昨日、BSテレビで、小津安二郎監督の映画『東京暮色』(1957年、松竹)を観ました。
小津監督後期の映画で、モノクロの最後の映画だそうです。
銀行監査役の父(笠智衆)は、かって出征中に、妻(山田五十鈴)が子供を置いて若い
男と失踪していたため、短大を卒業した二女(有馬稲子)と二人暮らしをしていた。
そこに、長女(原節子)が2歳になる女の子を連れて実家に帰ってきている。結婚生活が
うまく行かず実家に帰って父の世話をするが、父も帰ってきた理由をあまり聞こうともし
ない。有馬稲子は、大学生といい仲になり、遊び人仲間と行動するようになり、そのうち
身ごもっていることを知り、密かに堕胎してしまう。
(ネット画像より)
そんな暗い内容の映画で、おまけに夜や室内の暗い場面が多く、ラストシーンに至って
も明るい光が見えるというような一抹のハッピーな感情を抱かせることもなく、笠智衆が
淡々と一人暮らしの生活が始まるところで終わり、何とも印象の暗い、やるせない、希望
が見えないままの映画でした。
1957年公開といえば、私はまだ高校生の頃で、映画の設定時代も、戦後の復興が始まっ
た頃の東京、五反田、雑司ヶ谷あたりの夜の街の様子が描かれていて、長男が昭和26年に
谷川岳登山で死亡しているという設定ですから、これ以降の時代のようです。
有馬稲子の遊び仲間が住むアパートでは、彼らが花札に興じたり、五反田の雀荘での
若者の姿や男女に関する事柄も、いわゆる太陽族のような感覚とは違った、もっと以前の
暗さがあり、時代錯誤との悪評もあったそうですが、麻雀のシーンなど懐かしく拝見しま
した。
そんな有馬稲子が、妊娠していることを知り、相手の学生を探しながら、雀荘に出入りし、
そこの女将が、まだ見ぬ自分の母だと感じ、姉(原節子)に話し否定されるが後日分かり、
結局自分の父親が誰なのかに疑問を抱き、自分が帰るべき家も定かでなくなり、身の置き
場がなく、とうとう踏切に飛び込んで自殺する。
(ネット画像より)
山田五十鈴は、そんな役回りだが、存在感十分で懐かしい感じでした。過去に失踪した
罪悪感をも持ちながら、雀荘の女将から連れ合い(中村伸郎)の実家のある北海道に引っ
越して行く決心をする。
有馬稲子を無くしたことを知り、原節子に花を持参するが罵倒され、今夜の夜行で上野
を出発すると告げる。 懐かしい上野の12番ホームの映像が出て、3等車の雰囲気の中、
窓を押し開けてホームをしきりに伺い、もしや見送りに来てはしないか気になるが、誰も
来ないまま汽車は出て行く・・。そんな自分でも、もしや・・と思う空しさだけが残される。
それでも、原節子は、家庭を大事にすることに気がつき、実家を後にする決意をする。
前向きなシナリオは、ここだけで、父、笠智衆は、一人で支度し会社に出かけるシーンで
終わるのです。
何ともやるせない気持ちのまゝ、映画は終わってしまい、何だかあと味がスッキリしな
い映画の印象は否めませんが、御前様より、はるかに若い笠智衆、原節子、山田五十鈴、
杉村春子そしてただ一人若い、ネッカチーフをした有馬稲子、さらには、チョイ出の
山村総らの久しぶりに見る懐かしい俳優の皆さんや、五反田あたりでも道路はまだ舗装
されていなかったり、玉を左手で入れる電動式でないパチンコや、雀荘の雰囲気など当時
の生活の様子の細やかな演出は時代を映し素晴らしかったです。
「東京」は、華やかな活気付く街の中に、それぞれの人の生活の中の辛い面がその反対
側で落差を際立させている効果があるのかもしれません。
小津監督の映画の、「東京物語」なども、そんな感じでした。 でもこれは、希望が
ありました。 麦秋、彼岸花、秋刀魚の味・・などもそうでした。
なお、有馬稲子は、1932年生まれで、現在大阪、池田市にお住まいとか。86才。夕陽丘
高等女学校から宝塚音楽学校に行かれたそうです。
長々とお疲れさまでした。