石斛蘭5種、デンドロヒューム2種、オンシジューム、コチョウラン、カトレアなど和洋ともどもの蘭を試みとして木株に着生させ愉しんでいる。その木株で、今コチョウランは花茎2本伸ばし間もなく咲きそうである。一足先にカトレアの一株で2輪書いたくれたのでアップしてみた。
ここでカトレアと記したが、購入した時の名を忘れてしまったので違うかも知れない。同じような花で名が様々つけられているので爺には覚えきれない。名札をしっかり取っておこう。
【語り部】78年前に敗戦し、戦後の大きな変化とあの苦難に充ちた生活などの日々を爺史の記録として思い起こし、しばらくは記してみよう。
蚤シラミ あらゆる面で物資不足となった戦後である。衛生環境も極端に悪化していた。その典型が蚤シラミによる被害である。(街では南京虫も、、、、)母はその対策として衣類に熱湯を掛けてくれたものである。だが、友との遊びなどで移されるのであまり効果が無かった。そのうちにDDTなるものが入ってきて救われたことを想い出す。人が集まるような所でや学校でも一斉散布されるようなこともあった。毛ジラミ対策で女の子などは白髪になったように撒かれたことを想い出す。実家では蚕を飼っていたので、その時期はDDTの散布は厳禁だったことを想い出す。
あれほど効果のあったDDT、今では発癌物質が含まれると言うことで使われなくなったが、浴びるほど散布されたときはそれを知らなかったのである。
芭蕉の詠んだ句 「蚤虱(ノミシラミ)馬の尿する枕もと」 を体感した子供時代であった。