今日も35,6度になるという。いつまで続くのであろうかこの暑さ、暦では立秋もとうに過ぎたというのに酷暑の日々が延々と続くという。早朝よりエアコンのお世話になりながら故郷の涼しげな高原の野山を恋しく想い出している。
我が家の百日紅、咲きそろって来たので再びアップしてみた。
【語り部】78年前に敗戦し、戦後の大きな変化とあの苦難に充ちた生活などの日々を爺史の記録として思い起こし、しばらくは記してみよう。
お米の供出 戦中から始まった食管法で農家ではお米の供出がなされた。國で強制的に買い上げる制度である。今はどうか知らないが子供の頃は、一反歩当たり5~6俵収穫していたように思う。闇米にまわせば高く売れたものを、律儀な父は自家用米を残しあとはすべて供出していた、多い年は50数俵供出に回したこともあった。当時は藁で編んだ米俵である。土間にそれをうずたかく壮観な光景が今でも目に浮かぶ。
厳しい統制経済であっても闇米が國の流通網から漏れていたと言うことは皆知っていたのである。子ども達でも目の当たりにしていたのであるし、、、、。
子供の頃、大人が一年間に米食べる量は1石(こく)と言われていた。自家用米として保管する基準となっていた。
注 1石は10斗(米俵2俵半)、、、、 150㎏となる
1合×10=1升 1升×10=1斗 1斗×10=1石
1