蓼科浪漫倶楽部

八ヶ岳の麓に広がる蓼科高原に、熱き思いあふれる浪漫知素人たちが集い、畑を耕し、自然と遊び、人生を謳歌する物語です。

教育の民主化:Khan Academy 一人の先生が1000万の生徒に教える。   (mak)

2012-11-09 | 素人ニュース解説
教育問題に関する田中文部科学大臣の物議を醸した発言で、新聞、TVが大騒ぎしている矢先に、教育について興味ある記事が、日本経済新聞(発信元Forbes)に載っていたので紹介したい。予てより、教育改革は日本再生の観点より、重要な課題の一つである。高度情報化を遂げた社会において、未来を見据えた教育改革を進めていくうえで、ここに上げた記事は、大いに参考になると信じる。


米カーン・アカデミー(Khan Academy)のただ一人の教師であるSalman Khan先生が、創業2年にして瞬く間に1000万人強の生徒に教育を授けるに至った元気づけられる愉快な話である。

 この組織は米カリフォルニア州マウンテンビュー市の通勤列車の線路に隣接した、古びたオフィスビルの中にあり、そこに働く37名の従業員(GoogleなどIT関連会社に勤務経験ある技術者)とIT機器だけといったシンプルなもの。そこから、知識,学問に飢えた世界中の子供達に児童教育から高等教育を、YouTubeを通じて、無料で施すという途轍もないミッションを掲げる非営利教育機関である。
 
 カーン・アカデミーのウェブサイトKahan Akademyホームページは、算数や代数の基本から高等物理化学、生物、大学レベルのファイナンス、金融経済、米国大統領選の選挙人団、フランス革命まで、驚くほど多様なテーマを扱っている。Youtube動画には、教師(たいていはサルマン・カーン氏自身で、自ら3000本近い動画を作成した)の姿は見えない。学生が目にするのはまっさらなデジタル版の黒板で、カーン氏が穏やかなバリトンの声で10分間の講義を進めていく間に、蛍光色を使って重要な教材が説明されていく。

 カーン氏はルイジアナ州メタリーという小さな町でバングラデッシュ出身の父親とインド出身の母親の間に生まれ、父親を失った後貧しい母子家庭の環境で育った。その頭脳が優秀なことからマサチューセッツ工科大学(MIT)で電気科学、コンピューターサイエンス、更にハーバードビジネススクールに進みMBA(経営学修士号)の学位を修得した。
 

 大学卒業後、ヘッジファンド・アナリストという高収入の仕事に就き、幼い息子と医学を勉強中の妻と生活する普通の生活を営んでいた。カーン氏の転機は2009年に訪れた。その3年前からいとこはじめ親戚や友達の勉強を見てやるようになっていたが、離れた場所にいる子供たちに効率よく教えるために、自ら制作した教材をユーチューブに投稿した。だがこの試みに膨大な時間を費やしていたにもかかわらず、趣味としか考えていなかった。

 そこへ、ある若者からメールが送られてきた。何とか大学に滑り込んだものの、特に数学ではクラスメートとの学力の差が大きかったという。そんな時、偶々カーン氏の動画を見つけた若者は「夏中、ユーチューブであなたの動画を見て過ごしました。「先週、数学のクラス分けテストを受けたところ、優等課程に入ることができました。あなたが私と家族の人生を変えてくださったと断言できます。ありがとう」。
この手紙に喚起され、Khan氏は、仕事を辞めて、フルタイムでユーチューブ用の教材動画制作に取り組む決意を固め、寝室脇のウォークイン・クローゼットに陣取って次々に動画を作りはじめた。妻は彼に1年の猶予を与えた。だが10カ月が過ぎても資金はまったく集まらず、カーン氏は諦めかけていた。そんな時、ある著名な篤志家の目に留まり、資金援助を受けることになり、更にそのことがCNNなどのマスメディアを通じ、世間に知られることになり、ビルゲイツ、グーグルなど大富豪をはじめ多くの人から資金援助を得ることになった。Khanが集めた資金は1650万ドル(約13億円)に上る。

「サルマンは世界初の“スーパースター教師”だ」。ロシア人の元物理学者で、ベンチャーキャピタリストとして米フェイスブック、米ツイッター、米グルーポンに創業初期から投資しているユーリ・ミルナー氏は語る。

 過去2年でカーン・アカデミーの動画は2億回以上視聴された。過去12カ月では合計4500万人、7億5000万個以上の問題(1日あたり200万問)を解いている。また無料で提供される教材は、ウルドゥ語やスワヒリ語、中国語を含む24カ国語に翻訳され、世界中で2万以上の教室で(公式もしくは非公式に)使われている。
 


 1人の教師がユーチューブ動画を使って、わずか24か月で、世界中の数100万人もの生徒に知的刺激与える、
 世界で最も影響力のある教育者であり、本当にすばらしい、胸の躍る、人々の意欲をかきたてる話だ。彼は革命を主導している。

 カーン氏は世界の地域、人種、年齢を問わず、誰にでも学問を求める多くの人々に、無料で教育を授けることを目的(Mission)とし、まったく「大富豪になるようなことはいまどきはやらない」と金儲けには無関心である。まさに、ネットを駆使して、教育の民主化を世界に広めようとしているところに、大きな意義があるのではなかろうかと考える。
 
 Khan氏の偉業を称えるとともに、もちろん小生も早速、この学校に入校した次第である。

参考資料:

1.Kahan Akademyホームページ 
2.Kahn Academy WikiePedea
3.Soft wear excise
4.日本経済新聞
Forbes)
コメント (6)
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太陽暦   (bon)

2012-11-09 | 日々雑感、散策、旅行
昨日8日は立冬ということで、暦上ではいよいよ冬到来ということですが、気温は穏やかですね。

明治5年(1872年)の11月9日は、太陰暦が廃止されて、太政官布告337号「改暦の詔書」により太陽暦が採用されたのです。
この日を太陽暦採用記念日というそうです。

 前にも書いたかもしれませんが、この明治5年の12月3日が明治6年1月1日(もちろん1873年)として
正式に太陽暦がスタートしました。

太陽太陰暦は692年(朱鳥7年)持統天皇の時代に儀鳳暦と元嘉暦が用いられて以来、1200年近く月の運行を元にした
農業暦として定着していました。

この新制度への切り替えをとにかく急いだという話があります。
当時、政府のひっ迫した財政事情が、この突然の改暦に至らせたともいわれています。
天保暦(旧暦)での明治6年は閏年にあたり、1年が13ヶ月となるはずでした。
役人の給与を幕政時代の年俸制から月給制に変更した政府にとって、年末の12月と翌年に控える閏月という、
2ヶ月分の給与歳出を削減できる、絶好のタイミングでもあったからだったとか・・。(ネットより)

いずれにしても、準備期間がわずか一ヶ月というこの暦法改変は、一般国民にとっては寝耳に水の話でした。
この機に乗じて年末の支払いを踏み倒す者が現れたり、翌年の暦が刷り上がっていたほとんどの暦業者に至っては、
商品がただの紙くずとなるなど、大混乱の中での改暦だったそうです。

最近の、「近いうち」や「大学不認可」などは、これに比べると些細なことなんですね。












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