大粒の巨峰系のブドウ、栽培農家は商品化するために房の三分の一とか半分ほど摘果し見事な房にするという。そこで爺もそれに一部の房に挑戦してみた。アップしたのは、摘果した房(左)とありのまま(右)のそれとを撮ったものである。
摘果した方は一粒一粒に十分養分が行き渡り熟し方にそろいがある。あるがままの方は、熟し方がまばらで色づきも差がある。小粒のナイヤガラなどとは違い、巨峰系は手間暇掛かることがよく分かった試みであった。
【語り部】78年前に敗戦した記念日が今年もまた近づいてきた。しばらくは、爺史の記録としてあの苦難の日々を想い出し記してみよう。
竹槍訓練 戦争末期のことである。近所の叔父さんたち(若者は兵隊に取られてほとんどいなかった)が、我が家のグミの大木周りに集まって竹槍訓練を始める。優しいおじさん達が、異様な形相でかけ声と共に槍を敵兵に見立てたグミの木に突き立てる仕草をする。次には卵の殻に灰を詰めて投げつける、、、。そんな訓練を子ども達は遠巻きにして眺めたものである。
時の政府は、いよいよ本土決戦を想定し閣議決定してまで竹槍訓練を強いたのである。敵は連射できる銃を装備していたのにである。今想うにこんな滑稽な命令をどうして出来たのだろう。何しろ鬼畜米英に向かって「一億火の玉」になっていこうという世相だからであろうか、、?。それとも単なる戦意高揚の手段としてのためだったのだろうか、、、?。
訓練に真剣に取り組んだ叔父さんたち、当時どんな想いでしたのか一度聞いて見たかったが、皆黄泉の国に旅立って今は叶わない。