今年も早や3月に入りました。昨日(2/28)には、母校高校の卒業式がありました。
第77回卒業証書授与式というんですね。校長先生の式辞のほか、卒業生で同窓会長
からの言葉もあったそうです。 進学する人も、就職する人も心を弾ませていることで
しょう。
普段の年なら、ベランダの草花のお世話など忙しい時季でもあるのですが、今年は
住まいの建物が大規模修繕工事(2/10着工)で、すでに佳境に入って来たようで、
ドリルやハンマーのような音が聞こえ、カーテンも下ろした状態の鬱陶しい毎日が
続いています。
ところで、3月をなぜ「弥生」というのでしょう。 かって、この言葉から7年前の
拙ブログに記事投稿(2018.3.2)していましたので、少し加除しながらコピペしました。
「木草(きくさ)弥(い)や生(お)ひ茂る月(づき)」が詰まって「やよい」に
なったという説が有力だとありました。 つまり、「草木がいよいよ生い茂る月」と
いう意味ですが、旧暦3月は、グレゴリオ暦の3月下旬から5月上旬ころに当たります
から、まさに草木がいよいよ生い茂る・・という実感になりますね。
弥生の「弥(いや)」というのは 「いよいよ、ますます」といった意味を持ち、
「生(おい)」という言葉は、「生い茂る、草木が芽吹く」といった意味があるのですね。
(ネット画像より)
『 ♫ さくら さくら 弥生の空は 見渡す限り~』の“弥生”は新暦の3月の意味
ですね。 3月は、弥生のほか、桜月、雛月、花見月、嘉月、夢見月、花月などたく
さんの異名がありました。 昔の人は風情を重んじていたのですね。
余談ながら、♫ ~弥生の空は・・ の部分が ♫ ~野山も里も・・になって
いるのがありました。NHK合唱団など・・ 知りませんでした!
他に弥生とつく言葉に、弥生時代というのがあります。この時代の前は、縄文時代で、
そこで使われていた土器の模様が縄文様であったことからその時代を縄文時代と呼ん
でいるのですね。 それに対して弥生時代の「弥生」というのは、3月とは全く関係
のない、なんと地名なんですね。
ちょっとがっかりですが、ウイキペディアによれば、『「弥生」という名称は、
1884年(明治17年)に東京府本郷区向ヶ岡弥生町(現在の文京区弥生)の貝塚で発見
された土器が 発見地に因んで弥生式土器と呼ばれたことに由来する とあります。
当初は、弥生式土器の使われた時代ということで「弥生式時代」と呼ばれ、その後
徐々に「式」を省略する呼称が一般的となった。』 とあります。
弥生式土器
(ウイキペディアより)
話は逸れてしまいますが、文京区弥生というのは、東大の正門や赤門の反対側あた
りの地で、東大の弥生門がありますが、その筋向かいには、「弥生美術館」があり
ます。明治、大正、昭和に活躍した挿絵画家を中心とした、挿絵、雑誌、漫画などが
展示されています。そして渡り廊下でつながっている「竹久夢二美術館」が別棟で
あります。
竹久夢二の美術館は、伊香保や金沢湯涌にもありますが、ここ弥生は、かって夢二
が滞在したホテルがあった地であり、最愛の彦乃との逢瀬の場所でもあったそうで、
大正ロマン溢れる展示の館でもあります。
2017年5月に友人と、上野池之端の横山大観記念館に行った時、途中、「びわ湖長浜
観音堂」に立ち寄り、長浜市指定文化財「聖観世音菩薩立像」の優しい姿を拝見した
後、横山大観の住居の各部屋を展示スペースに見立てた、数々の大作を堪能して、
不忍通りを北上して、東大の弥生門に来たことがありました。
この筋向かいが弥生美術館、竹久夢二美術館ですが、この時は、以前に館内に入っ
ているので素通りして、東大弥生門から、東大のキャンパスにはいり、三四郎池や
広い構内を歩いて赤門までのコースを取りお茶するまでに既に1万歩を超えていました。
この頃はまだ歩けていたのでした。
弥生美術館、竹久夢二美術館
(文京区HPより)
3月の弥生から、大幅に脱線してしまいましたが、どこかのどかな春の気配が充満
しています。それに比べて、昨今のSNS、AIなどを使った詐欺行為の氾濫、地中上下
水道の腐食劣化、綱渡り国会審議 そして何より、ウクライナ停戦に向けた米・ロの
冷血交渉・・などなど、理念を捨てた人間のエゴむき出しの行動に、重苦しくうん
ざりした日々に突入しています。何とか早く抜け出せる英知は無いのでしょうか?
さくらさくら【独唱→合唱】byひまわり🌻×10【日本の歌百選】歌詞の意味付き
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