蓼科浪漫倶楽部

八ヶ岳の麓に広がる蓼科高原に、熱き思いあふれる浪漫知素人たちが集い、畑を耕し、自然と遊び、人生を謳歌する物語です。

Malaysia滞在記 (mak)

2012-03-15 | 日々雑感、散策、旅行
今マレイシアのIpohという町に来ております。
何故わざわざ遠路マレイシアに来るのか?私にとっては、心の洗濯といってもいいでしょうか。
何よりもマレシシアの人たちの柔和な笑顔に心が癒されるといってもいいでしょうか?道に迷ってて尋ねると寄ってたかって笑顔で親切に教えてくれる。どこに行っても、現地人の親切と笑顔に遭遇し、心が癒されるのです。
レンターカーであちこちと町を散策して、今回気が付いたことがある。今までの知識では、日本は戦前アジアを開放し、戦後はODCでその国の経済発展に寄与した思っていたが、この国にはその跡形もない。
残っているのは英国をはじめ西欧各国が残した美しい建物や昔の面影が残っているばかりである。
町で売っている日用雑貨品もフランス製の石鹸、アメリカ製のカミソリ、イタリヤ製のオリーブオイル、アメリカ製の薬などなど日本のものが見当たらない。CDショップにはアメリカのPop音楽があふれている。
日本の存在感が全く感じられない。さびしい限りである。

 とにかく簡単に旅行記を紹介しましょう。




(Bukit Jawi Golf Resort) 昨日1泊2日で訪れたペナン近郊のBukit Jawiゴルフリゾート。


毎年恒例にしているマレイシアロングステイで今回はIpohの町の外れにあるMeru Valleyに3月5日から4月8日に滞在しております。今回の旅の友はゴルフ好きでは人後に落ちないMr.S氏。羽田23:30発Air Asiaの夜行便でKuala LumpurのLCCTターミナルに早朝到着、広々とした座席の高速バスで、ヤシが生い茂る大平原を貫くように走る高速道路を3時間突っ走り、昼前にIpohの町に到着した。
そこから、車で20分Meru Valleyの賃貸マンションに入居、約1か月のロングステイが始まった。
ここには、27ホールのゴルフコースがあり、ゴルフ周辺に瀟洒な一戸建て住宅や高層マンションが立ち並び、ゴルファーには夢の天国である。
我々は賃貸したアパートは8階建ての5階、2LDKの広々としたマンションで、窓から望む緑の山が美しい。

宿泊しているマンション


Ipoh Station:Kuara Lumpulから2時間30分で快適な特急列車でもIpohに行けます。




IpohはMalaysiaの首都Kuala Lumpulから200kmに位置する錫鉱山の町で、19世紀後半から20世紀の初頭に英国の錫工業の会社が相次いで進出し繁栄を謳歌した町で、今もその面影があちこちに残っております。1941年12月15日に日本軍に占領され、その後イギリス軍に解放され、1970年に錫価格が下落し錫工場が相次いで閉鎖された後は、人口流出が進み衰えたが、今は都市再開発努力の結果近代的な都市として急速に進んでおり、人口70万でMalaysia第3位の都市として開発が進んでいる。

この町の住民は70%が中国系マレイシア人で、その他マレイ系、印度系の住民がそれぞれの宗教、生活習慣、文化を維持して仲良く住んでいる3種混合移民国家である。
中国系は知的労働階級で、商売上手、金持ちで経済的上層階級を占めている。、印度系はタクシーの運転手やマレイ系はウェイトレス、ウェイター、店員として働いているのが多く見受けられる。

気候は亜熱帯気候で、温度湿度が高く、3時ごろからスコールが降ることが多い。
従い、ゴルフは午前7時ごろから涼しい間にプレイするのがおすすめである。

ジャスコのあるKinta City


外国で生活する時ぐらいは、日本料理はたべないことにしたので、日本の食事が入手出来ようができまいがどうでもよいことであるが、ここにはジャスコが大規模にスーパーマーケットを営んでおり、ほとんどの日本食材を容易に求めることができる。どうしても日本食を食べたければ、自炊で日本食を料理することが容易である。外食も破格に安い費用で、中国料理だけでなく世界中の料理が食べられる。現地人が日常的に楽しんでいる屋台に行けば、ローカルの生活にふれることも出来、それも楽しみの一つです。
今日はイタリヤ製スパゲッティーオリーブオイル、ガーリック、赤トンがらしをたっぷりつかtqたアリオオリオペペロンチーノとバルサミコのサラダソースのサラダで、
音楽を聴きながら、一杯飲むことにした。

この国の国民はまだまだ発展途上の国であるが、がつがつせずにのんびりとゆったりと人生を謳歌している。
世界一の国になろうとかもっと豊かになりたいとか考えている様相がない。あくせくと働き、いつも経済的な豊かさが人生の目標であると死ぬまで考えている日本人からはなかなか理解できないか
もしれない。




好きな パティ・ペイジの歌・・・








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下山の思想  (bon)

2012-03-15 | 読書
 昨年暮れに発売された、「下山の思想」(五木寛之著、幻冬舎新書)は知っていたが、
以前この作家が好きで、いろいろ読み続けたことがあり、その中にも下山の話があって、
大体のことが分かっていたのでそのままにしていた。 
 が、先日、駅前の本屋に立ち寄ったとき再び目に留まったので買って読んでみました。

 新書の帯解説に、「どんな深い絶望からも人は立ち上がらざるを得ない。すでに半世紀も前に、
海も空も大地も農薬と核に汚染され、それでも草木は根付き私たちは生てきた。
しかし、と著者はここで問う。再生の目標はどこにあるのか。再び世界の経済大国を
目指す道はない。敗戦からみごとに登頂を果たした今こそ、実り多き「下山」を思い描くべきではないか、と。
「下山」とは諦めの行動ではなく新たな山頂に登る前のプロセスだ、という鮮烈な世界観が展望なき現在に光を当てる。成長神話の呪縛を捨て、人間と国の新たな姿を示す思想・・」
とあり、つまるところ国も世界も、個人もこのような思い・考え方が今を生きるすべではないかと提案されている。

 「私たちは明治以来、近代化と成長を続けてきた。それはたとえて言えば、山に登る
登山の過程にあったといえるだろう。だからこそ、世界の先進国に学び、それを模倣して
成長してきたのである。 しかし、いま、この国は、いや、世界は登山ではなく下山の時代に
入ったように思うのだ。」 「・・・下りる・降りる・下る・下がる、これらの言葉には、
どこか負の感覚が伴う。・・プラスマイナスでいえば、圧倒的にマイナスの方だろう。」
 
 しかし、登山を考えれば、「・・目指す山頂に達すると、次は下りなければならない。」 
「下山の途中で、登山者は登山の努力と労苦を再評価するだろう。下界を眺めたり、
高山植物に目を留める余裕も生まれてくるだろう。」

 「人間の一生でいうなら、五十過ぎまでとそれ以降である。今の時代ならさしずめ六十歳で定年退職してから後と考えるのが自然だろう。」 
「日は、いやいや沈むわけではない。堂々と西の空に沈んでいくのだ。」 

「いま私たちは戦後最大の試練に見舞われているといっても差し支えないのかもしれない。
原発事故の行方は不明だが、どんなに好意的に見ても、後半世紀は後遺症は続くだろう。」

 まあ、感じる言葉はまだまだたくさんあるが、要するに、いつまでもこれまでの考え方、
発想から抜け出ずにいるのではなく、新しい発想にたって考えてみる必要があるというのである。
下山こそ、いろいろ来し方行く末に思いをはせる機会ではないのか。 このような提言は、
大いに共感するところであるが、リアルな“登山”に限定すれば、この下山こそ大事であり、
達成感もあるが、疲労感も一倍大きくなっていて“心の余裕”ばかりを求めるのは危険かもしれない。
 本では、そんな理屈ではなく、いつまでも登りばかりを求めるのではない・・といっており、
「・・我々が下山を始めているさなかに、うしろから大震災という未曽有の雪崩に遭遇した・・」ともいっている。


 過去を振り返り、郷愁を楽しむ中に更に人生の広がりが感じられるともいっていて、
まさしくそうでありたいとも思うが、今なお、その中にも“まだ低い山を、ゆっくりと
登って行かなければならない人々も大勢いることも事実である”と思われるのです。










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