9月22日産経新聞(Ctrl+クリック)に演歌作曲家の大御所船村徹(80歳)の記事が出ていた。
別れの一本杉に始まり、みだれ髪に至るの作曲活動から選んだ自作の曲を自ら歌うアルバム「希代の名歌手」発表した。
東洋音楽学校(現東京音楽大学)時の友人高野公男が「焼け野原で働く大衆のための音楽を作れ」と言い出して、二人でキャバレーや米軍キャンプ専用のバンドで働きながら、貧乏な生活から生え上がり、昭和30年春日八郎のデビュー作「別れの一本杉」を作り、大ヒットした。高野公男はそのことを知らずに結核でなくなった。昭和36年村田英雄による王将を発売。戦後初のミリオンセラーとなる。これまでに出した曲は4500曲に登る。日本作曲協会理事長。
今なお現役にこだわり、作曲活動を続けている。
戦後焼け野原から高度成長期に至る日本人の心の支え、どこかで一度は耳にしたことがある数々名曲をお聞きください。
待っています~。
別れの一本杉を作曲する時、高野公男から、船村出身の「栃木弁」で作れと言われたらしい。
いつかのステージで、本人がそんなことを言って「音楽にどうしたら、栃木弁が織り込めるのか」悩んだという。
いま、ちあきなおみが歌う「矢切りの渡し」・・を聞いています。
自分で貼り付けたのを、楽しもうと聞きなおしましたが、直ぐに切れてなかなか次の曲に進みません。
あれーまた接続が切れちゃった!やっと再接続できたと思ったら、bonは矢切に行っている。
イライラしてます。