蓼科浪漫倶楽部

八ヶ岳の麓に広がる蓼科高原に、熱き思いあふれる浪漫知素人たちが集い、畑を耕し、自然と遊び、人生を謳歌する物語です。

一休と良寛(前) (bon)

2015-01-20 | 日々雑感、散策、旅行

 一休さんも良寛さんも、子供の絵本などによく出て来た懐かしい感じがする人ですね。

もう、10数年前に買ったシリーズ単行本12冊は、殆どページをめくらないまま本箱に入っていました。
このシリーズは、“仏教を生きる” 全12巻(中央公論新社、2000年)で、執筆者、解説者(鼎談)はそれぞれ専門の
方々で編纂されています。 で、このうち “狂と遊に生きる(一休・良寛)” (久保田展弘著、2000.6 ¥1,600)から、
私として初めて知る新しい事柄や驚き、その人の背景など・・印象に残ったところをかいつまんで記事アップしてみました。
お二人を一度にアップすると長くなりすぎますので、記事を前・後二つに分けて掲載させていただきました。

 で、今回は、“一休さん” です。

一休さんは、通常、一休宗純といわれていますが、室町時代の臨済宗大徳寺派の禅僧、詩人です。
1394~1481の88歳と長命です。 南北朝時代が終結し、幕府は第3代将軍足利義満最盛期の頃、北朝方の
後小松天皇のご落胤として、京都嵯峨の農家で生まれたと伝えられています。 南朝の天皇から三種の神器を
移されて間もない北朝の天皇の寵愛した相手が南朝系の女性(一休の母)であったため、宮中を追われて、
民間に入って一休を産み、一休はついぞ父には会うこともなかったという運命の人だったようです。
6歳というまだ子供のうちに、禅寺 “安国寺” に入り、出家し、「周建(しゅうけん)」となり、この頃が、いわゆる “とんちの一休さん” であったようです。早くから詩才に優れ13歳で既に評判となり、その後名前を「宗純」と
あらためますが、22歳の時、大徳寺に入り、禅宗の課題に対して、「有ろじより 無ろじへ帰る 一休み 雨ふらば降れ
風ふかば吹け」 と答えたことから高層より “一休” の道号を授かるのです。
なお「有ろじ(有漏路)」とは迷い(煩悩)の世界、「無ろじ(無漏路)」とは悟り(仏)の世界を指すとあります。

             一休和尚像
             (ウイキペディアより)
 

 一休の時代は、いわゆる応仁の乱を挟んで、混乱の世の中が続く上、度重なる飢饉にも見舞われた地獄絵のような
時代だったようですが、反面、明、朝鮮との交易によって富を蓄え力のある守護大名や、堺の商人を始め町人経済が
大きな力を持ち、このような戦乱続きの世に文芸、茶道、連歌、猿楽などの文化が栄えたという不思議な時代だった
のですね。 生きることに喘ぐ庶民との間にあまりにもひどい乖離があったのですね。禅僧は、中国直輸入の文化の
指南役を務めるなど、豪商や武家を相手に伽藍が文芸の世界となり、茶道に遊ぶ僧の姿がそこにあり、一休は、
こうした “直指人心、見性成仏” を離れた曖昧な禅を徹底して否定するのでした。 殊勝げな形式ともっともらしさ
へのうなずきに対する徹底した否定は、一休の人間性の復活への叫びではないか、著者は断言するのです。
高僧門下に向かって、“欲の深い連中が法を説き、厚かましく恥を知らないただの畜生” と一休は罵倒するのです。
一休は、晩年までほとんど定住の寺を持たず、一所不在の行動の中に打ち出された禅、それが一休の禅であり、
そこには絶えず人との交流があったのですね。 広く、能楽や茶道に秀でた文化人の他、真宗本願寺第八法主の
蓮如とも深い交流があったそうです。

 この程度では、到底、一休の目指す禅への取り組みや精神性を伝えることは無理ですが、とにかく型破りに見えるくらい、
その言動や行動が、常識的な観点での “” に見えるのですね。 しかも、直接的で、妥協がゆるされない・・
そんな信念の人のようです。 そして、そこに飾り気がなく、ネット記事から、彼のうたと人柄など、以下のような
記述があります。

  • 門松は冥土の旅の一里塚めでたくもありめでたくもなし]
  • 釈迦といふ いたづらものが世にいでて おほくの人をまよはすかな
  • 秋風一夜百千年(秋風のなかあなたと共にいる。それは百年にも千年の歳月にも値するものだ)
  • 花は桜木、人は武士、柱は桧、魚は鯛、小袖 はもみじ、花はみよしの
  • 女をば 法の御蔵と 云うぞ実に 釈迦も達磨も ひょいひょいと生む
  • 世の中は起きて稼いで寝て食って後は死ぬを待つばかりなり
  • 南無釈迦じゃ 娑婆じゃ地獄じゃ 苦じゃ楽じゃ どうじゃこうじゃと いうが愚かじゃ

人柄として、

  • 印可の証明書や由来ある文書を火中に投じた。
  • 男色はもとより仏教の菩薩戒で禁じられていた飲酒・肉食や女犯を行い、盲目の森侍者(しんじしゃ)という側女がいた。
  • 木製の刀身の朱鞘の大太刀を差すなど、風変わりな格好をして街を歩きまわった。これは「鞘に納めていれば豪壮に見えるが、抜いてみれば木刀でしかない」ということで、外面を飾ることにしか興味のない当時の世相を批判したものであったとされる。
  • 親交のあった蓮如の留守中に居室に上がりこみ、蓮如の持念仏の阿弥陀如来像を枕に昼寝をした。その時に帰宅した蓮如は「俺の商売道具に何をする」と言って、ふたりで大笑いしたという。

 一休による風狂破格の世界を呈する漢詩集 “狂雲集” は、仏門の求道者の自分を詠んでもいるが、
女色に耽溺する自己をも詠むなど、まさに、この書名のように狂雲集の世界は尋常一様でないと評されています。

 この詩集の中に、“美人の陰に水仙化の香有り”と題した詩を引用します。

  楚台応望更応擧   楚台にまさに望むべし、更にまさに擧ずべし
  半夜玉床愁夢間   半夜、玉床、愁夢の間
  花綻一茎梅樹下   花はほころぶ一茎、梅樹の下
  凌波仙子遶腰間   凌波仙子、腰間をめぐる

 この本にある意訳は、“美しい女の体を求め、今まさにそこに上ろうとするのは、真夜中の二人のベッドの、
愁いをたたえた夢の中であった。花はほころぶひと茎、梅樹のもと、波に身をゆだねる仙女、その腰の間をめぐる” 
とあり、さらに、ここで、花が女陰を、梅樹は男根を象徴するとすれば、その情景は男女の愛の営みそのまま
ということになる・・と。 時に、一休76歳の冬の寒い一夜であったそうです。

 盲目の美女、森女(しんにょ)と晩年を共に暮らす中で、一休の森女に対する信頼の純粋さと、その愛をうたった
詩があまりにも率直でありすぎ しかも公表してしまっているのです。 著者は、“一休にとって、森女は、光だった
にちがいない。それは同時に、森女にとって一休は、手に触れることのできる光だったのではないでしょうか。”
と述べています。

              一休寺(酬恩庵:京田辺市)
                  (ウイキペディアより)
 

 長くなりましたが、最後に、“一休さんの頓智” のいくつかをネット記事から再掲(コピペ)しておきます。

 屏風の虎退治 

足利義満が一休に出した問題の一つ。

「屏風絵の虎が夜な夜な屏風を抜け出して暴れるので退治して欲しい」と義満が訴えたところ、
一休は「では捕まえますから虎を屏風絵から出して下さい」と切り返し、義満を感服させた。

このはし渡るべからず

桔梗屋が一休に出した問題の一つ。

店の前の橋を一休さんが渡ろうとすると、「このはしわたるべからず(『この橋を渡るな』の意)」と書いてある。
しかし一休は、「この(はし)渡るべからず」と切り返し、橋の真ん中を堂々と渡った。

後日談で、同じ問題に加えて「真ん中も歩いては駄目」と難題を出されたが、「橋に乗らねばよいのだろう」と
敷物を敷いてその上を歩いて渡ってきた。

 七曲りの松

京都に、「七曲りの松」があった。
「この松をまっすぐに見た者には金一貫文与える。大徳寺住職・一休」 という立て札が立った。金一貫文は、
今日なら百万円である。
以後、松の周囲は人だかりで、何とか一貫文をかせごうと、人々は、松の木をまっすぐ見ようと
努力した。 だが、一向に見ることができない。ついには梯子をかけ、上から見るものまで現れる。

「一休さんがウソを言われるはずがない。どこからか見えるのであろう。」  蓮如上人が通りかかられた。
「また一休さんの悪戯か。よし、私はまっすぐに見たから一貫文もらって来よう。」と、一休のところへ。

「真っ直ぐに見たから、一貫文もらいたい。」「蓮如か、お前は駄目だ。立て札の裏を見て来たか。」裏には、
「但し、本願寺の蓮如だけは除く」とあった。 一休は蓮如上人にはすぐ見破られてしまうことが分かっていたのだ。

蓮如上人は再び、七曲がりの松の所に戻られた。「どうでした、一貫文、もらえましたか」
「いや、一休が堪忍してくれと、謝ったから、許してやった。」「一体、どこから、真っ直ぐに見られたのですか」
「この松を『曲がった松じゃなー』と見るのが、まっすぐに見るということだ。曲がりくねった松を真っ直ぐに見ようと
しているから、見ることができない。曲がった松は、曲がった松と見るのが、本当に、まっすぐ見るということだ。」

 

 

 

 

 

 

 

 


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