅子も残されている。
講堂のシャンデリア。
あちらこちらに贅が尽くされた旧開智学校。工事費は、当時のお金で1万1千余円の巨額なものだったそう。
そのうちの7割を松本町全住民の寄付により調達したという。
当時の地域の人々の教育に対する熱意が建物から伝わってくるようだった。
旧開智学校のすぐそばに移築されている西洋館は明治22年フランス人の神父・クレマンによって建築された旧司祭館。
木造二階建てのコロニアルスタイルの建物で長野県内に現存する最古の西洋館だそう。
1、2階に備えられたベランダ。
各部屋に取り付けられていた暖炉。
二つの大物建築を見た後はもう一軒お目当ての教会を見るためちょっと遠回り、そして皆との集合場所へ駆け足で急いだのだった。
仕方がないのでこのまま続けることに・・;
宿泊したホテルの近くにあったひときわ目を惹いた建物。
目立つような看板が一つも出てなかったので一体何?!と
ホテルのフロントで聞いてみたら「鯛萬」という高級フレンチレストランとのこと。
昭和25年創業、フランス・アルザス風の建物で見るからに高級感と風格が漂っていた・・
内装も松本民芸家具が使われクラシックな雰囲気だそう。
蔦に絡まれた窓辺がかわいい。
中町通りには古い蔵を改装したお店がたくさん。
こちらのお店は明治時代の蔵を改装したカレー屋さん「デリー」
蔵とカレーのミスマッチ感?がいい感じ。
中町通りは蔵ばかりでなくこんな洋風の看板建築も。
なんと斬新なデザインの建物!
きん万食堂。
きん万食堂すぐそばにはこんな細い通りが走ってた。
食堂も横丁もみんなで歩いてた時に見つけたけど、皆、きん万の「き」の字に目もくれずに歩いていくので
一人大げさにうなったり、感嘆の雄叫び?を上げて皆の気を惹こうとしてみたが・・全く関心なさげ。
置いて行かれそうになった;
今回もこういうシチュエーション、結構あったなあ;
月のマークが目を惹いた金月堂。
おせんべい屋さんだったそう。
ここの通りも並びには昔ながらのお餅やさんや食堂、向かいには鶏肉屋さんといろんなお店が並び、
懐かしさが漂う通りだった。
上土通りの平出商店。
隣にちらりと見えるのは大正時代から続いていたという閉館となった上土シネマ。
存在感たっぷりの黒塗りの蔵はフレンチレストラン「ヒカリヤ ニシ」
金融業を営んでいた商家の建物で、約築120年。
皇族が松本を訪れた際の宿泊施設ともなった建物だそう。
角のワンポイントのレリーフがかわいいマサムラ洋菓子店。
ベビーシューが美味しいお店だそうで、皆で歩いている時に隣のスギヤアイスクリームと迷って
アイスクリームに軍配が上がり、シュークリームは食べ損ねてしまった・・
スギヤアイスクリーム。
ソフトクリームからジェラートまでいろいろな手作りアイスが並んでいて皆で迷いに迷った。
私はここでしか食べれないという「コーヒーボール」を。
珈琲の風味と生クリームとの二層が絶妙に混じり合ってかなり美味しい~アイスだった。
店内には昭和初期からのアイス製造機械が三台。
こちらは性能がいいと言われてたイタリア製のもの。
松本の近代建築、病院編に続いて薬局編。
中町通りにあるミドリ薬品。
現在も薬局として営業中。
旧上原薬局。
ガランとしていたけど、「リラクゼーションスペース」との張り紙が。
鳳凰がデザインされた優雅な装飾が施されていた。
大正期に松本市役所や映画館などの娯楽施設が建てられた上土通りにも当時の面影を残す建物群がたくさん残されていた。
手前の白鳥写真館と向うの松本市下町会館にはさまれるように建っていた建物も旧薬局、野々宮薬局。
こちらはカフェー花園の紅緒さんに松本でおすすめして頂いた昭和8年建築の旧宮坂薬局。
現在カフェ&ギャラリー「ラボラトリオ」として生まれ変わっている。
入り口には薬棚を思わせる演出が。
階段を上がって二階へ。
素敵なギャラリーとお隣はカフェ、
時間がなくてお茶できなかったのは残念だったけど。
昔の病院の椅子かな?と思ったら美容院で使用されていたものだそう。
こちらは上の旧宮坂薬局のリノベーションを手掛けた「かわかみ建築設計室」
大正15年、渡辺節建築による旧松岡医院の建物。
長野で渡辺節の建築に出会えるとは~
玄関ドア上部のアーチ窓はステンドグラス入り。
渡辺節つながりで昭和12年建築の「旧日本勧業銀行松本支店」。
現在はホテルアルモニービアンとなっている。
一日目の宿泊地は松本だったので、いつものごとくなるべく建築巡りにはみんなに付き合ってもらわずに済ませるように
早朝からホテルのレンタサイクルを借りて二時間ほど走り回って見てきた。
松本は思った以上に近代建築天国で、興味深い建物があちこちに点在・・
興奮と感動でいっぱいの朝の貴重な建築巡りタイムを過ごすことができた。
いっぱいあり過ぎて整理するのに収拾がつかないので、とりあえず今日は病院建築だけ・・
宿泊したホテルの近くでまず目にとまったのは煉瓦造りのこの建物。
明治21年建築の山崎歯科医院。
ブルーシートがかぶっていたので修復か何か?かと思いきや少し前の6/30の南松本が震源地の震度5の地震で
被害が出て、何と取り壊すことになっているとか。
登録有形文化財でもあるこの煉瓦造りの建物、見た感じはそれほど壊れてないように感じるのだけど、
維持することはできないのか・・残念。
白い壁に赤い屋根がかわいいこの建物は宮島耳鼻咽喉科医院。
宮島耳鼻咽喉科医院のお隣は昭和9年建築の青木医院。
お隣に比べると地味に見えるけれど、丸みを帯びたコーナーと玄関周りに貼り巡らされたスクラッチタイルが渋い。
大正13年建築の上條医院。
昭和5年建築の下島歯科医院。
二階の窓の波打ち具合が控え目なキュビズム風?!
先日、箕面の夏祭りがあったので子どもたちと両親と一緒に箕面駅周辺に行ってきた。
箕面スパーガーデン、箕面観光ホテルへ上がるエレベーターも無料開放中で
上でも催しをやっていたので上がってみた。
子どもたちが出店で遊んでる間、今までじっくり見たことがなかった箕面観光ホテルを見学することに。
箕面観光ホテルは坂倉準三建築研究所の西澤文隆により1968年に建築されたモダニズムの香り漂うホテル。
切り立った山の斜面に緑の木々に覆われながらそびえ建っている。
こちらのホテルへのアプローチは箕面の滝道の途中にあるエレベーターで上がるか
車で急な坂道を上がって来なくてはいけない。
以前私は車で両親を乗せてスパーガーデンへやって来たことあるが、あまりの激坂に坂道発進の際何度も後退してしまって冷や汗ダラダラ・・
もう二度と車では来るまいと誓ったことがある。
エレベーターを降りてホテルへ続く長い橋の上を歩く。
さすがに高台にあるのでいつもながら見晴らしは最高。
コンクリート打ち放しの外観を見上げる。
ホテル内へ足を踏み入れた。
こちらはフロント。丸みを帯びたカウンターの上にはモビールのようなデザインの照明が下がっている。
ゆったりと広いロビー。
ロビー天井の照明はクロス状にデザインされた和の雰囲気を感じるもの。
流れるもみじをあしらった赤い絨毯が敷かれた階段。
二階の天井から階段にたれ下がるモビール状の照明&飾りがゴージャス感とレトロ感を醸し出してる。
二階フロアー
一階のロビーから渡り廊下で続いているのは元、桂公爵別邸。
明治時代中頃「関西政財界人クラブ」として建てられたものだそうで、
桃山時代を彷彿とさせる総数寄屋普請の三階建の建物、地形を生かして清水の舞台造りのようになってるのだとか。
庭園もきれいに整えられていた。
こちらは観光ホテルの中から併設されてるボーリング場へ続く階段。
スプリングのようにぐるぐる回る階段手すりのデザインが面白かった。
布目ダムを見学した後、近くで寄れるところを探していたら伊賀上野まで30分ほどで行けることが判明。
前日にぷにょさんの伊賀上野の探訪の記事を検索し、参考にさせていただいた。
ぷにょさんが到着した時間が遅くて食べれなかったと書かれてた欧風料理のお店、ストーク。
ブログで見た感じよさそうだったので私たちのお昼は迷わずここでランチすることに。
落ち着いた雰囲気の店内。
私と旦那は名物のハヤシライスを。
娘は卵がつややかで美味しそうなオムライス、息子はチーズハンバーグステーキを頼んでた。
美味しくて皆満足~
この後、夕方の開店までの間なら車を停めさせてくださるということで、
ここから散策することに。
美味しいもの食べたし皆にもちょっとは歩きに付き合ってもらわないと~
と散策を始めたが子どもたちからは暑いだのしんどいだの文句タラタラ・・
ぷにょさんのブログでも改装中の様子が載せられてた元銭湯の電気湯を発見!
塀に忍者が腰かけてるし・・「忍びの館」とは?!
様子をうかがってみると、店員さんが出てきて、ここは忍者体験ができる館だと。
中が気になったので子どもたちにやってみる~?と聞くが
「べつにええわ・・」と気のない返事が・・
忍者体験しなくても入って見てもらってもいいですよ、との有難いお言葉を頂いたので、
見せてもらうことにした。
入り口の辺りはポスターなんかが貼られまくられてて、銭湯の面影はあまり見られない感じ?!
そしてそのポスターの下になって見えなくなってたタイル絵を発見。
見たい、というと店員さんがポスターをはがしてくれた。
中へ入ると銭湯の面影が残る所が所々に出てきた。
タイルのアーチが連なっているところは元浴場の入り口。
床にくり抜かれた箇所があり、以前の銭湯の頃の湯船の一部分が覗けるようになっている。
この上に床を新しくのせる形になったそう。
そして暗闇の中に、元の浴室内の壁が残ってますよ、と教えてもらえた。
ロッカーもあった。
元銭湯の雰囲気を生かし切ってる施設という感じでもなかったけど;
何とかいろいろ残そうとした苦心の後が見え隠れしていた「忍びの館」だった。
この後もしばらく風情ある町並みを散策したが、そろそろ家族に限界がやってきたので
不完全燃焼ながら歩きはやめて、車で二か所ほど立ち寄ってもらって帰ることに。
明治14年に建てられた旧小田小学校本館。
屋根の上には太鼓楼といわれる塔が建築当初あったように復元されている。
太鼓がつるされて合図に使われていたのだそう。
復元されたギヤマンの色ガラス窓。
建築当初から残されているギヤマンの色ガラス。
色合いがやわらかく見える。
小田小学校廃校まで使用されていたというヤマハ初期の燭台付きピアノ。
玄関床の七宝つなぎの敷き瓦も当初からのものだそう。
この他の大物近代建築、上野高等学校は見ることできたけどにわか雨と逆光と網が邪魔してうまく撮れず・・
北泉邸は見るのを忘れてしまい、少々悔いが残ったけれど又何かの機会に訪れてみたいなあ。