13年ほど前に読んだ「他力」(五木寛之著)を思い出して、ちょっと開いてみました。
驚いたことに、この時代も今と同じような不安とか焦燥感に溢れていたということです。
自分としては、今はかなり感じているが、当時は今とは違っていてそんなに(今ほ
ど)感じていなかったような気がする。その頃よりも今は、はるかに構造的な問題が
社会に存在しているのか、あるいは自分の中に当時はそれなりにエネルギーが充満し
ていて、社会とのかかわりが少なかったのか・・? いづれにしても、改めて驚いた
次第です。
で、他力(タリキ)とは・・・そうです あの他力本願のタリキです。他力本願と
いうと、あなた任せ とか 自分では何もせずに人に頼りきる・・など、無責任、
無気力といったあまりいい意味にとられていない。 他力の反対は、自力ということ
になりますが、自力で何とか解決しようと努力する・・それはそれで美しく、人とし
てなすべきことでしょうけれど、自分ではどうしようもできないことがある。いかに
自分が躍起になってもどうすることも出来ないことがある。出来ないからと言って、
挫折感に陥る必要もなく、力が及ばないといって落胆することもない。
そんな印象を思い起こして、改めて元気を取り戻すこととしたいと思って、開いてみました。
以下に、原文から部分的に引用してみます。
「他力本願の本当の意味は、決して単なる<あなたまかせ><無責任>ではありま
せん。それは一層くっきりとした強い世界観にもとづく大きな思想であり、危機に
直面した人間にとってのもっとも頼もしい力であるといっていいでしょう。」・・
「自力から他力への大きな回転がここに生まれます。<わがはからいにあらず>とい
う言葉が、私の頭の奥にいつも響いて消えません。<なるようにしかならない>と思い、さらに、
<しかし、おのずと必ずなるべきようになるのだ>と心の中でうなずきます。」・・
「また逆に、自分でも驚くほど頑張れる時があるものです。後から振り返って、
どうしてあの時の自分は――と不思議に思うこともありました。そういう本
当の<やる気>が体の奥底からふつふつと湧いてくるとき、それこそ私の言う<他力
の風>が吹いてきたときです。」・・「私たちは見えない明日に、心の底でおびえて
いる。不安を感じ、やり場のない嫌悪感にみたされ、少年や少女たちから高齢者まで
もが、それぞれに強い焦燥感を抱いて生きている。そういう時代に、私たちは何を心
の支えとして生きて行けばよいのか。 いまこそ、<他力>という奇妙な力に、ひょ
っとするとひとつの活路が見いだせるのではないか、と私は強く感じているのです。」・・
「他力とは、目に見えない自分以外の何か大きな力が、自分の生き方を支
えているというかんがえ方なのです。 自分以外の他者が、自分という存在を支えて
いると謙虚に受け止めることが重要なのです。他力とは言葉を替えると、目に見えな
い大きな宇宙の力と言ってもよく、大きなエネルギーが見えない風のように流れてい
ると感じるのです。自分一人の力でやったと考えるのは浅はかなことで、それ以外の
目に見えない大きな力が自分の運命に関わり合いを持っている。」・・
「しかし、他力こそ自力の母であると感ずるとき、生きる不安や、悩みや、恐怖に最
後のところでなんとか耐えて踏みとどまることが出来そうな気がするのです。」
ちょっと長めでしたが、ホンの一部分なので、よくわからなかったかもしれませんね。
私は、この時期・・五木寛之作品をむさぼっていたころで、いろんな小説に感銘
を受けていました。若いころには、殆ど本を読まなかったことを悔やんでいました。
驚いたことに、この時代も今と同じような不安とか焦燥感に溢れていたということです。
自分としては、今はかなり感じているが、当時は今とは違っていてそんなに(今ほ
ど)感じていなかったような気がする。その頃よりも今は、はるかに構造的な問題が
社会に存在しているのか、あるいは自分の中に当時はそれなりにエネルギーが充満し
ていて、社会とのかかわりが少なかったのか・・? いづれにしても、改めて驚いた
次第です。
で、他力(タリキ)とは・・・そうです あの他力本願のタリキです。他力本願と
いうと、あなた任せ とか 自分では何もせずに人に頼りきる・・など、無責任、
無気力といったあまりいい意味にとられていない。 他力の反対は、自力ということ
になりますが、自力で何とか解決しようと努力する・・それはそれで美しく、人とし
てなすべきことでしょうけれど、自分ではどうしようもできないことがある。いかに
自分が躍起になってもどうすることも出来ないことがある。出来ないからと言って、
挫折感に陥る必要もなく、力が及ばないといって落胆することもない。
そんな印象を思い起こして、改めて元気を取り戻すこととしたいと思って、開いてみました。
以下に、原文から部分的に引用してみます。
「他力本願の本当の意味は、決して単なる<あなたまかせ><無責任>ではありま
せん。それは一層くっきりとした強い世界観にもとづく大きな思想であり、危機に
直面した人間にとってのもっとも頼もしい力であるといっていいでしょう。」・・
「自力から他力への大きな回転がここに生まれます。<わがはからいにあらず>とい
う言葉が、私の頭の奥にいつも響いて消えません。<なるようにしかならない>と思い、さらに、
<しかし、おのずと必ずなるべきようになるのだ>と心の中でうなずきます。」・・
「また逆に、自分でも驚くほど頑張れる時があるものです。後から振り返って、
どうしてあの時の自分は――と不思議に思うこともありました。そういう本
当の<やる気>が体の奥底からふつふつと湧いてくるとき、それこそ私の言う<他力
の風>が吹いてきたときです。」・・「私たちは見えない明日に、心の底でおびえて
いる。不安を感じ、やり場のない嫌悪感にみたされ、少年や少女たちから高齢者まで
もが、それぞれに強い焦燥感を抱いて生きている。そういう時代に、私たちは何を心
の支えとして生きて行けばよいのか。 いまこそ、<他力>という奇妙な力に、ひょ
っとするとひとつの活路が見いだせるのではないか、と私は強く感じているのです。」・・
「他力とは、目に見えない自分以外の何か大きな力が、自分の生き方を支
えているというかんがえ方なのです。 自分以外の他者が、自分という存在を支えて
いると謙虚に受け止めることが重要なのです。他力とは言葉を替えると、目に見えな
い大きな宇宙の力と言ってもよく、大きなエネルギーが見えない風のように流れてい
ると感じるのです。自分一人の力でやったと考えるのは浅はかなことで、それ以外の
目に見えない大きな力が自分の運命に関わり合いを持っている。」・・
「しかし、他力こそ自力の母であると感ずるとき、生きる不安や、悩みや、恐怖に最
後のところでなんとか耐えて踏みとどまることが出来そうな気がするのです。」
ちょっと長めでしたが、ホンの一部分なので、よくわからなかったかもしれませんね。
私は、この時期・・五木寛之作品をむさぼっていたころで、いろんな小説に感銘
を受けていました。若いころには、殆ど本を読まなかったことを悔やんでいました。