今日は、最近の中では最も春らしい良いお天気でうらうらしています。 こんな日に、
あまり楽しくないテーマの記事をアップすることになり、少し気が引けています。
少し前に、このブログで「楷」を取り上げたことがありました。
楷という木のことについてでした。 大正初めに、中国の孔子の墓からこの木の種を日本に持ち帰り、
「学問の木」として、儒学にゆかりのある学校などに植えた・・いわれのある木でした。
ナンバンハゼの木ともいわれ、イチョウと同じように雌雄がるそうです。
で、この「楷」から、楷書が出てきて・・これはどういう意味かとか、書体とはどういうものか?
いつものように気になっていました。
書体は最近ではフォントと同義に扱われたりしていますが、フォントはもともと「字母」と覚えていて、
いろいろなメーカ(企業等)で、無数(といえるほど)作成されています。なので、ここでは、
基本的な、もともとの「書体」について少し調べた事柄を述べてみます。また、和文(漢字)に限定します。
ウイキペディアから引用させていただいた内容を中心に簡単に解説します。
「書体(しょたい)とは、一定の文字体系のもとにある文字について、それぞれの字体が
一貫した特徴と独自の様式を備えた字形として、表現されているものをいう。」 と
かなり難しい概念ですが、形態の差異によって分類され中国古来の書体として、篆書・
隷書・楷書・行書・草書の五体に加え、日本の江戸文字などがある。
これらは、毛筆による手書き文字(漢字)で、さらに印刷用の書体として明朝体やゴシック体などがある。
そして、最近ではこの印刷用として、それぞれデザイン的に発展させて無数の「フォント」が開発されているのですね。
ウイキペディアには、甲骨文、金文、篆書、隷書、楷書、行書、草書そして江戸文字が
記されていますので、それらの一部を引用してみます。
甲骨文体 は「絵文字様であるが、抽象性も高く、すでに文字と呼んでよく、一番古い
漢字の用例であるとされる。亀の甲羅や牛、鹿の骨に刻まれたという。」
「紀元前14世紀ごろのものから残っている。」
金文体 (きんぶんたい)とは、「青銅器の表面に鋳込まれた、あるいは刻まれた文字のこと
(「金」はこの場合青銅の意味)であり、中国の殷・周のものが有名とされる。
年代的には甲骨文字の後にあたる。」 BC1000年頃
篆書体(てんしょたい) 「金文から更に字形の整理が進み、方形を志向しているものが多い。
文字の形は天地が長い長方形の辞界に収まるように作られる。点画は水平・垂直の線を基本とし、
円弧をなす字画はすみやかに水平線・垂直線と交差するように曲げられる。画の両端は丸められ、
線はすべて同じ太さで引かれる。
このため金文と違って上下左右の大きさのバランスが整っており、極めて理知的で謹厳な
印象を与える文字に進化している。一方曲線を主体とするため有機的な趣きを併せ持ち、
独特の雰囲気を持つ書体となっている。」
印鑑などにも用いられたり、篆刻として彫り物を楽しむ人も多い。
小生の義兄の作による、拙庭を表記した篆刻作品を紹介しておきます。(写真は、2010.5)
隷書体(れいしょたい) 「その昔、ある下級役人が罪を得て獄中にあった時、隷書を発明し
これを献上することで始皇帝に赦されたという伝承があるが、これは俗説に過ぎない。
戦国時代頃から日常に通用されていた筆記体が、秦代になって業務効率を上げるために
公文書でも用いられるようになったものが、隷書だと考えられている。紀元前3世紀後半の
「睡虎地秦簡」などに見られる」 つまり、公文書などに記述する際に、その効率を上げるために
篆書体に変わって用いられたというのです。
楷書体 「一画一画を続けずに、筆を離して書く。方形に近い字形である。横線は、筆の打ち込み、
中間の線、筆の止めがはっきりしていることが多い(三過折)。現在では漢字のもっとも基本的な
字形であるといえる。楷書体は比較的新しい時代に生まれた。」
行書体 「は隷書の走り書きに興る。行書は草書と楷書の中間的な存在であるが、明確な
線引きは不可能である。草書に比べて厳格な書体、楷書に対して砕けた書体という感覚的な違いで
大まかに分類される。行書は草書ほどではないが速記向きであり、楷書ほどではないが
明快に判読できることから、古代中国では公務文書や祭礼用の文書に用いられた。」
草書体 とは、さらに「速く書くことができるように、同じく漢字の筆書体である行書とは異なり、
字画の省略が大きく行われる。文字ごとに決まった独特の省略をするため、文字ごとの
形を覚えなければ書くことも読むこともできないことが多い。」
また、日本では江戸文字としていろいろな書体が流行した。そのうちのいくつか現在でも
なじみのあるものを拾ってみました。
勘亭流
橘流
根岸流(相撲字)
余談ですが、小生が、金沢勤務であった頃、ちょうどエレクトロニクス技術の進展が盛んで、
情報通信メディアとして活用の動向にあり、それを面白おかしく世に広める「ホンの洒落のひとつ」から、
写真のような千社札を作っていろんな持ち物に貼ったりして楽しんでいました。
千社札(せんじゃふだ)とは本来は、神社や仏閣に参拝をした記念として貼るのが普通ですが、私の場合はそれだけに限らなかったと思います。
長々とお付き合いくださいましてありがとうございました。
あまり楽しくないテーマの記事をアップすることになり、少し気が引けています。
少し前に、このブログで「楷」を取り上げたことがありました。
楷という木のことについてでした。 大正初めに、中国の孔子の墓からこの木の種を日本に持ち帰り、
「学問の木」として、儒学にゆかりのある学校などに植えた・・いわれのある木でした。
ナンバンハゼの木ともいわれ、イチョウと同じように雌雄がるそうです。
で、この「楷」から、楷書が出てきて・・これはどういう意味かとか、書体とはどういうものか?
いつものように気になっていました。
書体は最近ではフォントと同義に扱われたりしていますが、フォントはもともと「字母」と覚えていて、
いろいろなメーカ(企業等)で、無数(といえるほど)作成されています。なので、ここでは、
基本的な、もともとの「書体」について少し調べた事柄を述べてみます。また、和文(漢字)に限定します。
ウイキペディアから引用させていただいた内容を中心に簡単に解説します。
「書体(しょたい)とは、一定の文字体系のもとにある文字について、それぞれの字体が
一貫した特徴と独自の様式を備えた字形として、表現されているものをいう。」 と
かなり難しい概念ですが、形態の差異によって分類され中国古来の書体として、篆書・
隷書・楷書・行書・草書の五体に加え、日本の江戸文字などがある。
これらは、毛筆による手書き文字(漢字)で、さらに印刷用の書体として明朝体やゴシック体などがある。
そして、最近ではこの印刷用として、それぞれデザイン的に発展させて無数の「フォント」が開発されているのですね。
ウイキペディアには、甲骨文、金文、篆書、隷書、楷書、行書、草書そして江戸文字が
記されていますので、それらの一部を引用してみます。
甲骨文体 は「絵文字様であるが、抽象性も高く、すでに文字と呼んでよく、一番古い
漢字の用例であるとされる。亀の甲羅や牛、鹿の骨に刻まれたという。」
「紀元前14世紀ごろのものから残っている。」
金文体 (きんぶんたい)とは、「青銅器の表面に鋳込まれた、あるいは刻まれた文字のこと
(「金」はこの場合青銅の意味)であり、中国の殷・周のものが有名とされる。
年代的には甲骨文字の後にあたる。」 BC1000年頃
篆書体(てんしょたい) 「金文から更に字形の整理が進み、方形を志向しているものが多い。
文字の形は天地が長い長方形の辞界に収まるように作られる。点画は水平・垂直の線を基本とし、
円弧をなす字画はすみやかに水平線・垂直線と交差するように曲げられる。画の両端は丸められ、
線はすべて同じ太さで引かれる。
このため金文と違って上下左右の大きさのバランスが整っており、極めて理知的で謹厳な
印象を与える文字に進化している。一方曲線を主体とするため有機的な趣きを併せ持ち、
独特の雰囲気を持つ書体となっている。」
印鑑などにも用いられたり、篆刻として彫り物を楽しむ人も多い。
小生の義兄の作による、拙庭を表記した篆刻作品を紹介しておきます。(写真は、2010.5)
隷書体(れいしょたい) 「その昔、ある下級役人が罪を得て獄中にあった時、隷書を発明し
これを献上することで始皇帝に赦されたという伝承があるが、これは俗説に過ぎない。
戦国時代頃から日常に通用されていた筆記体が、秦代になって業務効率を上げるために
公文書でも用いられるようになったものが、隷書だと考えられている。紀元前3世紀後半の
「睡虎地秦簡」などに見られる」 つまり、公文書などに記述する際に、その効率を上げるために
篆書体に変わって用いられたというのです。
楷書体 「一画一画を続けずに、筆を離して書く。方形に近い字形である。横線は、筆の打ち込み、
中間の線、筆の止めがはっきりしていることが多い(三過折)。現在では漢字のもっとも基本的な
字形であるといえる。楷書体は比較的新しい時代に生まれた。」
行書体 「は隷書の走り書きに興る。行書は草書と楷書の中間的な存在であるが、明確な
線引きは不可能である。草書に比べて厳格な書体、楷書に対して砕けた書体という感覚的な違いで
大まかに分類される。行書は草書ほどではないが速記向きであり、楷書ほどではないが
明快に判読できることから、古代中国では公務文書や祭礼用の文書に用いられた。」
草書体 とは、さらに「速く書くことができるように、同じく漢字の筆書体である行書とは異なり、
字画の省略が大きく行われる。文字ごとに決まった独特の省略をするため、文字ごとの
形を覚えなければ書くことも読むこともできないことが多い。」
また、日本では江戸文字としていろいろな書体が流行した。そのうちのいくつか現在でも
なじみのあるものを拾ってみました。
勘亭流
橘流
根岸流(相撲字)
余談ですが、小生が、金沢勤務であった頃、ちょうどエレクトロニクス技術の進展が盛んで、
情報通信メディアとして活用の動向にあり、それを面白おかしく世に広める「ホンの洒落のひとつ」から、
写真のような千社札を作っていろんな持ち物に貼ったりして楽しんでいました。
千社札(せんじゃふだ)とは本来は、神社や仏閣に参拝をした記念として貼るのが普通ですが、私の場合はそれだけに限らなかったと思います。
長々とお付き合いくださいましてありがとうございました。