今日は、早や立秋です。 第99回 夏の高校野球は、台風5号のため
順延となりました。 今の優勝旗は、古くなったため、来年第100回を
記念して新しい優勝旗が京都西陣で製作されていました。
昨8月6日、広島では、72回目の原爆忌を迎え、平和記念公園では「平和記念式典」が
挙行されました。 唯一の被爆国として、毎年、多くの外国代表者を式典会場に招いて、
戦争の根絶、核廃絶を訴え続けていますが、今なおこの瞬間も、各地で戦争が行われ、
核ミサイルの実験を推進されているのです。 式典で、小学生が大きな声ではっきりと
述べた「平和への誓い」のことばが、これらの国にも届いてほしいと念じて止みません。
この1年間に新たな死没者5530人が追加され、これまでの総数308,725人に上り、長崎
の死者・行方不明を合わせると40万人を越し、さらに今後もその数が追加されていくの
ですから、忘れることは出来ません。
読売新聞(8/6)に、当時14歳で被爆された橋爪文さん(詩人、86歳)の思いが込め
られた手記や記録、被爆後の状況などが記載されていました。これらの生々しい事実や、
思いを通じて、改めてその悲惨さ、重大さが思い知らされるのでした。
平和記念式典
(ネットより)
この7月に国連で採択されたばかりの「核兵器禁止条約」に、核傘下にある日本は、
核保有国と共に、採択をボイコットしたばかりか、今日の首相あいさつの中でもこれに
触れられませんでした。 日本の立場は、核保有国と非保有国の間の橋渡しを推進する
こととされていますが、微妙な立場で難しいですね。
これまで何度か広島を訪れたことがありますが、高校1年の夏(1955年)友人と二人で、
中学3年の 恩師(広島市出身で、すぐに広島の高校に戻られた。)を、広島の下宿に
遊びに行ったことがありました。 下宿は、街の中心街から少し離れたところにあり
ましたが、先生は、平和記念公園、原爆記念館、原爆ドームなどを案内して下さいました。
宮島や、比治山などの観光地にも連れて行っていただきました。冗談などあまり言わな
い生真面目で学術肌の先生でしたが、下宿の同僚と お酒を毎晩飲んでいたようです。
平和記念公園にて (1955年夏 友人と)
この先生によって、私は、中学から普通高校を受験することになったのでした。
ラジオ制作や電気・工作ごとが好きで、中学を出たらすぐに工業高校に行きたいと思って
いましたら、先生に説得されて普通高校に通うことになり その後の私の人生は大きく変
わったのでした。 その恩師も、昨年他界されましたが、先生を広島に尋ねた時の思い出
が今また鮮明に蘇ってきました。